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Fritzl - The Monster

1984年8月、アムシュテッテン市で、フリッツルという男が当時18歳の娘エリザベートを家の地下室に誘い込み、薬物を飲ませ、手錠をかけ、独房として準備された部屋に閉じ込めました。翌日に彼は娘が行方不明になったと報告しました。彼は彼女が怪しい宗派の一員になり家には戻らない探さないで欲しいという内容を娘から届いた手紙として一ヶ月後に提出しました。

フリッツルは家の地下室に隠れた場所で、部屋、キッチン、トイレ、バスルームなどを作り、冷蔵庫、テレビ、ビデオプレアなども用意しました。彼は自分で娘のために食物を買って地下室に持って行き、そこで娘を性奴隷のように捕らえました。彼は長年二重生活を送り、妻と一緒に家の1階で夫婦生活を過ごして地下室では娘と夫婦同然の生活を送りました。

その後フリッツルによると1993年5月に彼が家の前で9ヵ月の赤ちゃんを発見、1994年12月にフリッツルの妻が10ヶ月の子供を発見、1997年8月に3人目の子を発見。由来不明の3人の子供たちは行方不明の娘の子供として祖父母に引き取られて育ちました。

しかし、実は双子を含む7人の子供はフリッツルと娘の間に地下室で生まれました。その双子の1人は生後3日で亡くなり、遺体がフリッツルによって焼かれたと言われています。他の3人の子供たちが地下室で母親のエリザベートと一緒に暮らしていました。

20年間以上、官庁も隣人もフリッツルの話を信じて、フリッツル家の不思議な出来事について何も疑いませんでしたが、2008年4月、地下室に長年に住んでいたエリザベートの娘ケルスティンが重い病気にかかりました。すでに42歳になった娘のエリザベートは父親のフリッツルを説得してケルスティンを病院へ運んで欲しいと願いました。フリッツルは「ケルスティンは突然家の前に現れ助けを求めた」と皆に説明しました。

ケルスティンの行動は奇妙に思われ、犯罪の可能性もあったのでマスメディアはケルスティンの母親は名乗り出るよう呼びかけました。地下室のテレビでその呼びかけを聞いたエリザベートはフリッツルを促し病院に行きました。

フリッツルは作戦を変更し、娘と2人の少年を地下室から連れ出して娘が宗派を離れ家に帰ってきたと説明しました。しかし、エリザベートは病院で娘を見舞った後、警察に逮捕されました。尋問でエリザベートは、自分が20年以上父親に監禁され、子供たちが全員父親フリッツルによってもうけられたと述べました。これはDNA検査でも確認されました。

フリッツルは最初に彼の孫娘の救命者として振る舞い、いかなる罪も否定しました。しかし、彼は逮捕され、2009年に強姦、自由の剥奪、重度の強制と血の恥のために裁判所で訴えられました。また、彼は若い頃すでに強姦のため投獄されたことが明らかになりました。裁判で、フリッツルはついに有罪を認め、終身刑を受けました。

彼の妻、娘、孫たちは現在、別の名前でオーストリアに住んでいます。彼らの写真は公開されず、現在の滞在も身もとも知られていません。フリッツルはその後、妻と離婚しましたが、妻が夫の地下室での猥褻な行為を知っていたかどうかという問題は解決されませんでした。

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