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『蕾のままで』

Q.ステイホーム中何してた?

 採用ワード:「庭の大掃除」

Q.国内で今一番行きたい場所は?


 採用ワード:「箱根・芦ノ湖」



住宅街の一角の古い一軒家。

長い間手入れがされてない鬱蒼とした庭に

大きな一本の木が植えられている。

長く伸びきった木の枝は強風に煽られ激しく揺れる。


「子どもの頃、こう思ってた。風に揺られているのではなく、木そのものに意思が宿り、人間同様に何かを主張したいかのように自ら揺れているのではないかと。今でもたまにそんなことを思ったりする」


古びた二階建ての木造アパートに市尾は暮らしている。

カーテンを閉め切った暗い部屋の中、 

PCの画面の明かりが煌々と光り市尾の顔を照らす。

ボサボサ頭で上下スウェット姿の市尾は、

ネットのオンラインゲームに夢中。

「ドンドン」

と何かがぶつかる音。

それが何度も聞こえてくる。

いてもたってもいられなくなった市尾はヘッドホンを外し、

その正体を突き止めようと部屋中を見渡す。

もう一度、

「ドン」

という音でそれが窓からだと判明する。

カーテンを開けると窓越しに窓を叩く黒い影を見る。

恐る恐る窓を開ける市尾。

その途端、勢いよく枝が飛び出し市尾を襲う。

「なんだよ!」

窓の下を覗きこみ、
隣の庭の木の根元を目視する。

市尾はなんとか枝を押しやり窓を閉める。

そして再びオンラインゲームの世界へと戻る。

戻ろうとしたが、

まだ鳴り止まない音が邪魔をする。

市尾は憎き木の枝を窓越しに睨み返した。

そして市尾は台所から包丁を取り出し、

窓を開け躊躇なく枝を切り落とした。

枝が下に落ちていく、

と同時に遠くから怒号が飛んでくる。

隣の家主の吾郎が激昂し、

「おい!貴様!何してるんだ!」

市尾はすぐさま窓の内側に隠れる。

「隠れても無駄だぞ!こっちこい!お前がこんのならコッチが行くぞ!」

市尾は頭を抱えたままその場で崩れ落ちる。




雨が止み、

晴れ渡る空とは打って変わって市尾の表情は曇っていた。


一軒家の玄関の前に市尾は佇んでいる。

奥から、

「こっちだ!こっち来い!」

という吾郎の声が聞こえる。  

渋々、裏手に回り、家の陰からチラッと庭の方を見ると、

縁側に杖をついた吾郎が居る。

歳はそこそこいってる風だが、

その人相は恐ろしく、

今の言葉で表せば、いかにも反社的様相。

「あのぉ・・・」

突然、吾郎がバケツを市尾に投げる。

「なにするんですか!」

「綺麗になるまで帰るんじゃねえぞ」

「な、なんですかこれ……」

「見りゃわかるだろ」

吾郎が雑草が蔓延る一帯を見渡す。

「嘘だろ……」

「さっさとやれ!」

吾郎の気迫に負け、

どうしようもなく草をむしる。

「なんで……」




気づけば陽は傾き、夕刻。



バケツにはこんもり雑草が入れられ、

入りきらなかった草で山がいくつも出来上がっていた。

市尾は庭で仰向けに倒れこみ、
赤がかった空を見上げた。

「おい」

吾郎の声がして、飛び起きる市尾。

吾郎が縁側に立ってる。

「なんだ、まだいたのか」

市尾は耳を疑う。

「ふざけんな!」

と声に出さないで文句を言った。

「こっちこい」

と中へ促されるので、

覚悟を決めて縁側から家の中に入る。

入ってすぐに居間がありその中央に季節外れの炬燵が置かれている。

言われた通り座っていると、

吾郎がガラスの器に入った素麺と二人分のつけつゆを運んでくる。

そして吾郎は黙々と食べ始める。

羨ましそうに見ている市尾に、

「なにしてんだ?食わないのか?」

「いいんすか?」

市尾は炬燵に入り、

つけつゆに素麺をくぐらせ頬張る

三月下旬に似つかわしくない光景が広がる。

貪り食う市尾を横目に吾郎が、

「そんなに美味いもんじゃないぞ」

市尾は久しぶりの飯に

「美味いっす」

と掻き込む。

「お前、仕事は何してるんだ?」

