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「大人」とは、なるものか、させられるものか【理想の若者論#2】

こんにちは、StudioTopiaです。
6月は「理想の若者論」を考えています。
「最近の若者は…」という言説は、人類誕生以来脈々と受け継がれてきた決まり文句だと思いますが、大人と子供の境界線として、「若者」は常に目立つ存在だと言えるでしょう。現代社会において、その境界で悩む「子供」「大人」も多く存在するはずです。
本会では、単に「『若者』がどう語られるべきか」というだけでなく、そもそも「若者」とは何か?どうあるべきか?や、さらに巻き戻って「子供」「大人」とは何か?自分達はその区分についてどう考えているのか?等を考え、何かしらの答えを導いていく、というのが目標です。

きっかけは、5月7日から6月4日までNHK総合で放送されていた「17歳の帝国」。AIによって選出された若者たちが、日本の政治を担っていく「青春SFエンターテイメント」ということですが、皆さんはご覧になられましたか?

今回は、ドラマそのもの、というよりも、その中で「若者がしがらみのなさゆえに良い政治を行う」と期待されていたことに目を向けて、「若者にしがらみは本当にないのか?」「若者が責任を担えるのか?」「大人には本当に、しがらみのない政治ができないのか?」といった疑問を出発点にしています。
17歳というと、今年度から成人年齢が下がっても、なおまだ「子供」でもあります。
「子供」「大人」とは何か、というのはかなり一般化した問いのような気もしますが、それも考えつつ、また、その過渡期ともいえる「若者」について、現在「若者」である(と自認する)自分達を起点に、そのあるべき姿も考えてみました。

以下、議事録です。

議事録

あなたは、大人ですか?子供ですか?
会の初めは、「自分を大人だと思うか、子供だと思うか」という問いからスタートしました。参加者が20代前半(この書き方をするとちょっと大人ちっくですが)ということもあり、「自分はまだ大人とは言い切れない」「言いたくない」という意見が挙がりました。その理由としては、「大人というほど成熟していないと感じる」「まだ子供として扱われていたい」というものがあるようです。
そもそも、「大人」「子供」というのは、それぞれ多義的です。身体的区分、精神的区分、社会的区分…といろいろあり、それらもまた密接に結びついています。人によって「これが私の大人基準」というのも存在しますし、「こういう人を大人というのだ」と遍く定義するのは難しい状態です。
会では、「これまでは勉強する人・養われる人は子供、働く人・養う人は大人、というふうに動作と属性が固定されていた部分があった。しかし、現代はそれが揺らいでいるため、その基準も曖昧化しているのではないか」という意見が出ました。

大人は、なりたくないものか?
さて、大人の定義が曖昧化し、さまざまな大人が存在する中で、「こんな大人にはなりたくない」「そもそも大人になりたくない」という発言が、「子供」によってされることがあります。一方で、「こんな大人になりたい」「早く大人になりたい」という言葉は、あまりメジャーではないような気がしませんでしょうか。

上記はソニー生命保険が2021年に実施した中高生が思い描く将来についての意識調査です。参考までですが、「“大人”に対して抱くイメージ」にネガティブ寄り、ポジティブ寄りの選択肢から選ぶ設問の答えを見てみると、中高生は大人に対してネガティブ寄りの感情を持っていることが窺えます。
果たして大人とは、そんなにもなりたくないものなのでしょうか。
確かに、「大人になったら働いて、仕事に制約される」「自由がなくなる」と想起される部分はあります。そして、それに反発して子供のように自由でいたい、好き勝手していたい、と思う反面、「好きなことをやっていたら大人としてみられない」「社会の爪弾きものにされる」という恐れもあり、「大人とは、なりたくないけれどならなくてはならないもの」として認識されている部分があると考えられます。

何をもって「大人」というの?:常識、責任
そうなってくると、「大人って何!?」という疑問がやはり湧いてきます。何をすれば大人と見做してもらえるのか、あるいは、大人として果たさなければいけないものは何なのか。いくら定義がたくさんあるとは言っても、社会の中でこれだけ「大人になりたくない・ならなくてはならない」という思いが共有されているのなら、そこで示される「大人像」が確実にあるはずです。
会では、「大人になるとは、常識を携えることではないか」という意見が出されました。則るか則らないかは別にしても、社会の道理を理解していることが「大人」=社会の構成員、ということのようです。この場合、「子供」もまた社会の構成員ではありますが、「大人」に庇護される存在と考えられるでしょう。現代社会では大人になる段階で各種「常識」の教育が行われず、大人になる必然性も生まれません。
また、「役場の手続きを一人で行うと大人になったと感じる」という意見も出されました。ある日突然負うことになる「責任」を感じ、恐怖感と共に大人を歩み出す、という一面が今の日本社会にはありそうです。この時、責任を課せられるのが大人であるというと、場所によって「大人扱い」される人も変わってきます。
筆者は新卒一年目ですが、会社の中では、「大人だけど、良くも悪くも未完成」というように扱われていると感じます。もちろん責任は生じますが、やはり先輩方の責任の上に成り立つ部分もあります(だからこその恐ろしさ、新卒としての責任感もありますが)。
高校1年目や大学1年目に感じたことでもありましたが、昨日まで責任を背負ってきた自分が、次の日になると後輩として「扱ってもらえる」のは、ある意味面白くすらあったりもしますね。

