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書籍『自爆テロ』

タラル アサド (著) 茢田 真司 (翻訳)
出版社 ‏
発売日 2000/10/1
単行本 298ページ
装丁 松田行正+相馬敬徳
カバー写真 佐々木光




目次

日本語版への序文

序論

1 テロリズム
2 自殺テロ
3 自爆テロの戦慄

エピローグ


解説 ディアスポラの知識人 タラル・アサドー他者と共に在ること
訳者あとがき
索引


内容紹介

 「西洋/イスラーム」「文明/野蛮」「テロ/正しい戦争」。自爆テロをめぐる議論は固定化された枠組みに囚われ、思考停止に陥っている。越境の思想家アサドが「文明の衝突」や「正しい」戦争といった従来の議論を超えて、新たな時代の文明論を切り開く!

青土社 公式サイトより



レビュー

 大抵の人は「自爆テロ」という言葉を聴くと、即座に「思考停止」に陥ります。
 しかし著者のタラル・アサドは、その「自爆テロ」について132頁に及ぶ「論」を展開するのです。
 
まず始めに、彼は記します。

 この本での私の中心的な関心は、自爆者たちの動機を説明することではなく(そして、自爆者たちを正当化することでももちろんなく)、パレスティナの自爆事件に焦点を当てて、「テロリズム」についての西洋の一般的な言説を分析することである。
 私は、近代戦争の恐怖を、過激派によって実行されるテロの恐怖と区別しようという議論を詳細に検討している。
 こうした議論は、要するに「正しい」戦争の道徳的優位性を主張し、テロリストーとりわけ自爆テロリストーの行為を比類のない悪として描いている。私が論じているのは、両者の根本的な差異は、量的な問題だけであり、この基準によれば、、、、、、、、、国家によって主導された一般市民の殺害とその日常生活の破壊は、テロリストがなしうるいかなる殺害よりも甚大である、ということである。

日本語版への序文 より

 と。
 
 本書の日本語版の出版は2008年。
 しかし2024年現在、パレスチナにおいて行われているイスラエル軍(とアメリカ政府)による無差別攻撃(殺戮)について、これ以上に的確、且つ明確な指摘を成している文章を、私は他に知りません。

また、

 (中略)
 要するに、近代の戦争について語る場合に、「無関係の市民」という概念は簡単に不明瞭なものになってしまうということである。
 軍事戦略家たちは、このことを知っており、それに応じて行動している。戦争における彼らの主要な職務は、結局のところ勝利すること、、、、、、である。彼らは、近代戦争における動機が複雑であるために、もっともらしい言い逃れを用意することが出来ることも知っている。
 そして、もし勝利を納めさえすれば、、、、、、、、、、、その後のことをほとんど恐れる必要がないことも知っている。強調しておきたいのだが、この本での私の関心は、人々の道徳的な判断のしかたが偽善的であることを非難することではなく、近代戦争における殺害行為の複雑な構造ー意図の多くが形成されるのは、その内部であるーについてもっと大きな注意が払われるべきである、と主張することである。
 
 本書の中心となる主張は、リベラルな社会というものが、暴力性と共感の通常ならざる結びつきによって特徴付けられているということである。過去数世紀にわたるヨーロッパ諸国の帝国主義的な征服が、非ヨーロッパ諸国を文明化するためであったという主張はその一つの例であるし、現代の人道的介入の軍事的性格は、もう一つの例である。しかし、自らの所属する共同体への愛ゆえに殺人を犯す犯罪者は、自分たちの国土を守るために戦うリベラルな社会の軍隊の鏡像である。両者はいずれも、著しく残酷になりうるのである。

日本語版への序文 より

 というような、「正確」且つ「中庸」な視点を持つ人々は間違いなく少数派ですけれども、個人的にはそのような視点を持つ人々の不断不屈の努力により、世界各地の平和の多くは、ギリギリのところにて保たれているように思います。

 
 本書「最終章」の「自爆テロの戦慄」においては

 (中略)
 私は戦争とテロリズムの明確な区別を離れ、なぜ自爆行為が戦慄、、を引き起こすのかを考察している。本書のこの部分は、議論と言うよりは、文字通りの意味での探査である。私は、戦慄の概念を探査してそれがアイデンティティの解体に対する本能的な反応であることを明らかにし、さらに、戦争、テロ、宗教、自殺、人間の拷問、そして、動物の産業的虐殺などから取り上げた例を考えることで、それを補強している。また、残酷さと共感とがいかに戦慄に反映されているかに思いをめぐらし、否定し非難したいという欲望から責任ある理解と行動への移行が、戦慄によっていかに困難になるかという問題について考察している。結論において私は、自爆行為に直面した際の戦慄に対するいくつかの共通の反応に対する説明を与えた。

