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Episode 077 「っかんっっがえっっらぁあれへぇん!」

ハイスクールに通い始めてからは、毎日バスでの通学だった(そう、ペニントンプライマリースクール(二つ目に通った小学校)の時に様に、タクシーで通学(Episode014参照)、という事は無かった)。ただ、オーストラリアのバスは頻度高く遅延していた。少なくとも、バスを頻繁に使用していた2000年前後は、であるが。時間通りに来ない事は多く(寧ろ全く珍しくない)、また、全くこない場合(予定されていた時間のバスが来ず、次の時間のバスまで待たされるという具合である)もあった。

しかしながら、バスの移動は全く苦にならなかった。音楽を聴きながら読書ができる、という状態がたまらなく好きだったのである。因みに、当然ではあるが、当時は家を一歩出ると全てが英語の生活であった。つまり、日本語の読み書きをする機会は自ら進んで意図的に作らない限り存在しなかった。

土曜日の日本語補習校はあったが、週に一回、その上数時間足らずであったし、また9年生(中学3年生)には日本語補習校は卒業していた。いわゆる、サタデースクールというものだったか、週に2、3時間程度だった。

普通の道から、この様にレールの様なそれに切り替わるバスもある。正にこの路線に乗ってハイスクールに通学していた。そう、読書と音楽を楽しみながら。

その様な事から、可能な限り日本語の本を積極的に読む様にしていた。尚、当然ながらオーストラリアの書店には日本語の本は(当然だが全く)売っていないので、日本の友達から(日本から)送ってもらうか、または私が日本に遊びに帰った時に纏めて購入してくる、というこの二つの方法が日本の本を入手する限られた手段であった。当時は、現在とは異なりネットで買い物をする、という行為(併せて環境)もほとんど行われていなかった。

好んで読んでいた本のジャンルとしては、もっぱらノンフィクションであった。また、その中でも伝記またはビジネス本を好んで読んでいた。父親の影響で竹村健一(評論家、ジャーナリスト)の本に触れたのがおそらく15、6歳の時。その後、大前研一(経営コンサルタント)の本なども好んで読むに至った。特に大前研一の影響はハイスクールの学生だった自分には大きな影響を与えてくれた。もちろん様々な本を読んだが、ハイスクール時代に強く印象に残っているのはこの人の本の数々である。

懐かしい。
懐かしい。
これらの本を読んでいたのは、15〜18歳頃と記憶。20数年前以上の話である。

読書と同じくらい好き(また、のめり込んだ)だったのは、やはり音楽(Episode064参照)である。当時はまだ、部屋で音楽を楽しむ方法と言えばCDの他にカセットも再生できるタイプ(つまりMDプレーヤーではないタイプ)ステレオコンポが主流であり、必要以上に大きなそのコンポで様々な音楽を聴いた。現在(2024年)の様に、オンラインやサブスクリプションでネットを介しコンピューターや(スマホ含む)タブレットなどで音楽を聴く、という次元の話しではなかった。

あくまでもイメージだが、こんな感じのコンポだった。時代を感じる。

所有していたのは、確か、SHARPかなにかのコンポだったと記憶する。購入してからどれくらいの月日が経ったかは全く憶えていないが、一度そのコンポ本体が熱を持ってしまいCDが再生されないという状況があった。CDを挿入し再生ボタンを押しても、ぐるぐると機械の中でCDがローテーション(3枚同時にCDを入れられるタイプのコンポだった)をし続けるだけだった。あたかも、ウェイターがお盆に載せたお皿三枚を、お客さんのテーブルに置くことなく、そこに立ったまま、何故かお盆の上でそれらお皿の位置をカチャカチャと音を出しながら時計回りに移動させている様に。

そこで、このコンポを購入したお店(そう、アーンデールショッピングセンターのBIG Wというお店で購入したものだったと記憶する)にて修理をしてもらうためにステレオ本体を預けた。修理が終わり次第連絡をもらう事になっていたのだが、なかなか時間が経っても連絡が来ず、こちらから電話をしてみた。どうやら、既に修理は終わっている、との事だったので車を走らせ受け取りに行った。修理が終わっているならなぜ連絡をよこさないのだ、という想いを胸に。

