最近の記事

コルシツキーとウィーンの珈琲文化

壮大なウィーンの街がトルコ軍に2度目に包囲されたのは1683年のことでした。その苦痛は深刻でした。 都市司令官エルンスト・リューディガー・フォン・シュタールヘンベルク伯爵の指導の下、ウィーン人は故郷の街を必死に守ろうとしましたが、外部からの助けなしに恐ろしい結末を予見しました。 解放に来るはずの帝国軍の指揮者に今の状況を知らせるため使者が必要でしたが、派遣された使者が皆トルコ人に捕まり殺されてしまったので、その危険な奉仕を思い切ってする人がなかなか見つかりませんでした。

    • 1936年のアイガー北の壁の悲劇

      スイスにある3970メートルのアイガー北の壁は「殺人の壁」と言われています。そこは難易度が極端に上がり挑戦した様々な登山家が命を失ってしまいました。1936年の夏にドイツ人のトニー・クルツとアンディ・ヒンターシユトイサーはその恐ろしいアイガー北の壁への挑戦を決意しました。 7月18日の朝に2人はいい天気で登攀を開始し、オーストリア人であったヴィリー・アンゲラーとエディ・ライナーも彼らの後に追いました。ヒンターシユトイサーはサイルを掛けて難しい横通路を乗り越えることができたあ

      • 台湾の衝撃的な殺人事件

        1996年に台湾で洪曉慧と许嘉真という女子学生は清華大学放射線生物学研究所に入学しました。その2人は、前年に塾で知り合い入学後友人になりました。しかし、その後彼女らの関係は悪くなりました。なぜなら両者は同じ学部の先輩で曾煥泰という男子学生に恋してしまったからです。互いの感情が徐々にすれ違ってしまいました。 曾煥泰は、外観から両者と友人関係があったのように見られましたが実際には彼が明らかに2人の女性と同時に性的な関係もありました。1998年3月7日に、人気がない清華大学放射線

        • ボリス・ベッカー

          ボリス・ベッカーは1967年11月22日生まれ、ドイツの元テニス選手です。彼は1985年に17歳でウィンブルドンで初めて優勝した後、ウィンブルドンで3回優勝、他のトーナメントを含む49回シングルの優勝をしました。彼は12週間でテニス世界ランキングをリードし、トーナメントの歴史の中で最年少のウィンブルドン勝者です。 ベッカーは、ドイツで若く大成功したテニス選手としてメディアスターとなり、スポーツキャリアの後でさえ、しばしばメディアやテレビ番組に出演しました。テレビのテニス中継

        コルシツキーとウィーンの珈琲文化

          クニッテルフェルトでの郵便配達員殺人事件

          1975年12月2日の朝に郵便配達員ヨハン・フリッツはシュタイアーマルク州でのクニッテルフェルト市のアパートに郵便物の配達に入って行きましたが、正面玄関のすぐ後ろに殺人犯が潜んでいました。鈍い物体は郵便配達員に背後から激突し12回の強力な打撃で彼の頭を打ちました。 12月の初めだったので配達員は郵便物だけでなく、約90万シリング大金額も運んでいました。当時の慣習として年金受給者に年金を届け現金で支払うことが一般的でした。これを知っていた殺人犯はアパートの中で郵便配達員を待ち伏

          クニッテルフェルトでの郵便配達員殺人事件

          ヴォイツェック

          200 年前の殺人事件です。ゲオルク・ビューヒナーのドラマ「ヴォイツェック」やアルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」のモデルになった下級軍人のヨハン・クリスティアン・ヴォィツェックは1821年6月21日に当時の愛人を刺殺しました。芝居やオペラで愛人の名前はマリーですが、実際には46歳のヨハンナ・クリスティアネ・ヴォーストでした。また、ヴォイツェックは1807年から別の愛人との間に子供が一人いました。 1780年にライプツィヒで生まれたヴォイツェックは若いころ両親を亡くし、1

          ヴォイツェック

          ヒンターカイフェックの殺人事件

          ちょうど100年前の出来事です。南ドイツのバイエルン州で起きた殺人事件は、農場の一家族が全員死ななければなりませんでした。1922年3月31日の夜、被害者の6人が次々と頭部外傷を負って殺されました。 ヒンターカイフェックという人里離れた寂しい所で農家のアンドレアス・グルーバー(当時63歳)、妻のツェツィーリア(当時72歳)、娘のヴィクトリア・ガブリエル(当時35歳)と彼女の長女ツェツィーリア(当時7歳)と長男ヨーゼフ(当時2歳)、そして使用人のマリア・バウムガルトナー(当時

          ヒンターカイフェックの殺人事件

          Stock im Eisen-Platz(鉄中棒の広場)

          シュテファン寺院の近くにStock im Eisen-Platz(鉄中棒の広場)があり、その広場とケルントナー通りのかどの建物にこの鉄中棒(鉄中棒というのは、一本の木の幹に何本もの鉄の釘が打ち込まれているのでこう呼ばれています。)が現在でも見えます。それに関してMartin Mux(マルティン・ムクス)という名前の若者を主人公に、昔のウィーンを場面とする伝説が残っています。 昔々、マルティン・ムクスは錠前職人の見習いをやっていました。親方が厳格で、いつも文句をいう人なので、

          Stock im Eisen-Platz(鉄中棒の広場)

