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Episode 011 「ソルト&ビネガーのポテチを食べすぎると・・・」

この写真、向かって左から2番目が私。そして真ん中の黄色いポロシャツを着ているのがバディー(Episode 004参照)であるルーク。ルークとは、もちろん学校内でも遊んだが、彼はもっぱらクリケット派ということもあり、サッカー派の僕(Episode 009参照)は、お昼の休み時間は別々に遊んでいた。因みに、オーストラリアではクリケットが盛んで、日本におけるサッカー、野球、バスケ、並みに人気があった。もちろん、サッカー一筋であった私が(オーストラリアに行くまで)クリケットの存在を知る由もなかった。寧ろ、日本で生活していて、1996年当時、小学生の私が「クリケット」という単語をそもそも耳にする確率は、空から魚が降ってくるのと同じくらいの確率の低さ、とまではいかなくとも決して高いとは思えない。

尚、日本では全く馴染みのないこのクリケット、世界的に見てそのプレーヤー人口はサッカー、バスケットボールに続き3位である程人気なスポーツである。クリケットは、元々野球の原型となったスポーツでもあると言われ、試合中にはティータイムもありその雰囲気から、別名「紳士のスポーツ」と言われている、らしい。イギリスでは上流階級が嗜むスポーツとされている、との事である。16世紀にイングランド南部で初めてプレーされ、18世紀末までにはイングランドの国民的スポーツへと発展した。クリケットはイギリスで発祥したスポーツである為、インド、パキスタン、バングラデッシュ、スリランカ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ジンバブエ、西インド諸国といった英連邦諸国では絶大な人気を誇る。因みに、個人的にはその魅力を理解できていないでいる。

クリケットは、元々野球の原型となったスポーツでもあると言われている。

放課後は大抵、ルークの家で遊んだ。ルークは3人きょうだいだった。ルークの上にエイミーとアリーシアという姉が二人いた。エイミーが上のお姉さんだった。二人ともルーク同様、ルークの両親が里子として韓国から引き取ったと思われる。当時(1996年の当時、私は12歳だった)は、状況をよく理解していなかった。いわゆる、白色人種のオーストラリア人の夫婦の間に、容姿は韓国人の子供が3人。ルークのご両親は、子供を授かる機会に恵まれなかったのかな、と子供ながらにも思った。そしてそう言った理由から、養子としてルーク、エイミー、アリーシアの三人を引き取った、と思っていたのだが、後にルークの家に飾ってある写真や写真立てにルークの両親の間で生まれたと思われる子供達(つまり、白色人種の息子)と一緒に写っている写真を見た。詳細はわからないが、私が勝手に理解しているのは、ルークのご両親の想いとしては「自分達の子供も成長し手を離れたので、韓国から子供達を3人(エイミー、アリーシア、ルーク)迎え入れることにしよう」という具合である。

今となっては、真実を知る由はないが、そんなものは別に知らなくても特に問題はない。どんな理由にせよ、ルークのご両親は自分達の子供以外に海外から3人の養子を受け入れた、という事は事実なのだ。日本にいた時の12歳の子供(=私)としては、自分の周りで起こっている事以外に対してはあまりにも知識および経験がなかった。自分の周りで起こっていること、自分の目に映るものだけが、世界の全てだと思っていた。もちろん、或いはそれは致し方ない事でもあるのだが。そんな中、オーストラリアに行き、ルークの家族に会った時に、その家族構成が日本の、自分が慣れ親しんでいた友達の家族(および自分の家族構成含む)のそれとは全く異なったので、正直驚きを隠せなかったこともあるが、実際には驚いたという感情よりも、理解ができなったという表現が正しい。そう、自分の頭では適切に解釈できる領域を超越していたのだ。ただ、子供とはやはり順応性および理解度が高く、事情は置いておいて、「細かい事はわからないけど、どうやら人生とは色々難しいことだったり複雑なことがあるんだな、うん」で済ませられる能力がある。

ルークの家には犬が2匹(多分2匹だったと思う)居た。毛が長い犬で、本来は可愛らしいのだろうが、おそらくオーストラリア特有の「適当」(良くも悪くも、オーストラリアを語る上で、この、「適当」という言葉はキーワードである。この、適当または「いいかげん」については詳しくこの先のEpisodeにて追い追い説明していく)という感覚なのであろう、シャンプーを充分にしておらず、子供ながらにも臭い犬だな、とそう思っていた。ベロを出して無邪気に近寄ってくるのだが、臭くて正直少々迷惑な気持ちになっていた。