しかし、そこはオーストラリア。つまりそういった事に全て腹を立てていては身がもたないのである。日本のサービスの質を求めてはならない。何はともあれ、無事、修理済みのステレオを家に持って帰ってきて早速電源を入れたのだが、正常に起動しない。何回やっても、同じだった。

相変わらずCDを3枚同時に載せるパーツが、コンポの中でガチャガチャと音を立て(再生する事なく)ひたすら周り続けた。そう、相変わらず、ウェイターがお盆に載せたお皿三枚を、お客さんのテーブルに置くことなく、そこに立ったまま、何故かお盆の上でそれらお皿の位置をカチャカチャと音を出しながら時計回りに移動させている様に。

その瞬間、分かってしまった。これは、恐らく修理にすらしっかりと出されておらず、あのお店にずっと置きっぱなしだったのだ、と。つまり、あたかも修理がさなれたかの体(てい)で、(私に)戻されたのだ。仕方なく、再度お店に持っていき、コンポが直っていない旨を伝えた。また、そもそも修理にすら出していないのではないかと思っている、と指摘したところ、その担当者の女性は、初めのうちはモゾモゾとなにか言っていたが、最終的には逆ギレをし始めた。

彼女は、「私のコンポだって、壊れて修理に持っていたが、直らなかったわ!!」という具合に。つまり、この店員の女の子曰く、「私だって、コンポを修理に出した事あるけど直らなかった。だから、あなただってコンポが直らなかったくらいで怒らないでよ!」である。全く意味が分からないキレ方である。

この様に、Episode076で述べたよう、オーストラリアは非常にいい加減な部分(そして、日本スタンダードでは考えられない(そう、正に、木村祐一の「っかんっっがえっっらぁあれへぇん!!!」である)事が頻度高く起こる)が呆れるほど存在するのだ。

尚、以下の動画を是非見ていただきたい。

特に、サービス業に関しては、正直、ものすごくクオリティーが低い。日本で言われている様な、「お客様は神様」的な要素は恐らく1mmも存在しない様にも見える。そもそも、(オーストラリアでは)サービスを受ける側の消費者も、実はそんな事(過剰なサービス)は最初から期待していない、という可能性も無くはないという風にも見える。(※尚「お客様は神様」という考え方を肯定しているわけでは全く無い)

また、いい加減な事と言えば、家周りの修理である。例えば、水道の詰まりで修理を頼んだとしよう。その場合、日本では恐らく、「では、午前10時頃お伺いさせていただきます」という具合で、万が一遅れる様な事があったとしても、せいぜい10分~15分くらいだと思われる。そんな中オーストラリアの場合であると、「では、9時から18時の間に行きます」といった具合になる。つまり、一日中、朝から夕方まで気を張って、どこにも出かけられないまま修理の人を待たなければならないのである。

あまりにもいい加減な国、オーストラリア。過剰なまでのサービスを提供する日本。どちらが良いのか、それは視点によって異なると思われる。サービスを受ける立場であるのなら、オーストラリアではなくもちろん日本だが、もし自分がサービスを提供する側に立ったとした場合、日本よりもオーストラリアの方が良い、という考え方もできなくはないと、そう感じる。

しかし、この「サービス」に関して、2010年に日本に帰国して少々、苦労とまではいかないが、違和感を覚えた(そして、2024年の今でも、たまに感じる時はある)。具体的な例でいうと、例えばこんなエピソードがある。

とある夏の日、タクシーに乗り込んだ。オーストラリアにてタクシーを乗った場合は、礼儀としてドライバーと軽い会話をするものとされている。そう、(日本の習慣に倣って考える場合)誰かの家に招待された際にはちょっとした手土産を持参する様に。ちょっとした気遣い、という事だ。

従って、この癖で、なんとなくドライバーに話し掛けてみた。もちろん、他愛のない、軽い話である。夏の暑い日だったので、何気なく「いやぁ、しかし暑い日が続きますね。今日も、暑いですね」と言うと、ドライバーの人が「あ、すみませんっ!!空調強めますね」と言って、クーラーの風の量を上げた。

もちろん、このドライバーは、サービス精神でそうしたのだろうが、個人的には、暑くて空調の調整をしてもらいた場合においては、恐らくそんな間接的な言い方はせずに、直接、ダイレクトに言うだろう。

もちろん、会話をするにあたり、行間を読む、という行為は重要である。しかしながら、時に、ややこしいことになる、と改めて日本に戻ってきて、そう感じた。

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