「大人になりなさい」は祈りか、脅迫か
「大人になりなさい」と言われたことはありますでしょうか。
先ほど「大人として常識を携えるのは社会から外れないようにするためである」という意見が出ましたが、それに従うと、「大人になりなさい」とは「社会から外れないようにしなさい」と言い換えることもでき、それはその人の生活の安全を祈るようにも、自分達の世界に組み込もうとする脅迫のようにも聞こえます。
親が言うのか、社会の先輩が言うのか、などによっても変わってきそうですが、いずれにせよ、他者から強いられて大人になっていくのが「大人になる」ということでしょうか。そんな気もしますし、そうでない気もします。「大人になる手助け」くらいはあってもいいかもしれませんが、強いられて大人になっては、強いる人々が求めるべき大人像とはかけ離れる気がするのですが、どうでしょうか。
会では「自分より大切にしたいものが生まれたら大人」というフレーズも出されました。大人とは自覚するものなのか、他者に求められるものなのか、あるいは両者のバランスの上に成り立っているのか、不思議なところです。

「子供」と「正しさ」
会の後半、「子供と大人、どちらが『正しい』ことをできると思う?」という問いが投げかけられました。
「『正しい』とは何かを理解できる、という点では、大人の方がそうできる。しかし、人間関係の複雑化などから、大人になると『正しい』を実行できなくなる」という意見が出ました。また、「『正しさ』を純粋に追求できるのは子供だ」という意見も。社会性を大事にすることも重要であり、そのために「正しい」を追求できなくなる大人は多くいますが、本当にその「社会性」は「正しさ」に勝るのか、は考えるべき部分と言えるでしょう。
また、子供の特権のひとつとして「友情」が挙げられました。友達のために必死になれること、これは大人になっても忘れてはいけない、子供に輝く性質だということです。

次回に向けて:若者として、大人を再考する
会の最後、まとめとして「子供の心を忘れずに、大人の常識を持って生きていけるといいね」という言葉が飛び出しました。子供でも大人でもない、「若者」ならではのフレーズと言えます。
次回は「18歳成人」について考えていくこととなります。
20歳成人を経験した筆者も、「20歳になった=大人になった」とは感じませんでした。それは、18歳でも同じかもしれませんし、逆に、多くの人が高校卒業をするタイミングならば、新しい「大人像」が生まれ、受け入れられやすいかもしれません。
改めて「大人って何?」「子供って何?」「今自分は、何?」という疑問が生まれ、これまでの規範が揺らぐことになりますが、そんな時に、その二つをまたぐフェーズであろう「若者」を再考するのは、非常に有意義であると言えます。大人に足をかけた若者として、これまでの道のりを振り返り、反省し、アイデアの芽を見つけられたら、と思います。

編集後記

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回からは、「大人」「子供」について語り合っていきます。

成人年齢の引き下げ、という現代日本のホットトピックであると同時に、かねてより問われ続けてきたお話ですね。
中世ヨーロッパに「子供」という概念はなく、「小さい大人」として扱われていた、というような話もあります。「大人」「子供」は揺らぎやすい概念であると再確認できます。
一方で、「誰が社会をどのように構成しているのか」をはっきりと分けておきたいから、そういう区分を意識しているのだ、とも言えるかもしれません。

次回以降「若者」についてももう少し考えていくことになると思いますが、これもまた不思議な区分です。「Z世代」を「若い世代」と言うこともありますが、定義的に「13歳〜27歳」くらいが一緒の区分で、確かに全員「若い世代」ですが、確実に意味合いが違いますね。マーケティング発祥の用語なので、今回のように考える際にはずれもありますが、どこか変な感じです。

考えれば考えるほど奥深そうですが、だからこそ面白く、考えがいがあります。
来週以降も楽しくやっていきますので、お付き合いください!(奈都)

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Studio Topia 6月テーマ「理想の若者論」
第1回「『大人』とは、なるものか、させられるものか」
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