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見える世界、見えない世界

今年度に入ってから、音訳の講習に毎週行くようになった。
音訳というのは、視覚障害がある方にむけて資料を正確に読みあげる技術。
朗読とも、音読とも違う。
正確に読めていないと、著作権侵害になってしまうとか。そうならないために、音訳された資料は入念な校正や編集をする。
まだ始めたばかりだけれど、講習会に行くようになって、今まで想像もしなかったことを考えるようになった。


目が見えないというのは、本当に大変なことだ。でも、何もできないわけじゃない。
光を失った世界は想像できないけれど、わたしが思っていたより、いろんなことができると最近知った。
もしかしたら晴眼者(目が見える人) よりも、世界を感じる力は強いかもしれないとさえ思う。

あらためてそう思ったのは、今この本を読んでいるから。



著者はエッセイストとして活躍するシーンレス。
シーンレスは和製英語で、風景(シーン)がない (レス)ひとのこと。
この方は4歳で「光とさよなら」した。
それからの日々が語られ、(盲学校の話や就職したばかりの頃) 翻訳の仕事をしながらエッセイストになった著者は、ガラケーからスマホに乗り換える。

その素晴らしさについて、いろんな角度から綴られている。
ボイスオーバーやカメラのスキャン、QRコード、さらには光を察知して教えてくれるアプリまで!
iPhoneには驚くほどたくさん便利な機能がある。
シーンレスの人々にとってどれだけ欠かせないものか伝わってくる。

読みあげ機能アプリでスキャンすれば、スマホが「掌の目」になるのだ。
まさにタイトルのiPhoneが、eyePhoneになっているように。

ボランティアの目を介さなくても、iPhoneがあれば自分の目の代わりをしてくれる。
それで世界が拡がる喜び。
たとえば賞味期限がわかるようになったこと。
自由に買い物をしたり、Siriと話すことで得られる情報が増えたこと……

点字についても触れられている。盲学校で著者が交換日記や手紙をやりとりした話も。
点字は文字に直接触れるので、書いた人の手に触れているように感じる、というエピソードが素敵だった。
人それぞれに固有の筆跡があるように、点字にも打つ人によって個性があるのだと。
(点訳は習ってないから、想像するだけだけど)

ほんとうに簡単な点字なら少しだけわかるようになった。公共のトイレのパネルには、ほぼ点字が付いている。
勤務先のトイレの「止」の上には、「おととめ」とシールが貼られていた。
(とめ、だけの場合もあるみたい)
「め」は一番点の数が多い。
「お」は斜めにふたつ。
点字には規則性があって、わかると面白そう。
一冊の本を点訳すると、すごい冊数になるそうだ。

最近よく見るオーディオブックと音訳資料の違いも説明されていた。


音訳が朗読者の感情を極力込めずに文字情報を忠実に伝えることに注力しているのに対し、オーディオブックの朗読は読み手が声のプロとして練り上げた「音声作品」である。

本書より


朗読だと読み手が主体なのに対して、音訳の主体はあくまで聞き手(シーンレス)になる。


目の見えない人にとって、すべての音は情報なのだ。それも、とても貴重な。


音訳を学んでいると、読みあげる文が言葉ではなく、情報だとよくわかる。
そして、それゆえの難しさも。

今まで意識しないで話していた言葉を、文章を、自然な音に変えていく。

まだまだ道のりは険しいけれど、いつか正確な情報を手渡せるひとになれたらいい。


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