謎は日常を漂い流れる

謎は日常を漂い流れる

最近の記事

威厳・貫禄・年齢

この人、説得力があるなぁー 自分の意見をそんなに持っていない人。 自分より思考の浅い人。 自分より賢くない人。 このような人と話すときは自分の意見がよく通る。 これは当たり前だ。 自分には説得力があると勘違いしていた。 この人の説得力は何が要因なのか。 話し方なのか。データベースなのか。言葉選びなのか。相手のニーズを埋めているのか。経験値ベースなのか。知識なのか。ユーモアなのか。 そもそも、年齢という先入観なのか。 分からない。 考えうるものがすべて足りない。それ

    • 可能性という可能性

      この世の中のすべての基礎だ。 そんな言葉を聞いた時、その通りだとぼくは思った。 なんか小説の始まりみたいな文章になってしまったが、なんの物語も始まらない。 始まるのはただの賢いアピールと人生への教訓だけだ。 この世の基礎になるものとは、量子力学という学問。 ぼくらのスケールに存在する物体に適応している物理法則。 物体Aの重さをmとして、傾斜を下る。この時、摩擦力は生じないものとする。 こんな文章を学生の時みたことがあると思う。 なつかし!と思う人や、そんなんあったな

      • 不自由を楽しむのが恋愛らしい

        「自由に話してください」 「・・・」 「じゃあ、好きなことや物について話してください」 「好きな食べ物は・・・」 「自由の方が不自由だったね」 「チャンスの時間」での恋愛をテーマにした企画でアルコ&ピースの平子が言っていた言葉だ。 恋愛は不自由を楽しむものだ。 二人の限られた時間で、限られたお金で、どうするかを決めて過ごす。 「楽しい!」 と、僕は思えない。 「自由に話してください」 と言われたら、この人とは前この話題で盛り上がったからこの話しよう。 初めまし

        • 「ずれ」

          ぼくはかなり「ずれ」を感じる。 解釈のずれ。感覚のずれ。センスのずれ。 これもある特定の人との間で生まれるものであれば特段気にすることもなく過ごすのだが、世間や周りの人。 と、不特定多数の人とのずれだ。 だから、自分の発言には正解がない。と思ってしまう。 これがいいんじゃない?こうした方がいいんじゃない? 後輩に、友達に伝えるとき、これが正解なのか?と頭に過る。 だから誰かに意見を伝えるとき、提案するとき、議論するときに困る。 祖父がなくなった。 急に重い話・・

          曖昧でいいやん

          仕事で久々に飛行機に乗ることになった。 いうても国内なので乗っている時間は短いのだが、飛行機というものはいつまで経ってもわくわくするものだ。 と、いっても飛行機に乗ることにわくわくするのではない。 飛行機に乗るときは出発の1時間ぐらい前には空港についていないといけない。 その出発までの特にやることもないが、その場にいないといけないという無駄なようで無駄ではない。 なにかできそうでできない。 そんな曖昧な時間が好きなのだ。 ドライブの目的地に着くまでが楽しい!みたいな

          陰と陽

          「負のオーラがある」 同僚から言われた言葉である。 こんなに直球で人が落ち込むような言葉を投げられたぼくのこころは深く傷ついた。 と、同時にこのような言葉をなげられる同僚に感心した。 人は言い訳をする生き物だ。 ぼくは頭の中では言い訳がミキサーで掻き回された。 出来たものは、無味のドロっとしたものだった。 そもそも「負のオーラ」とは悪いものだのだろうか。 人に悪い影響を与えるものは良くないのだろう。だが、それも相手方の受け取り次第で「負」は「正」になる。 笑わないと決め

          老害という病

          「夜勤は女の人の方が向いている」 こんな時代錯誤な言葉を久々に聞いた。 別にこの言葉でさえ多様性だから別にいいのだが。ましてやぼくは男だし。 あるカフェで40代半ばぐらいの男の人が言っていた。 「俺は死んじゃうよ」と笑いながら言っていた。 俺は無理って言えばいいのに。と思っていると、一緒に来ていた60代前半ぐらいのおじいちゃんが 「今は男の人も多いよね」 老害という言葉がある。 自分が老いているのに気づかず、若者の活躍を妨げる人のことらしい。 この40代の方がよっぽ

          飽き性という病

          ゲーム、プログラミング、文章を書く、ランニング、麻雀、カメラ、筋トレ。 あげればきりがないが、今までぼくが趣味としてきた者たちだ。 今やっている者は、最近はまった麻雀のみ。 言わなくてもわかるだろうが、かなりの飽き性だ。 もっぱら「たりないふたり」に感銘を受けたぼくは創作意欲に駆られている。 あんな風にかっこよくなりたい。単純な男だなと我ながらに思う。 「たりないふたり」から「だが、情熱はある」を経て、「Light House」から「Creepy Nuts」・「MC

