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私が好きになった人は大学の教師で、仔猫に無条件の愛を与えていた


「銀座」と聞くと背筋が伸びる。

高級ブランドショップ。洗練された街並み。行き交う人々も、街並みに合わせるように整った服装をしている。ジャージ姿にスニーカーの人なんてどこにもいない。銀座だから、そういう人しか集まらないのかもしれない。銀座というひとつの街からはみ出さないように、馴染んでみせたい。

私は、自宅のドレッサーの前でいつもより丁寧に身支度をした。髪にスプレーをして湿らせ、丁寧に乾かしてブローをする。38mmのコテでしっとりと丸みをつける。艶が出る、よい香のついたヘアクリームを髪全体になじませる。

前髪にクリップを止めて、ファンデーションを塗る。ムラを出さず、均一に。眉毛を描くのも、アイメイクも、いつもより時間をかけてはみ出さないように慎重にする。薄いベージュ色のトレンチコートに、紺色のワンピースを着る。玄関でハイヒールを履いて、自宅を出る。

最寄り駅まで向かっていると、生温かい空気がふわっと通りぬけた。下に落としていた視線をあげると、道の両端に連なるように桜の木が並んでいる。花は咲きみだれている。すぐそばにある桜の木から、風にのった花弁が吹雪(ふぶ)いてきた。私をやさしく襲った。

銀座になじみたい。いつもより丁寧に身支度をしたのは、それだけが理由ではない。「もしかしたら出会いがあるかもしれない」という、期待もあった。その出会いは新しいものから、これまで通りすぎていった過去の男性たちの誰かに会うかもしれないという、古いものまで。

もし古い出会いに遭遇したら、身支度に手を抜いた自分を後悔するはず。万全の状態で会いたかったのだ。悔しがってもほしかった。


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銀座中央通りをまっすぐ歩く。

車が通らない歩行者天国。歩道も道路も人で溢れかえっている。銀座三越までに行こうと、事前に決めていた。自宅で休日をだらりと消化するよりも、ずっといいだろうと思ったから。身なりを整えて外出するだけでも気分転換になるだろうと考えたから。目的は、婦人服の見物。預金にゆとりがあるので1着、新調してもいい気分でいた。

ハイヒールを踏みだすたびに、コツコツっと気持ちよい音がする。丁寧に身支度をした自信もあわさり、背筋が自然と伸びた。清々しい気分になる。自宅で巻いてきたロングヘアーの毛先も、歩調に合わせて心なしか浮き足立っているように、揺れた。


銀座三越にはいり婦人用の小物をみていると、遠くの方に見覚えのあるシルエットをした男性がいた。

数々の記憶がよみがえってくる。春の陽気の中で過ごした、あの時間。若いころの私が感じていた、胸をきつくつねられるような気持ち。先ほどまで清々しい気分で歩いていたはずなのに、小川のせせらぎに濁流(だくりゅう)が押し寄せてきたみたいに、その場で落ち着いていられないくらい心が乱れた。

彼は身を丸めながら、2〜3歳くらいの男児の手を引いていている。隣には生後まもない子供を抱いた、奥さんらしき人がいた。二人は顔をあわせながら何かを話したりもしている。彼は笑顔になり、奥さんらしき人も笑顔になる。

二人は完成されていた。ひとりでは不完全で、お互いが揃うことではじめて完全体になれるような、初めから交わると決まっていたパズルのピースのように見えた。私はそのパズルのピースにはなれない。それは、あの頃からわかっていたことだった。


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6年前。大学生だった私は、経済学の非常勤講師を眺めるのが日課だった。

後方にいくほど高くなっていく講義室の後ろの席に座り、プロジェクターの前で講義をしている彼をみる。授業内容はどうでもいい。経済学もさほど興味はない。ノートを広げ、ペンを持つ。ノートは授業が進んでも白いまま。頬杖をつき、ただ教壇を見ていた。

