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ときどき切実に思うこと

3月に入っても、寒い日が続くこの頃。

今日は遠くの本屋さんへ。
車を少し走らせたところに蔦屋書店があって、ときどき覗いてみたくなる。
いつも行く書店とは棚の並びも違うし、見ていて楽しくいつまでもいたくなる。

図書館と違うのは、売れてる本が一目で分かること。
(たいてい、どんな本屋さんでもランキングが掲示されている。たいていそれは新しい本)

日記を書いて、本を眺めて、いつも行かないお店を少し冷やかして、休日は終わる。
休日はいつもひとりでいたくなる。
誰かと遊ぶ予定も、年に一回あるかどうか。
そもそも友達が全然いない。
(ここで言う友達とは、休日に会うようなひと)

休みが合わなかったり、(平日休みが多いから)遠方へ行ったきりそのまま会えなくなった友達もいる。
だから、数少ない友達(と呼べる人)は大切にしなければ、と思う。

それでも、休日はひとりでいたい。
それは休日=書くことに結びついてるからだ。お休みの日は書きたくてたまらない。
(その切実さといったらない)

ときどき自分のなかの、その激しさに引きそうになる。
なんでこんなにいつも (ときどき泣きそうな気持ちで) 書きたいと思っているんだろうと。

やりたいことは、他にもある。
ヨガのある日はヨガに行くし、本当は名古屋にも行きたいし、映画もときどき観たりしたい。
でも、圧倒的な「書きたい気持ち」に押しやられて、予定はなかなか組まれない。
それよりも書くことが、やりたいことなのだ。

今日はいつもと違う場所で2時間、とりあえず書くことができた。
小さい頃から小説を手書きで書いてきたせいか、それ以外の方法で書くことができなくなっている。
(Wordに手打ちで書ける人はすごいな、と思ったりする)

ノートに書いていると、1時間も2時間もあっという間に過ぎていく。
今書いてる小説を、今日は最後まで書き終わる。物語が終着点にたどりつくとホッとする。
あとはタイプして、全体を見直して、推敲するだけだ。
推敲が長くかかるけど、エンドマークを打つのは大事。

書き終わったあとは、いつも静かに感動する。その感動を噛みしめる。
自分の書いた物語に感動するのは、最低限必要なことだと思う。自分が感動できないものに、誰も心を動かされないと思うから。


吉本ばななさんの小説家としての本があって、数日前に読み終わる。



いつもの物語とは違う(小説に対して真摯に向き合ってきたと分かる)ピリッとした文章で、色んな分野のひとに刺さりそうな本だった。


ここまで書いて、ふいにこの言葉を思いだした。


僕らはラッキーだ。とても。僕らは作家だ。
祝福より呪いだと感じる時もあるだろう。人に馬鹿にされる時もあるだろう。書かない人にとって僕らは趣味人、はかない夢追い人に見えるだろう。
だとしたら、彼らの目は節穴だ。本当に書いているなら夢はもう叶っている。書籍化や映画化はされていなくても、書くことで得られる真の報酬は自分の内側にある。

『工学的ストーリー創作入門』



この本もとても好き。
実践的で、小説のプロットにも参考になる。


タイプ&推敲と同時に、次に書く小説の構想も少しずつこれから組んでいきたい。


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