ルークの家では、庭で遊んだり、道を挟んだ向かい側に大きな公園(芝生が広がるフィールド)があったのでよく走り回っていたと思う。併せて、よくオーストラリアンフットボールをして遊んだ。日本人には馴染みのないスポーツだが(寧ろ、オーストラリア以外の国では行われていないスポーツだと思われる)、ちょうどラグビーとアメフトを足して二で割った形のスポーツである。尚、このスポーツは相当ラフ(フィジカル面で)なスポーツであり、個人的には知性よりも圧倒的にフィジカルな要素のみが求められると感じられた為、自身でこのスポーツをやりたいと思った事は一度も無かった。気になる方は是非YouTubeで「Aussie Rules Football」と検索してみていただきたい。やはり、個人的には、いつまでもサッカーが好き(Episode009参照)だった。

夏にはルークの家のプールで遊んだ。しかしながら、プールが位置する場所はちょうど日陰であった為、入る度に寒い思いをしていた。寒すぎて、よく水から上がり、太陽で熱せられたコンクリートの上にタオルをひいて日向ぼっこをしていた。寧ろ、プールに入って遊ぶより、この日向ぼっこの方が好きだったかもしれない。また、よくシャワーも使わせてもらった。シャワーを長々と浴びで温まっていたが、後に悪い事をしたな、と後悔する事になる。オーストラリアは日本と違い湿度が非常に低く、つまり極度に乾燥しており、国全体が水不足なのである(少なくとも、当時(1996年頃)は、そうだった)。従って、多くの家庭では(少なくとも当時は)シャワーの水は、タンクに貯まっている雨水を使用していた家庭が多かった。つまり、水の量(詳しくは、家で使えるお湯)が有限なのである。そんな中、日本の感覚で(蛇口をひねれば、無限にお湯が出てくる状態)ルークの家のシャワーを使っていたのかと思うと、非常に申し訳ない気持ちになった。夕ご飯の時間あたりになると、母親が車で迎えに来てくれるのだ。または、ルークのお父さんの白いバンで家まで送ってもらう。これが日課となっていた。そう、オーストラリアでの移動手段は、殆ど車なのである。

雨水を貯めるタンク。例えばこんな具合。

このネールスワースプライマリースクール時代に、林間学校的な行事(一泊してキャンプに行く)があった。尚、(この行事で)どの様な催し物があったか、などは憶えていないのだが(おそらく大して無かったと思う)、うっすらと憶えているのは、夜寝る前に読める様にと、なぜか(日本から姉がオーストラリアに持ってきていたマンガ)「行け!稲中卓球部」を一冊持参したという事だけである。もちろん、そんなものを読む暇もなく完全に持って行く意味及び必要性はなかった。もう一つ憶えているのは、みんなで森だか林だかの中を探索している際、足を滑らせて少しだけ倒れる形になった。怪我などは全くなかったのだが、気の優しいとある男の子に「Are you alright?」と訊かれ、(英語が話せないので)どう答えて良いか分からずとっさに「Are you alreight?」と、なんとオウム返しをしてしまった。当時、英語がわからなかったと言えども、最低限、(「Are you alright?」に対し)「Yes」くらいは言えたのではないか、とも思うのだが、そういう訳には行かなかったみたいだ。

レジェンダリーな漫画。

尚、この行事(=学校のキャンプ)にて初めてポテトチップスのソルト&ビネガー味というものに出会い、偉く気に入った記憶がある。否、「気に入った」なんてものではなく正に「衝撃的」であった。日本の小学校とは違い、オーストラリアの小学校はお菓子持参が認められていた為、毎日の様にお菓子を持って行っていた。ランチの時間にサンドウィッチ及び果物(りんご、洋梨など))と一緒に持っていくのである。その際に気に入って食べていたのがこのソルト&ビネガー味のポテトチップスである。それまでに食べたことのない味であり、えらく気に入って食べ続けた記憶がある。食べて食べて、食べまくった。終いには、舌から出血する程食べた記憶がある。また、このポテトチップスについてくるTazosという、直径4cm程度の円状の薄いプラスチックのオマケが気に入り、必死に集めていた。今となって考えると、何が良くてそんなものを集めたいと感じたのかが全く理解できなのでが、子供とはつまりそういうことである。

Tazos

初めて出会ったこのソルト&ビネガー味のポテチ、当時(1996年)から28年経った今でも、口にすると当時の思い出が蘇るのである。

「食べるなら 出血するまで 食べきろう」と詠んでいる場合ではない。


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