【借りものたちのメッセージ】 第4編 「そして、私がいなかった」 (No.0232)


 思えばこいつで何台目になるだろうか?

随分と乗り継いで来た気がするが、どれもこれも手元にはない。
とうにすり抜けてしまった。
このオンボロだけがいま、こうして手元にあって毎日わたしのために活躍してくれている。

数年前に捨て値で売ってもらったこのオートバイだって、買った当時からもうボロだった。
まあ、だから安く買えたのだが。

学生の頃から考えても、こいつが一番安く手に入れた乗り物だ。
土地バブルの頃はこのわたしにでも外車が何台も買えた。
乗り心地もこだわりもどうでも良かった。

ただ周りに自慢できるものを競うように買った。
ダサくなったらすぐ買い替えた。
もう車種すら思い出せないくらい、何の思い入れも無い。
旅行かばんすらロクに詰めないような代物もあった。
役には立たなかったが周りの連中には自慢できた。


でも、今わたしが乗っているこのオートバイは違う。
どうみてもボロだしダサいし商品価値など無い。
労働者の象徴みたいな乗り物だが、役には立っている。
いやそれどころか有り難いとしか思えない。
この人家のない山の中を、老いた男を乗せたうえに農具や作物を一緒に運んでくれるのだ。
雨でも風でも関係なく、頑張ってわたしのために懸命に働いてくれる。
排気ガスも強く出るし音も出る。ガタが来ているのは確かだ。
しかしそれは乗っているわたしもおんなじだ。

わたしもこの歳になるまで、このオートバイくらい働いてきた。
食うために、遊ぶために、欲しいモノのために、家族のために。

このオートバイにも調子の良い頃はあったのだろう。わたしのように。

その調子の良い時をこいつはどう過ごしたのだろうか?
どこまでも足を伸ばして走り続けたのだろうか?
その頃のオーナーはお前をどこか見晴らしの良いところに連れてってくれたりしただろうか?
とはいってもただの労働バイクだし、そう遠出はさせてもらえなかったろうが。

わたしもそうだ。
どこで働こうが結局、ただその場その場で言われたことをそのとおりにこなすだけだった。
学生時代の肉体労働からはじまり、就職してネクタイを締めたあとも。
何度も職を転々としながらも結局はただ言われるがまま全力で働いてきた。
そのなかでも浮き沈みがあった。でもその波は時代とともにだった。

時代が浮けばわたしも浮いた。時代が沈めばわたしも沈んだ。
このオートバイのようにハンドルは自分ではなく別の奴が握っていたのだ。

もっとも高く浮き上がったときにわたしは結婚した。
そしてもっとも沈んだときに別れた。
その沈み込みが長く続いたあるときに、わたしの人生が変わった。


そうしてわたしはこの山にいる。
この山はわたしのものではない。だが許可をとって使わせてもらっている。
ギアを1速に入れてどうにか山道を登ったあと、農具を担いで山へ入りそこからけもの道を進んでやっとこさ畑につく。
この畑だって、もとからあった訳ではなく許可をもらったあとにわたしが自力で切り開いたものだ。
わたしは畑にも農業にも、山にだって全く詳しくなかった。それは今でもそうだ。
だけどやってみた。もう他に行く宛もなかったし頼れる場所もなかったから。


はじめは山で山菜や川の魚を釣ってしのいでいたが、猟に来ていたこの山の所有者に見つかり事情を話すことになった。
爺さんも一人暮らしで孤独だったからだろうがよくしてくれた。
わたしの境遇を理解してくれた。
最初の頃は爺さんの知り合いの伝手で野良仕事などの季節労働や細かい仕事を手伝わせてもらっていたが、都会育ちのわたしにはこのど田舎の山での生活はすべてが真新しく、子供に戻ったような気分だった。
失うだけ失って流されるようにやってきた空っぽのわたしだったが、やる気が満ちてきたのだ。
そのうちにこうして今やってきた、この山の中の畑を自分でこさえる日々が出来たのだ。


今はまだ爺さんのところで世話になっているが、そろそろ自分で小屋でも作って山の中で暮らそうかとも思っている。
ここで作った作物は爺さんの家から更に下っていった町で売らせてもらっている。もちろん勝手にやっているし殆ど売れやしない。
誰がこんな汚い親父の売っている得体のしれない芋なんか買うだろうか。
麦だってスーパーで買えば数百円だし、そんなのわざわざわたしからなんて誰も買わない。


お金や所有物では未だに人生のどん底状態だ。それはもう変わらないかもしれない。
でも、この生活ほどわたしが満ち足りたときは無い。
この山の中に入って急に開けた場違いな畑が目の前に広がったとき、もう何百回も繰り返しているこの瞬間の光景は今だってわたしを興奮させる。


無理ないだろ? だって自分で作ったんだぜ?