          ヴェルナー・クニーセック

          ザルツブルクで生まれ育ったヴェルナー・クニーセックは、しつけが悪く若い頃から学校を何度もさぼり、しばしば家出や盗みをしました。彼は父親に会ったことがなく、母親は息子の教育の荷が重すぎて、子供をホームに預けようとしましたがこれを知った彼は母親をナイフで刺し、お金を盗み、ドイツに逃げましたがオーストリアに送還され、殺人未遂罪で少年拘禁中の2年の判決を受けました。 釈放後、彼はいくつかの強盗を犯し、動機なしで73歳の女性を拳銃で殺しました。そのため1973年、彼は懲役8年半の判決を

          ヴェルナー・クニーセック

          シュテファン寺院の塔のボーリング場の話

          聖シュテファン寺院の塔の上には、かつては丸柱遊のボーリング場があり、塔の見張り番は暇であれば数人の陽気な仲間とそこで一緒に時間をつぶすことができました。しかし、スペースが限られておりレーンは短かく、ボールを投げる時は背中をピンに向けて脚の間にボールをロールアウトさせなければなりませんでした。 その昔、ウィーンにマイスター・クンラートと呼ばれたマスターボウラーが住んでいましたが、彼は飲酒好きでほとんど毎晩酔っ払っていました。ある晩、マイスター・クンラートは何時ものように飲み過

          シュテファン寺院の塔のボーリング場の話

          ヘルムート・フロドル - 殺人俳優

          この殺人事件の物語は犯罪コメディのように聞こえるが殺人犯は彼の犠牲者を欺くために変身し自分自身を偽装しました。殺人被害者の遺体を消滅させた後、殺害された男がまだ生きているふりをするために、また変身して犠牲者に変装した姿で登場しました。それで犯罪の実行と捜査の状況がとても信じがたいにもかかわらず、この殺人事件は実際の話しです。 ヘルムート・フロドル(1957年生まれ)は、オーストリアのテレビ局ORFで子供のスターとしてのキャリアをスタートしました。1979年から青少年番組のモ

          ヘルムート・フロドル - 殺人俳優

          ドイツとオーストリアのことわざ

          „Alte Liebe rostet nicht”「古い愛は錆びない」 初恋を忘れないということを意味しますが、恋人への愛だけでなく初期の情熱、例えば趣味などにも使う事ができるでしょう。長い間忘れてしまっていても、またその情熱を取り戻すと言う意味です。 „Glücklich ist, wer vergisst, was nicht zu ändern ist“「"変更できないこと"を忘れる人は幸せだ」 ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「コウモリ」のセリフでオーストリア人

          ドイツとオーストリアのことわざ

          Die Mitternachtsmette zu St. Stephan(シュテファン寺院の真夜中のミサ)

          昔々、ある寒いクリスマスの夜に、シュテファン寺院の主任司祭が司祭館の居間で暖房にあたって、寺院の史書を読んでいました。冬の夜なので外は吹雪が窓を揺すぶっていましたが、中はとても暖かく、居心地が良かった。 司祭は読みながら、長生きした人生で目撃したさまざまなできごとを思い出し、そしてそれらを自らの手で史書に記録していました。しかし、その日、今まで一度も読んだことがない一節が目にとびこんできました。「クリスマスの夜、寺院の中で、死に装束を着ている者がいれば、その翌年に必ず死ぬこ

          Die Mitternachtsmette zu St. Stephan(シュテファン寺院の真夜中のミサ)

          Fritzl - The Monster

          1984年8月、アムシュテッテン市で、フリッツルという男が当時18歳の娘エリザベートを家の地下室に誘い込み、薬物を飲ませ、手錠をかけ、独房として準備された部屋に閉じ込めました。翌日に彼は娘が行方不明になったと報告しました。彼は彼女が怪しい宗派の一員になり家には戻らない探さないで欲しいという内容を娘から届いた手紙として一ヶ月後に提出しました。 フリッツルは家の地下室に隠れた場所で、部屋、キッチン、トイレ、バスルームなどを作り、冷蔵庫、テレビ、ビデオプレアなども用意しました。彼

          Fritzl - The Monster

          グリム童話‐Hans im Glück-幸せなハンス

          ハンスは七年間働いていたので、賃金としてマイスターから頭の大きさのような黄金の塊をもらいました。これをもってお母さんのところへ帰りたがるが、途中で馬に乗っている騎手と出会います。騎手の馬が欲しくなって、黄金の塊と馬を交換することになります。しかし、次第に馬から落ちたので、もう二度と馬に乗りたくありません。偶然に一頭の牝牛を追い立てている農夫がやってきて、ハンスは馬と牛を交換します。熱い日に喉が渇いたので、牝牛の乳を搾ろうとするが、懸命にやっていても牛乳が出てきません。その代わ

          グリム童話‐Hans im Glück-幸せなハンス

          ラインツの死の天使たち

          ウィーン13区ラインツの老人ホームに勤めていた4人の看護婦たちは、1989年に殺人容疑で逮捕され、その後「死の天使たち」と呼ばれました。一連の殺人事件はすでに1983年に始まっていたが、1989年にウァルトラウト・ワーグナーが致死的なモルヒネ注射で患者の殺害し発覚しました。彼女は「慈悲の行為」として特別な罪悪感もなく安楽死の補助と思っていました。最初の殺害は注目されなかったのでこの行為は続けられました。1988年に病棟の患者が睡眠薬ロヒプノールを違法に投与された疑いが持たれ、

          ラインツの死の天使たち