見出し画像

「外国人が怖い」と思ってきた自分が、90か国の人と友達になろうとする話。

4月に、東京から地元・浜松へUターンした32歳のAmikoです。

移動が制限されてしまう、こんな時だからこそ、地方発信で、世界とつながるような、おもしろいことがしたいと思い、新しく個人的なチャレンジを始めることにしました。

画像4

「私が、浜松に住むと言われている、90か国、全てのお国の人と会い、インタビューをして、お友達になる。」

やろうとしてることはシンプルですが、このチャレンジに臨む思いは少し複雑です。

子どもの時は、外国人が怖かった。

浜北

私は、浜松市の中でも旧浜北市というところで生まれ育ちました。

旧浜北市は、植木と造園業を主な産業とするのどかな街でしたが、私が中学生の時に、浜松市へ吸収合併されました。

画像6

現在の浜松市は寄せ集めの街のため、「外国人が多い」と言ったとき、主には旧浜松市の話であり、合併により浜松市となった周辺エリアは、大して外国人が住むエリアではなかったわけです。

実際に、私の近所には外国人住民はいなかったし、小・中学校では全校生徒を見回しても全員が日本人でした。

そのため、授業で「浜松は外国人が多い」と教えられても、他人事というか、自分のクラスに外国人の子が来たら怖いな、くらいに思っていました。

そして、浜松の街中に遊びに行った時には、

駅前のマックの前に集まっている外国人たちが怖くて仕方なかったし、外国系のお店が多いと言われる駅南は、怖くて行くことができませんでした。

画像12

それが、高校生までの私の話です。

18歳で東京へ。19歳でクウェートへ。

画像7

大学進学と共に上京した後、なぜ?ということはここでは割愛しますが、クウェートへ留学することになります。そこから私は中東のとりこになります。

画像10

画像9

画像11

就職した後も、年に一度の中東旅行を楽しみにしつつ、東京でレアなお国の料理を食べ歩いたり、中東の映画を観歩いたり、外国とつながることで、刺激を満たすという東京生活を送りました。

そんな中、東京での生活がきつくなり、転勤のタイミングで浜松へ帰ることにしました。

東京に比較して、圧倒的に外国とつながるための選択肢が減る浜松ですが、自分なりに外国文化とつながってみようという思いをもって浜松へ帰ることとなります。

大人になって浜松に帰ったら、外国人との壁を感じた。

画像11

浜松に帰って早速、行ったことのなかったブラジル系のスーパーへ行ってみたりしました。

また、私は公務員のため、自分の担当エリアで生活する外国人の方と接する機会も生まれました。

その中で、「コミュニティ」とか「ラップ」とか「ブラジル人学校」とか、自分が知らなかった言葉がいっぱい出てきて、自分が知らないシステムが浜松に存在していたことに驚き、今さらつっこんでも聞けず、結局、少し近寄りがたい印象を受けてしまいました。

また、同じ日本人でも、外国人の友達がいるとか、コミュニティとつながっているということが当たり前の方もいることを見て、そういうことが感覚としてわからない自分にもやもやを抱きました。

そして、やっぱり、街で外国人の方と出会ったときに、怖い、何を考えているかわからない、という感情が芽生えることがありました

画像12

自分は、何か国も旅行をして、グローバルな感覚のある人間だと思ってきたけど、

国籍だけで「怖い」と思ってしまう自分

旅先で出会う外国人には積極的に話しかけるのに、自分の生活圏で出会う外国人にはマイナスな感情を抱いてしまう自分

は人として違うんじゃないの?と思いました。

そこで、自分から、浜松にある外国文化に飛び込んでみることのきっかけとして、このチャレンジを初めてみることにしました。

なぜ、自分がやるのか。

画像12

浜松に住む外国人が怖いと思ってしまう自分だからこそ、このプロジェクトをやる意味があると思っています。

私はたくさん海外旅行をして、いろんな国の料理を食べて、外国の映画を観て、たくさん異文化を吸収してきました。

だけど、生活場面で出会う外国人ときちんと向き合ってこなかった。

そこで、このチャレンジは、

未熟な私が、体当たりで人と出会いながら、浜松のことを、浜松に住む外国人の方のライフヒストリーを、その苦労や喜びを、そして地域にある現実を、一つずつ知りながら、悩みながら、成長していく物語

にしていきたいと思っています。

一番、大切なこと。

それは、「友達になること」です。

画像3

「相手の文化や生活に敬意を払う」「人間と人間との交流をする」といったことの全てを「友達になる」という言葉に込めました。

自分のチャレンジを達成するためだけに、相手の私生活に立ち入ることは、フェアではないと思っています。

自分の思いを相手に伝えて、人として受け入れていただいて初めて、取材という次のステップに進めるのかなと思っています。

じっくり丁寧に、相手と関係を築いていきたいと思います。

浜松ブラザーフッドプロジェクト。

何か愛称があった方がいいと思ったので、チャレンジに名前をつけてみました。

少しダサいですが、相手と友達になることを目指すというとき、friendというより、人類愛とか兄弟愛という意味を込めたかったため、友達=brotherhoodとしました。

このチャレンジは、

心の奥にある外国人に対してのとまどいをぬぐうことができない、

だけど、そんな自分自身にも、もやもやを抱えていらっしゃる全ての方に

共感いただけるのかなと思っています。

よろしくお願いします。









この記事が参加している募集