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【想像の番人シリーズ】

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一般にはフィクションや想像されたものは娯楽程度に考えられていますが、実はもっと力のあるものなのです。
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記事一覧

【獣人処方箋】 Case.20 「獣人農場」 (No.0211)

 人は昔から生活の糧を得るために農業を営んできました。 私達の今の生活だって1次産業である農業無しには成り立ちません。元来、家畜も作物も現在私達がいただくものとは違って小さかったり硬かったり臭みがあったり毒があったりしましたが、しかしこれも長い努力によって品種を改良し美味しいものに育て上げてきたのです。 大変な労苦と手間暇のかかる作業のおかげで私達は生きてこられました。 これは誰にでも出来ることではありませんが、誰にでも必要なものです。 しかし世の中の役に立つ農業以外

【想像の番人シリーズ】    Last part 「想像の番人:後編」(No.0023)

前編の続き    昔アルバイト先の先輩に、昨晩聞いた曲が頭から離れずにずっと鳴り響いてるよと話され、そういう現象が自分以外の人にも起きる事をそのとき初めて知りました。 Part.1でも書いたように悪しきサブカルチャーが与える影響力は大きくても誰もその危険性に言及せずせいぜい描写された内容に口を挟む程度に留まってますが、描かれたものにとやかく言うのは押し入り強盗に土足を咎めるくらい指摘を間違えています。悪しきの選別のふるいはここでは触れませんが、可愛かろうが陰惨であろうが

【想像の番人シリーズ】    Last part 「想像の番人:前編」(No.0022)

 スティーブンキング原作の「痩せゆく男」で、太った主人公ビリーの汚らしい食事姿を妻がウンザリと見つめ「スプーンで墓穴を掘ってる」と揶揄してましたが自分の不幸を自分で引き込むなんてのは現実では常識で、誰だって欲しい欲しいと懇願しているはずの天賦の才能なんぞ自らが練達する事はおろか知る事すら涙ぐましい努力で拒否し捨て続けているのです。 前回書いた様なことは(【想像の番人シリーズ】Part.4 「ヴィンセントには見える2つ目のスイカ:後編」(No.0021))、誰だってぼんやりと

【想像の番人シリーズ】Part.4 「ヴィンセントには見える2つ目のスイカ:後編」(No.0021)

前編の続き  以前書いたものも含めて(「時計はアナログ式より『イメージ式』」(No.0003)や、「キーボードを早く打つ、タッチタイピングの上達法(No.0006)」)、これらは想像の力のごく一部だし使い方も遊びのようなものです。 しかしこの程度の使用法だって誰からも教われず秘密同然で扱われ続けています。世間でよくイメージトレーニングなどとスポーツ界隈などでは平然と言ってきますが、そのイメージをでは皆はいつトレーニングしたのかと以前から疑問でした。そもそものイメージ力を鍛

【想像の番人シリーズ】 Part.4  「ヴィンセントには見える2つ目のスイカ:前編」(No.0020)

 地元ヤクザの嫌がらせで収穫出来ずに日に日に熟して割れていくスイカを前にヴィンセントは怒りを燃やし闘いを決意する…。 レナードの「ミスターマジェスティック」が与える震えはあまりにも具体的過ぎる目的と手に触れられるどっしりとした丸い果実のその先にある抽象性が瞬く間にやって来る為に、この農家のおじさんが実際何を見て感じているのかをめまいで思わず取り逃してしまう事が理由かと思います。 ヴィンセントには目の前のスイカは見えず、来年収穫するスイカが見えています。目の前のスイカの収益

【想像の番人シリーズ】Part.3    「説明書はどこにある?:後編」(No.0019)

前編の続き  まともに授業を聞かずついて行けない生徒は自分を想像する事で難を逃れその結果別の逃れ難い事態に一歩進んでしまう為にどうにも日に日に生きづらさが増していき元々苦手な思考はより信頼を無くし引きづられる様に社会が型どった雑な鋳型にはめ込まれ、かくして気さくでぼんやりな少年は無能なデク人形としてほっぽり出されスマホゲーの課金の為に派遣会社を肥え太らせていきます。 安上がりなアルコール飲料は20代をも後戻りしづらい姿に心身を書き換えてしまい、生活の調子は酒と課金のダブル

【想像の番人シリーズ】Part.3  「説明書はどこにある?:前編」(No.0017)

 あまりにも原作通りで意外な職人ぶりを発揮したスパイクリーの映画「25時」は、エドワードノートン演じるハンサムなやり手麻薬ディーラーが間もなく子を産む美しい妻を残し逮捕され収監される迄の25時間を描いた佳作です。 彼に残された3つの選択肢、すなわち収監と逃亡と死…。 この作品は彼がどれを選ぶかを丁寧に描いています。  最近のライトノベルに限らず天賦の才を持って悪を排除し英雄になるお話は多々あり誰でも憧れ声に出さずともその思いは胸にひっそりと隠しているものですがその誰もが、

【想像の番人シリーズ】Part.2 「『映画 ジョーカー』と生け贄の形」(No.0016)

 昔ユスタシュ監督が全く同じ話を演出一つでドキュメンタリーとフィクションの二つに作り分けましたが、才能のなせる技にしてもそれだけで人は認識を振り替えてしまうものです。 観てないし観る気もしない映画「ジョーカー」は評価されヒットしましたが元を辿れば「ダークナイト」があり、ホワキンでは無くヒースレジャーの功績なのでしょう。彼は役に命を捧げる形となり役柄から人々に生け贄を連想させましたがこの記事で言う生け贄は、彼のことでは無くてその後無数に生まれたジョーカーたちの方です。 依り

【想像の番人シリーズ】Part.1  「フィクションと現実」(No.0015)

映画、ゲーム、音楽、コミック、演劇、テレビドラマ、コント…。  サブカルチャーは手に取れない世界の事でありいくらアベンジャーズが好きでもBlu-rayを買ったところでアイアンマンには成れず、ダース・ベイダーのコスチュームを着てもフォースで部下の首は絞められないのです。 故にムキになっている人は幼稚だと、普及した今でもからかいの対象になり易く調子に乗った大学生位までが社会的にはリミットを打たれがちです。 しかし大学生まで通用している事がもう危険で、この年齢は大人とカウント