日本語版への序文 より

 という、人類にとって非常に重要な考察がなされており、必見です。
 ※「序論」では1~2章の大枠について、上記同様の丁寧な解説がなされています

 132頁という量はその数字だけ見ると、「論」としては一見短く感じられるかもしれませんけれども全然そんなことは無く、むしろ圧倒的「密度」と「論理的」、且つ「明快」な文章でもって語られてゆくそれは、無駄な箇所が一行も無いという稀有の完成度を誇り、見事です。
 しかもタラル・アサドはその賢明さゆえに、決して安易な「解答」を提示することはせず、その代わりとして上質な「問い」を読者へと齎します。

 本書は、制度化された暴力に関する道徳的ジレンマに解決を与えることを意図してはいない。この本は、他人に対する残酷さの中には容認されるべきものがある、などということを主張するものではまったくない。むしろ、本書が期待しているのは、テロや戦争、自爆行為に対するあらかじめ決められた道徳的な反応が組み込まれている無難な公的言説から距離をとることができるように、読者を揺さぶることである。

序論 より

 というわけで、とても×2学びとなる、豊かな一冊となっており、おすすめです。
 
 ※磯前順一による64頁に及ぶ「解説」は、本書、およびタラル・アサドの思考の理解を、大きく後押ししてくれる内容となっており、読みごたえあり

 

本書の「装丁」について

 本書の装丁の余りのカッコ良さに、震えました。
 今年(2024年に)手にした書籍の中で、今のところダントツに好きです。
 まず以下の2つの画像を御覧ください。

 

 何がカッコ良いのかと言いますと、書店の棚に並んでいるのを遠目から観たときは一見「①」のように「黒のベタ塗り」に見えるのですが、本書を手に取って間近によく見ると、薄っすらと「②」のように「ダイヤクロス」タイプの格子状の模様が浮かび上がります。で、それは実際には「②」のようにはハッキリとは見えない仕掛け(印刷)となっており、本当に分かるか分からないかのギリギリの明度であるため、人によっては本書を手にしても気付かずに、そのまま表紙を開いてしまう可能性があるくらいの粋な(繊細な)デザインなのです。
 そしてタイトルや著者名等の文字のフォントや色との相乗効果が、もう×4、超絶カッコ良すぎて……
 私の妄想の中では、フォントの「大きさ」や「色」、「配置」等には全て意図があり、

 私たちが普段「思考停止」してしまう「自爆テロ」に関する諸々の、理解の及ばない(立ち入ることの出来ない、又は立ち入ることを許されない)、格子に隔てられた深い漆黒の闇の中から、タラル・アサドの「考察」が、まるで希望(真実)の光であるかのように、闇を切り裂き射してくる(浮かび上がってくる)……

STARLET「脳内イメージ」 より

ように見えるわけです。

 そしてさらに表紙の上下には控えめに、出版社と翻訳者達の名を、タラル・アサドにより齎される希望の光(理解するための知性の輝き)を日本語にて届けるために「協力(奮闘)」した証として、刻印してある……という「胸熱」な……
 もうとにかくその表紙のキリッとした「バランス感覚」と「佇まい」が、めちゃくちゃカッコ良くて好き過ぎる! わけです。
 例えるなら、映画『Out of Sight 』の「Bar」シーンにおけるジョージ・クルーニーとでも言いましょうか……
 コチラ 

 で、まだ終わりません(笑)
 表紙の「ダイヤクロス」タイプの「格子状のデザイン」なのですけれども、これね……なんと写真なのです!!
 ということは、現実に存在する物体をカメラで撮影しているわけで……
 要するにその「現実に存在している物体」を「写真で撮影してあるという事実がとても大切なメタファー」となっており、とても×2大きな意味を持って、私たちに迫ってくるわけです。
 格子の向こう側、すなわち「自爆テロ」を行使する人々であったり、「正義」を理由に大量虐殺を行使する人々であったりと、私たちを隔てているもの、又は共通している闇、ないし「どちらが格子のある檻の中に閉じ込められているのか」否、「どちらも格子のある檻の中に閉じ込められているのか」という疑問等、様々な想像を掻き立てる要素に満ちているわけです(「格子」のデザインも、もしかして「行使」とかけて言葉遊びをしているのでは?と妄想してしまいます)。
 ※カバー写真:佐々木 光

 表紙だけで、このクオリティーとこだわりっぷりです……
 
 しかもその表紙部分は、当然ながら内側のデザインとも連動し、響き合っています。
 表紙を開くと今度は、「見返し」と「とびら」の紙質(紙の種類)と色の選択に度肝どぎもを抜かれます。
 「そう来ますか……」と。
 その部分は、是非本書をお手に取って御覧いただきたいと思いますけれども、もう本当に素晴らしいの一言です。
 ※「花布」の色彩も文句無し

 そのようにして私たちは、「自爆テロ」等に関する闇の扉(入口)を開け、タラル・アサドの生み出す光(考察)の助力を仰ぎつつ、本書を読み進めてゆくこととなるわけですけれども、まぁとにかく終始、文字の大きさや配置、余白の使い方が素敵なわけです。

 出来る限り短くまとめましたけれども(まだまだ語れますけれども)、本書のカッコ良さが少しでも皆様に伝わりましたら、幸いです。

 ※私は本書を、生涯手放しません

 


公式サイト


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