大したスペースではないけど、山を切り開いたんだ。
木を切ってヤブを切り開いて木の根を掘り返して、道具を運び入れて、耕して植えて・・・


こうして苦労して、懸命に向き合って、そして出来た芋や麦は市場では何の価値もない。
ただのカスだ。だれも見向きもしない。一瞥くれて素通りされるだけ。



だが、それが悔しい?
それが悲しい?
怒りを沸かせたか?


いや、一切ない。


わたしにはただただ、充実感しかない。



強がりじゃない。

1キロの麦、ひと粒ひと粒が、いやそれどころか麦わら一本だってわたしには誇りだ。

この地にわたしが手を入れたから、この麦わらがあるんだ。
それに価値が無いなんて、どの口が言えるだろう?


わからない人にはわからない。前のわたしのように。
でもわかる人にはわかる。今のわたしみたいに。


自分でやったのだ。
自分でやっているのだ。
その成果がこれなんだ。
売れない?だから何だというのか。


わたしは手に入れたんだよ。
わたしはこの経験で知ったんだ。
この歳まで知らなかったことを知ったんだ。やっと教えてもらえたのだ。
それが全てだ。 いや、ちょっとちがうか・・・

正確には『それが始まりだ』かな。


そこからすべてが始まるんだ。

その始まりすら、これだけ働いて生きてきても、時には大きく稼いできても、手に入れられなかったのだ。


今度、山のふもとの方にある小学校が取り壊されるようだ。
まったく嬉しい。
感動だね。

取り壊されたあとはただの空き地にしかならないだろう。
あんな不便な場所になんて、もう誰も近づきやしない。
だから、わたしはその空き地に畑を作ってやろうと思っている。


これまでさんざんぶっ壊してきた学校が、今度は逆に壊されて畑になるんだ。
これはわたしには最高の冗談だ。


絶対にやってやる。
子どもたちの怒りをわたしが晴らしてやるんだ。


この目の前にある畑は、もうこれ以上は拡大できないだろう。
しかし、別にそれを悔やむことはないのだ。
だってここに、この場所にこだわる必要なんてないのだから。
学校の空き地があるからどうとか、そういうことでもない。


わたしはもうここで手に入れたのだ。だからもうこだわる必要など無い。
それは経験?
それとも情報?
テクニック?
人脈だろうか?


いやそうではない。
そういうことじゃあない。
わたしは始まりを手に入れたんだ。


これなしでは何も始まらない。それを手に入れたわけだ。
この歳になって始まりも何も無い、と世間は言うだろうな。

それこそ馬鹿げた話だ。
そんな戯言に、かつてのわたしは揺り動かされたかと思うと情けなくて仕方ない。
まあでも今のわたしは1ミリも影響されないのだし良しとしようか。


どんなに走ったところで、どんだけ速く走ろうがどれだけの距離を走ろうが、そもそもスタートを切っていなければ何の意味もない。
わたしはやっとこさスタートラインを踏み越えたのだ。
馬鹿げてると思う奴らが居るだろう。
いや、そんなふうに思う人の方が多いだろうな。


そんな奴らこそ、わたしのようにこうして畑を拓くことを始めるべきだ。
きっとわたしみたいに学ぶだろうから。


この充実感が特別?
いいや、これこそ普通なんだ。
これをスペシャルになんて、させない。
それこそが、わたしのような人間を作り続けてきた根本的な価値観だから。


この土をひとすくい手に載せるだけで、わたしの心は感謝の気持ちで満たされてしまう。
この土の手応えを、一体誰が本にしているのか?
この手応えをどうやって学ぶ?
どうやって人から教わるのか?


無理だ。
不可能だ。


それは自分でやるしかない。


当たり前だろう。でも誰もやらない。
誰一人、わたしの意見になんて同意しないのだ。
こんなことですら。


でももしテレビや教師や政治家が言ったなら、誰も彼もがこの土を我先にと奪い始めるだろう。


わたしが言ったところで指一本動かさない。
わたしが路上で売る芋を見る歩行者たちのように振る舞う。
でも、テレビが言ったらすぐに動き出す。
学校が言ったらすぐに行う。
政治家が言ったら何でもする。


誰も自分でなんて判断はしない。
誰も自分でなんて考えない。


その行動の際に、なんでなのか? という疑問は生まれないのだ。


かつてのわたしでさえも、流石にそこまではなかった。
そこまで流されることはなかった。

だからこれほどにまで流され、何一つ疑問も持たずに馬鹿げたことが平気で出来る人たちが理解できなかった。


ただ軽蔑と呆れの対象だった。


でもこうした生活を続けることで、その答えもわかった。


その幼稚を超えて、不気味としか思えない行動にも、しかし理由がわかると納得できるようになった。


だって、このオートバイと同じなんだから。
結局ハンドルを握っている奴の言うことには逆らえないんだ。


そう考えると、なんだかとっても寂しいじゃないか。
ときに彼らに怒りを覚えてきたが、実は彼らはとっても哀しい人たちなのだ。
そして、少し前のわたしも同じだった。
全くと言っていいほど同じだったのだ。