彼は灰色セーターの下に、白いシャツを着ている。首元から白シャツの襟が出ている。質がよさそうな生地だとわかる。目にかかるくらいの長めの前髪。でも、後ろと横はさっぱりとカットされていて清潔感がある。服の上からでもわかる太い腕。パンツを履いていても隠しきれない、もつれそうな長い足。教壇を左右に歩きながら、怯む様子もなく堂々と話す姿 ———。

いつだったか、彼が大学内に住みついた子猫にこっそり餌をあげているのを見たことがある。仔猫は彼の手にすっぽりと収まるくらいの大きさで、白い毛並みに黒い模様がついていた。彼は片膝をつき、小袋の猫用のエサを手のひらに数粒だし、猫の口元に近づけていた。

猫は一粒ずつ食べている。彼は子猫がカリカリと咀嚼している様子を、口角の端をあげながら黙って見ていた。手のひらに出したエサがなくなってくると、ふたたび手のひらに出して与える。子猫のペースにあわせて、食べ終わるまでじっくり待っていた。その間、彼はじっと動かないでいた。

社会のモラルからすれば野良猫に餌をあげるのはルールに反するが、そんなことなどすっかり忘れて、その光景を目にした私は動けなくなった。そして、彼が子猫の頭をそっと撫でて立ち去るまで、視線をはずせないでいた。それから特に興味もなく、知的好奇心もないけれど、彼の授業を積極的にとるようになったのだった。


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彼は休み時間になると、大学の中庭のベンチによく座っていた。

中庭は公園のようになっていて、天然の芝が植えられ、春には自然とたんぽぽが咲いていた。「生徒や教師の”憩いの場”になるように」という思いを込めて、大学の創設者が作ったものだった。自然と咲いたタンポポの周りを踊るようにチョウが飛んでいるのは、4月になるとよく見かける景色だった。

雲ひとつない晴天の午後、長袖1枚では肌寒い気候の中で、太陽の光があたたかく身体を包む。今日も、彼は中庭のベンチにいた。着ている紺色のセータが太陽の光を充分に吸いこんで、ひだまりの匂いがしそうだった。文庫本を片手に、おにぎりを頬張っている。長身で大柄な見た目とは反して、食べ方はゆっくり。一口食べては味わう、噛みながらボーッとどこかをみている。文庫本に目をむける。そしてまた食べる、をくり返している。

私は「講義でわからないことがある」という名目で彼の隣に座った。本当はあまり興味はないけれど、興味があるフリをして。

「テキストの109ページの部分がわからないんですが、質問しても大丈夫ですか?」と、私は聞いた。
「もちろん、いいよ」と、彼は答えた。

笑うと、クチャっとした皺が目尻による。私もつられて自然と笑顔になる。清潔感のある歯並び。瞳に光が反射して潤んでいるように見える。よく笑う人なのだろう。目尻には数本シワが刻まれているのが、ベンチに並んで座るくらいの距離でわかった。予想通り、安堵するひだまりの匂いがした。

テキストのページを開いて、彼に見せながら質問をする。彼もテキストの端を持って「どれどれ......」という素振りをみせた。薬指には指輪があった。チクリとした。彼は私の目の前で笑顔をむけるけれど、この顔は外側の笑顔。家に帰れば、たったひとりの人ためだけに向ける。外では見せない別の顔もある。でも私は、彼の別の顔を知ることはできない。

その後は卒業まで、大学内ですれ違えば挨拶をしたり、中庭に座っている彼の横に座り、ときどき世間話をする関係が続いた。大学にいるときだけ眺め、話す。それ以上でも以下でもなく。新たな関係に発展することもなく。



昔と変わらない彼が、銀座にある。私の目の前にある。ほら、今だって。大学内に住みついた仔猫に向けていた視線を、我が子にむけている。視線はまるで柔らかい毛布のようで、包まれたらきっと温かいに違いない。

私は大学の講義室の後ろの席から眺めていたときと同じように、ただ彼を見ていた。


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