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電車に揺られながら書いた独白⑬・人間とはかくも仙人の如き、ストイックな生き物である

会社の通勤電車に揺られながら、

ただスマホでひたすら書き連ねた独白です。

今回は「人間とはかくも仙人の如き、ストイックな生き物である」。

「自己実現」に息巻く生き物は人間だけという事実


自己実現だ何だって、自分探ししてる動物は人間だけだ。

なんせ犬や猫は自己啓発をやらんのだからな。

犬猫は人間に飼われるかもしれないが、
社会の歯車として、何者かの走狗として
誰かのいうなりになって一生を終えることはない。

そこに行くと俺たちは、
毎日やりたいかどうかわからん仕事にコーヒー飲みながらやって、
週末になっては酒に溺れて旅行してカラオケ行ってストレス発散、

気がつけば毎週、同じことの繰り返しである。

言葉を交わせる交わせないのちがいはあるにせよ、
俺はそこに不条理を感じた。

諦めという名の「悟り」


人間というの本質的に「仙人」のような生き様を好む、
ストイックなる生き物なのかもしれない。

俺は社会人新人の頃、希望していた部署と違う仕事に
上手くいかない人間関係の職場、

やりたくない仕事の連鎖に、
コミュニケーションがうまく取れずで周りと連携とれない、

社会に入って与えられたことと
自分の求めてたことのギャップにストレスを抱えた。

とはいえ、しのごの言ったって現状は変わりゃしないし
給料もらえなきゃ毎日の飯も食えない。

じゃあどうすれば良いのか?

子供の頃から思い描いてきた夢が「夢物語」であったこと。

平日やるのが「心からやりたい仕事でないこと」だったとしても
オフタイムや週末になっては、趣味にヤケ酒に旅行に
ストレス発散すりゃ、大体のことは忘れられる。

となると。

俺の中で一つの結論が出た。

それは、夢とか想いとか何もかも「諦め」て、
ストイックに生きて「仙人」になること。


ただただ社会の歯車として、誰かの走狗として、
思考停止で流れに身を任せる。

俺はある時、「諦め」という名の「歪んだ悟り」を開いた。

全てを悟った「仙人」になれば解決する、そう思っていた。

何かの形で「現実はこんなもんだ」と悟り、
自分を犠牲にして、ひたすら「思考停止」して、
金を得ることを対価にして、何かにその身と時間を捧げる。

それを「仙人」と言わずになんというんだ???

思考停止を生み出すのは失敗の痛み


「失敗」というのは「成功」への必要経費だったりするのだが
その失敗が致命傷に感じられることで
結果として「思考停止」を生み出してしまう。

失敗の何が辛いかって、辛いことは死ぬほど覚えてるくせに、
どんなにいい思い出があろうが、
どんなに過去の思い出を美化していようが、

どんなに失敗をやり直したくたって、時計を左回りに戻せぬことだ。

どんな素敵な思い出があったとしても、
遙かなる過去の彼方のものでしかない。

だから、失敗の痛みはよくわかる。

俺はコーチングでのゴール設定に失敗したり、
自分が師事すべき人間を誤ったこともあった。

たくさんのお金と時間だけでなく、大事なものも失った。
失敗の負債はあまりにも大きすぎた。

だが全ては「人生を通してやりたい仕事」をつかむため。
心を殺すこととストレス発散の無限ループから抜けるには
失敗覚悟で動くしかなかった。

自分が「こんなはずじゃない」と呪詛るハメになったのは、
どんな理由があろうとも、自分の責任である。

「こんなはずじゃない」とのたまう呪詛の歴史を、
自分で終わりにするべく日々の選択を選ぶべきだ。

「失敗の痛みは必要経費で受け入れるべき」とは軽々しく言えない。
だが、現状を何も変えずに甘んじて動かないことが「失敗」なんだ。

なにがなんでも、思考停止で支配される側に全てを捧げ、
ストイックに生きんとする「仙人」になってはならないんだ。


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