そうだ。
だとしたら彼らだって、誰だって変われるじゃないか。
チャンスだってきっとあるはずだ。

きっと必要なのはきっかけなんだ。
わたしが人生のどん底のとき、あらゆるものがわたしの手から離れていった。
でも、それがきっかけだった。
それがチャンスだったじゃないか・・・


わたしは気がついた。
そうだ、これだ。
わたしはこの瞬間、ビシッと背中を叩かれたような感覚を覚えた。


わたしはすぐに今日の分の芋を収穫し、すぐさまオートバイまで引き返して山を下りた。
そして間借りしている爺さんの家の離れに着くなり、押し入れから黒いケースに入ったギターを取り出した。


この地で土を触り始めてから一度も開けていないギターケース。
中を開け状態を確認する。
うん、いけそうだ。


私はギターと芋を持って、すぐさま街まで下りた。


途中、爺さんとすれ違った。
勢い良く飛び出してきたわたしに驚いて、立ち止まって振り返っている顔がミラーで見えた。

悪い、爺さん。帰ったら説明するよ。


街へ着くと、いつもの往来に陣取り、普段通りダンボールに赤ペンキで書いた値札と芋を並べた。
だが普段と違い、その横へ開けたギターケースを置いた。
わたしは赤い派手な内張りを施したそのギターケースに小銭を放り込んだ。
いわゆる見せ金である。


そして抱えた深いブルーのギターのチューニングを始めた。


そうだ。
これだ。

わたしはここで芋を売ることが目的ではないのだ。
わたしはこの地でたいせつなものを手に入れた。

それはこの地でないと手に入らないものではない。だがわたしはここだった。人によっては色々だろう。
別に畑作業である必要もない。
なんでもきっかけとなるだろう。


でも、わたしはここだった。そしてこの芋がきっかけだった。
ここで育てたんだ。
ここで育ったんだ。


ここで手にしたものを、この喜びを人に伝えたい。
この思いを。

わたしは人に伝えたいんだ。
この気持ちこそが、だれかのきっかけになるかもしれない。


わたしの作ったこの芋を、ここで毎日のように並べて売ってきた。
それはお金のためだったのか?
そんなにお金が欲しかったのか?


いいや、ちがう。
そんなにお金が欲しかったら、もっと効率の良い方法がある。

ではなんで?

そんなことも深くは考えていなかった気がする。


そこに気がついた。
わたしは、人に見てもらいたかった。
わたしが頑張って作ったものを。
それはこの地でいただいた大切なものがきっかけで生まれたものなんだ。


素晴らしい恵みの結晶なんだ。
その結晶がこの芋だ。
そして、わたしなんだ。
売って儲けて稼いでなんて、どうでもいい。


わたしは大切な人生を懸命に使い、その成果を、結晶を見てもらいたいんだ。


そして、出来ればそれで誰かに喜んでもらいたい。
役に立ってもらいたんだ。


きっかけになれることをしたい。
今のわたしに出来ることはこれだ。


わたしは久しぶりにギターを弾き、即興で歌を唄った。



モデルの着ているスーツが欲しくなった
とても良く似合っているから
タレントの食べているドーナツが食べたかった
すごく美味しそうだったから


100万人が観ているビデオに共感していた
まるでわたしに話しているみたいだった
100億かかった映画を観て涙が止まらなかった
これは私の映画だと


わたしは毎日見ていたけど 彼らはわたしを知らなかった
彼らに笑わせてもらっていたのに わたしの笑い声は彼らに届いてない
わたしだって時には人に褒められた 偉いぞって言われたけど
でも そう話す彼の目は わたしに向いてなかった


パンくずを持って 公園に行って 1羽のハトにあげる
ハトはそのうち わたしを覚えた 顔を見ただけですぐ飛んでやってきた


悲しいんじゃないんだ それどころじゃないんだ
涙が怖いんじゃなくって
溢れてくるその場所を わたしは知らないんだ
触ろうとすると 止められるから
調べようとすると 邪魔されるから


それは わたしのものなのに
わたしのものの はずなのに
どうして 許可が必要なんだ?
そんな振る舞いをする あなたはだれなんだ?