          ぱらぱら、と。

          人は一人だと必ずと言っていいほど視野が狭くなる。 一人で考えているとその案にだんだん違和感がなくなっていく。 むしろ良く思えてくることさえある。 あー、だめだ。わかんねー。 最終の結果はこれだ。 『正欲』 『神様のビオトープ』 『行儀は悪いが天気はいい』 『ナナメの夕暮れ』 『君のクイズ』 これは最近読んだ本たち。 見る人が見ればぼくが誰のファンかわかってしまうようなラインナップだが。 ぼくにとって本とは 視野を広げてくれるもの。 世界とぼくを繋いでくれるもの。

          早くも書けない。

          ひとりの時間は思考を育む。 と、つい最近までは思っていた。 こうやって文章を書き始めて初めての長期休暇だ。 思考がすくすくと育ち、文章もすらすらと書いているだろう、と思っていたのだが、キーボードが全然進まない。 むしろ進むのはゲーム時間のみ。 あれ?と疑問になり考えてみる。 いつも何か思いついたり、考えたりするのは、仕事で車を運転しているとき。 仕事でデザインの作業をしているとき。 ひとりの時間で単純な作業をしながらのことが多い。 今思考が育たないのはこの単純な作

          今年の目標

          「後悔先に立たず」 ということわざがある。 後悔とは何かをした後にするものであり、何かする前には起きないということ。 普通に考えれば当たり前の話だ。 後悔したことないという人はいないだろう。 あの時言い過ぎたかな。あの時ああいう風に返しとけばもっと面白かったのに。 あの時なんで断ってしまったのだろう。あの時優しくしていれば。 こんなたらればは、聞いている側からしたら聞くに堪えないものなのだが、 話している方は無意識に発しているものである。 だから、こんな後悔をする

          ひとりはさみしい?

          「クリスマスの予定は?」 自分の充実感を見せつけるためだけの質問を今年も受けた。 「家でひとりかな」「そうなんだー」 今すぐにでもかわいそうと発しそうな顔で放たれた。 なんだよ、その反応は。腹立つな。 そんな反応なら聞くなよ。と思いながら会話が終わった。 ぼくは仕事が好きだ。 嫌いな人も多いと思う。嫌いな理由は人それぞれだ。 仕事は好きだけれど、人間は嫌いだ。 人間関係ほどめんどくさいものはない。それだけは言っておく。 なぜ仕事が好きかというと、「ひとり」という

          ひとりはさみしい?

          カフェでの作業にて

          最近家に帰ると、すぐ睡魔に襲われる。 疲れているんじゃないか。一日8時間も寝てるのに? 8時間で回復する量より、心身をすり減らしているのだろうか。 やりたいことはたくさんある。 本を読む。文章を書く。絵を描く。勉強する。 そんなに寝てられない。 と、思い、喫茶店に来ている。この文章も喫茶店で書いている。 みんな大好きコメダ珈琲だ。 大好きかどうかは人によるか。 少なくとも僕は好きだ。 スタバでもタリーズでもほかの喫茶店でもなくて、コメダ珈琲だ。 コメダ珈琲はきらきらし

          カフェでの作業にて

          もっとたりない

          前にも「たりない」というタイトルで書いたが、南海キャンディーズの山里さんとオードリーの若林さんのユニット、「たりないふたり」を見た。 一番の感想は「かっこいい!」だ。心が震えた。いや、救われた。心の重いおもりが「ドスン、ドスン」とピッコロの服みたいな音を立て、落ちていった。 だからといってすぐに変われるわけではない。人が変わるには自分が行動しないことには変われない。 誰が書いたかわからない自己啓発本に書いてあるような言葉を言ってしまったがそうだとは思う。 「ストレスを感じ

          存在しない

          社会人になるとどこからともなくやって来るのが飲み会。 ぼくは別に飲み会が嫌いな訳では無い。お酒を飲んで、普段言えないようなことも無礼講。中には本音を少し混ぜて上司を敬遠する。こんなにありがたい会は無い。でも、これは2、3人の場合の話である。 3人から人数が増えれば増えるほどぼくは楽しくなくなる。 取引先の会社の社長と専務、そしてうちの会社から4人の計6人。 個室の部屋に案内された。雰囲気はまぁいい。味も普通。「同僚は会を開く時に使うお店では無いな。」と言っていたが、ぼくも

          客観的人生の過ごし方

          この人生は誰のものなのか。 紛れもなく、自分の人生。でも、どこか他人事。ぼくは常にそんな世界で生きている。 ディズニーランドで城の前でジャンプして写真を撮る人。自分の夢に向かって路上ライブをする人。 こんな人たちを見ると僕は「楽しそうだなー」と思う。 じゃやればいいじゃないか。 と成功者の自己啓発本ばかり読んでいる人からは揶揄されるだろう。 ぼくが言いたいのはそんなことではない。 なぜみんな夢中になれるのだろう。 ぼくは何をしていても俯瞰的なぼくが存在する。頭の上ぐら

          客観的人生の過ごし方