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1936年のアイガー北の壁の悲劇

スイスにある3970メートルのアイガー北の壁は「殺人の壁」と言われています。そこは難易度が極端に上がり挑戦した様々な登山家が命を失ってしまいました。1936年の夏にドイツ人のトニー・クルツとアンディ・ヒンターシユトイサーはその恐ろしいアイガー北の壁への挑戦を決意しました。

7月18日の朝に2人はいい天気で登攀を開始し、オーストリア人であったヴィリー・アンゲラーとエディ・ライナーも彼らの後に追いました。ヒンターシユトイサーはサイルを掛けて難しい横通路を乗り越えることができたあと、その4人は一つのグループになりました。しかし、 ヒンターシユトイサーはサイルを抜き取ってしまったのでそれは次に起こった災害の原因になりました。

初日はすべて上手くいき、夜にその4人は高度3100メートル地点で1回目のビヴァークをしました。翌朝に霧がかっていましたがその4人は登山を続けました。天気はしだいに悪くなり、20日にはまだ4人を山麓から見られましたが、アンゲラーが落石に遭い重傷を負ったようで、登ることが不可能となり4人は登山を中止して アンゲラー をザイルで下ろしながら、降り始めました。しかし、上述してヒンターシユトイサーは初日にサイルを抜き取ってしまったので帰道ですでに氷で覆われた横通路を乗り越えることができませんでした。

7月21日はさらに天気が悪化して、下山途中の4人に突然雪崩が押し寄せました。ライナーは岩壁に身体を強く打ちつけて即死、 ヒンターシユトイサー とアンゲラーも宙に吊り下げられた状態で命を失ってしまったようでした。一人生き残されたクルツがザイルに吊り下がりましたが疲れ果てて動けなくなりました。

そこに救助隊が駆け付けたが、悪天候のせいでクルツに近づくことができず、彼はまた寒い一夜にアイガー北の壁のなかに泊まらなければなりませんでした。7月22日に天気が回復し救助隊がまた近づいてきましたが、クルツの所へたどり着くことができずカラビナにザイルの結び目が引っ掛かってクルツも降りる事もできませんでした。すでに左手が凍傷にかかたクルツはそれを解く力が無く、救助隊の目前で「もうできない...」と言い残して全力を尽くして死んでしまいました。

あの時その山の悲劇はドイツ、スイスやオーストリアで大きなスクープになりました。アイガー北の壁を初めて通り抜けるのが成功した登攀隊は1938年にヘックマヤー、ハラー、フェルクやカスパレクというドイツ人の登攀隊でした。

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