考えようとする
でもできない
なぜって それは


わたしが いないから



誕生日にもらったボールは
最初から破れていた
買い物のついでに買ってもらったぬりえは
すでにデタラメな色が塗られていた


わたしはそれを直すことから始めた
そうしないと遊べないから
わたしはそれを消すところから始めた
そうしないと塗れないから


ある日わたしは見てしまった
親がボールを壊すところを
買ったばかりのボールをナイフで
わざわざ壊すところを


なんでそんなことをするの?
どうしてきれいなままに してくれないの?


それは大きくなってからも変わらなかった
いつだって わたしの持ち物は 誰かに必ず壊された


使う時間は 直す時間によって 奪われた
寝る子は育つって言うくせに いつも痛みで眠れなかった
いつだって刺激が邪魔をして わたしから奪っていった


だからいっそ 全部を捨てたんだ
放り投げたんだ それでやっとわかった
散らばったガラクタたち どれもこれも
ただの重荷だっただけ 走るのに邪魔だった


軽い足が走る どこまでも 進めた
疲れ切ったとき 空いた手が初めて掴んだもの 
それが教えてくれた ついに知ることが出来た
その手応えに嘘はなく 熱は冷めることもなかった


これはわたしの机になって これはわたしのペンになった
知りたいことはすぐわかった 疲れたときは横になれた


全て受けとめてくれた 全て受け取ってくれた
離れても待っていてくれた 必ず迎えに来てくれた
涙を拭いてくれた 汗を拭ってくれた


どこまでも知ろうとした だから知ることが出来た
投げたものが返ってくる それでわたしの力が見えるように


それは刺激じゃなくて はじめての安らぎ
それからやっと 出会えたわたしは 


わたしを 知れた


わたしが 居た


やっと わたしは


わたしに 会えた






久しぶりの演奏で緊張し、目をつぶって唄った。
歌い終わると、目の前に婆さんが一人いた。


「良かったわよあなた。面白かったわ。久しぶりに楽しいものが聞けたわよ。」


婆さんは小さな手でパチパチと拍手をしてくれた。
見たことのない人だった。


「ありがとう。わたしも久しぶりに演奏したんで緊張しました。楽しんでくれて何よりです。」

「それにこっちも何だが面白いわね。お芋なの?」


婆さんは売り物の芋を見て言った。


「ああ、それは芋です。タロイモっていうんです。すごい大きいですけど要は里芋ですよ。国によっては主食として食べられている一般的な芋です。日本では全く馴染みがないですけどね。健康的な食べ物なんで広まって欲しくて作ってるんですけど、全然売れないですね。ははは。」

「あら里芋みたいなのね。面白いわ。なら一つ頂こうかしら。」

「嬉しいね。ありがとう婆さん。こいつは里芋と違ってデッカイから一回の下処理で沢山食べれて良いよ。」


わたしはビニルに包んで婆さんに渡した。久しぶりに売れた。
やはりギターの演奏はとても効果があったのだ。嬉しくなった。


「はいありがとうね。 ええと、何さんかしら?」


婆さんは値札の書かれたダンボールなどにキョロキョロと目をやった。

そうか、しまった。店名が無い。いや当たり前である。何しろ勝手に売っているのだから。
しかし、こうして喜ばれて売れてしまうとこれまで自分がやっていた販売への態度の中途半端さに気付かされ恥ずかしくなってしまう。
店名すら無いのだ。
いかにこれまで適当でやる気が無かったかを自ら思い知った。


「ああ、、、名前ね。 ええっと、、、。」


さてどうしたものか。
咄嗟なことで目を泳がせていると、地べたに座っている目線に、自分が乗ってきたオートバイの泥が付いたゴツいシャフトドライブに反射する光と、そのカゴに入れた黒い飲み物のボトルが目に入った。


「ああ、わたしはそう、わたしはさすらいの吟遊農夫、Dr.吟遊です!」

「ドクター⁉ あらお医者さんなのかしら?」

「いや違うよ。あんなのと一緒にしないでおくれ。医者は嘘つきの銭ゲバだけど、わたしは違うよ。わたしは本当に人のすべての健康のために全方向から活動しているのさ。歌でも、芋でも麦でもね。」

「あらそうなの。やっぱり面白いわあなた。ありがと、またねギンさん。」


婆さんは小玉スイカサイズのわたしの芋を持って去っていった。



こうしてわたしの、Dr.ギンのお店が、活動が始まった。





【借りものたちのメッセージ】 第4編


「そして、私がいなかった」 (No.0232)



おわり




【ほかにはこちらも】


【借りものたちのメッセージ】シリーズ

【シンプル・プラン】シリーズ

【カメオの共鳴】シリーズ

【2つめのPOV】シリーズ

【グッドプラン・フロム・イメージスペース】シリーズ

【想像の番人】シリーズ

【獣人処方箋】シリーズ

【身体の健康】シリーズ

【楽園の噂話】シリーズ

【過去記事のまとめ】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?