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Die Mitternachtsmette zu St. Stephan(シュテファン寺院の真夜中のミサ)

昔々、ある寒いクリスマスの夜に、シュテファン寺院の主任司祭が司祭館の居間で暖房にあたって、寺院の史書を読んでいました。冬の夜なので外は吹雪が窓を揺すぶっていましたが、中はとても暖かく、居心地が良かった。

司祭は読みながら、長生きした人生で目撃したさまざまなできごとを思い出し、そしてそれらを自らの手で史書に記録していました。しかし、その日、今まで一度も読んだことがない一節が目にとびこんできました。「クリスマスの夜、寺院の中で、死に装束を着ている者がいれば、その翌年に必ず死ぬことになる」と大きな文字で書いてありました。

司祭は何かを振り払うかのように、幾度となく頭を振りながら、その迷信めいた予言を何度も読み返しましたが、いくら読んでもとても信じることができませんでした。気がつくと夜も11時を過ぎていたので、眠くなった司祭が史書を閉じて寝ようとしました。いつの間にか外の吹雪が静まり、夜の静けさの中、寺院の方からこの瞬間には聞こえてくるはずのない祈りや歌の声が聞こえてきました。教会の窓に明かりさえも差していることに気づいた司祭はびっくりして、確認するために鍵を取り、コートを肩に羽織って、寒い夜中へ出かけました。

カンテラに火をつけて墓地を横切る間、そこここに不気味な影が現れましたが、司祭なので幽霊を恐れることがありません。しかし、教会の門を鍵で開けようとした瞬間さすがにすこしためらいました。中には何が待っているのでしょうか。

ギイギイきしみながら重い扉が開いて現れた中の光景に司祭は肝をつぶしました。寺院の中でミサが行われているように信者が密集し、席に座っていました。とっさに司祭は息を殺して柱の後ろに隠れ、こっそりと見物をすることにしました。驚いたことに、君衆の中にはたくさんの知っている人がいることに気が付き、見れば見るほどそこにいる全員が見慣れた知り合いであることがわかりました。

自分の家政婦や町の夜警のような年寄りと並んで、つい最近結婚したばかりの夫妻や、昨日自分の手で洗礼を与えた子供さえもいました。そして、次の瞬間、司祭は我が目を疑いました。祭壇のそばに立ち、ミサを行っていた司祭は紛れもなく自分だったのです。その上、集まっていた皆は例外なく死に装束を着ています。茫然した司祭はこの場面はまるで悪夢を見ているようなど感じました。

翌朝、その悪夢のような出来事を思い出しましたが、実際に起こった事件がどうかまったくわかりませんでした。史書を聞いて昨日読んだ一節を探しても、完全に、消えたように見つかりませんでした。しかし、もしかしたら神様のお告げなのかもしれませんと思った司祭はこれを幻覚の形で史書に書いておきました。

新年が明けると、本当に予言であったことがわかりました。

ウィーンで疫病が流行し、聞く薬もなく、沢山の人々が短時間で死んでしまいました。年が明けて間もない二月ころ、すでに年取っていた司祭もやはりその病気にかかって、死がすぐそこまで迫り危ない状態になってしまいました。

神様の意思なら命を捧げても構いませんが、窓の前のベッドでの中で、墓地の中に立っているリンデンバウムの花をもう一度見たいなと司祭は悲しく思っていました。そのリンデンバウムは彼にとってとても大事な存在でした。なぜなら、若いころシュテファン寺院の主任司祭に任命された時、自らの手で植えて大事に育てた木だったからです。今は冬なので葉を落として淋しい印象を与えていましたが、毎年春になるとその木の緑の中に鳴いている鳥の声と咲いている花の香りに、司祭が力をたくわえさせてもらいました。が、今年は彼にとってそんなことにならないような気持でした。

「ちょっと窓を開けてくれないか」と司祭は彼のベッドを取り囲んでいた医者と看護婦に頼みました。「それはだめですよ。この真冬の寒さが体によくありませんわ」と彼を心配した看護婦は答えました。が、司祭が強く懇頼したので、結局、医者が譲って、窓を開けました。

外は一日前と比べて暖かく、まるで春のような天気でした。リンデンバウムの枝を覆っていた雪はとけ、木は奇跡が起ったように緑の葉で覆われ、さながら五月下旬のように美しい花が咲き乱れ、病室に香りが溢れました。今度も司祭は力をもらいましたが、しかし、それは生きるためではなく、死ぬための力でした。

幸せな微笑みの中、司祭はその奇跡を見ながら息絶えました。すると、やわらかい風がたち、舞い散った花が彼の体を覆いました。まるで愛されたリンデンバウムが別れの挨拶をしたようです。木は司祭の葬式の日に再び葉を落としてしまい、墓地の中に淋しく立っていました。

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