「あ、無職っす」

「無職?その歳で働いてないのか?」

「ええ、まあ」

誇らしげに答える。

「俺、ゲーマーなんすよ」

「ゲーマー?何してるんだ?」

「1日ずっとネトゲに決まってるじゃないすか」

「よくわからんが、要は引きこもりってことか?」

「まあ、そうかもしんないですね。家出たくないんすよ。飯はウーバーで十分だし、必要なものはネットで全部買えるんで」

「金はどうしてる?」

「ああ、親から仕送りもらってるんで大丈夫です。ギリ生きていける程度ですけどね。仕事ってのが向いてないんすよね。だから今日、6年ぶりくらいに労働しました」

「……そうか」

飯を食べ終え、

随分とすっきりした庭を炬燵に入りながら見ている市尾。


「明日、筋肉痛で動けないぞ」

と吾郎が缶詰のみかんが入った器を持ってきて市尾の前に置く。

「あ、ども」

吾郎はそのまま縁側に腰掛け、庭を見渡す。

「名前は?」

「市尾です。あの……」

「吾郎でいい」

「吾郎さんは一人で住まわれてるんですか?」

黙る吾郎。

「いや、一人で庭の手入れは大変だなと思って……」

ゆっくり口を開く吾郎。

「昔…ここに池があったんだ。鯉も三匹いてな。もうずっと前に埋めたが。そこら辺は玉ねぎとえんどう豆を植えて、ちょうど今の時期に収穫したもんだ。そう、お前が切った枝は桜の木だ」

少し顔を伏せる市尾。

「これが一向に花を咲かせない」

「確かに隣に住んでから5年経ちますけど、一度も桜なんて……」

「そうだろな」

「そんなことあるんすね。まあ、日当たり悪いすもんね、ここ」

「俺たちの前では咲きたくなかったのかもしれんな」

「俺たち?」

「妻が死んで、暫くして俺も怪我してよ」

市尾がちらっと居間の隅にある仏壇を見る。

「気づけばこの有様だ。外に出たくてもこの足でな」

足を摩る吾郎。

「缶詰のみかんは、俺の妻の好物だ」

「俺も好きです。シロップ全部飲みます」

「で、お前、いつまで居座る気だ?」

「あ、すみません。ご馳走様でした」


市尾は立ち上がり、縁側から出て行く。


一人桜の木を見上げる吾郎。


蕾が綻びる気配すらない。




そして、数日後。



いつものようにネットゲームに夢中の市尾。

雷が鳴り市尾はようやく雨が降っていることを知る。

「やばっ」

と窓を開け、洗濯物を急いで取り込もうとしていると、

庭に干していた洗濯物を取り込もうとする吾郎の姿が見える。

吾郎は手を滑らせ、洗濯物を落としてしまう。

足を曲げられず落とした洗濯物をうまく拾えない。

吾郎は諦め一旦屋根の下に避難した。

それから吾郎は、暫くの間、

救えなかった洗濯物たちが雨で濡れていくのをただただ傍観した。

「あーあーあー」

一部始終を目撃していた市尾は、

窓を閉めまた自分の巣へ引きこもる。

「腹減った」

市尾はキッチンの棚を開けて食料を探し始めるが、

棚という棚全て開けても、食料は見当たらない。

部屋中隈無く探してようやく見つけたのは鯖の缶詰一つだけ。

「なんだよぉ」

仕方ないと今度は缶切りを探し始める市尾であったが、

これまた見つからない。

フォークで開けようとしてもうんともすんとも言わず、

段々馬鹿馬鹿しくなって止めようとしたが、

腹が減ったことは止められなかった。

市尾は一瞬窓の方を見て、

「それはないか……」



雨が次第に小雨になっていく。

吾郎は炬燵に入り前日の新聞を読んでいる。

インターホンが鳴る。

吾郎は無視して読んでた新聞を床に敷いてその上で足の指を切り始める。

再びインターホンが鳴っても吾郎は動じない。

暫くして、

「あー、いるじゃないすか!」

とスウェット姿の市尾が庭からひょっこりやってくる。

「いるなら出てくださいよ」

「なに勝手に人の敷地跨いでる」

吾郎は爪を切ったままの状態で市尾を睨みつける。

「ま、まあいいじゃないすか」

「何しに来た」

「あ、えっとー、これ!」

と鯖缶を見せる。

吾郎は何故か不思議と懐かしい感じがした。


その日の夕方。


ご飯と味噌汁と数種類のおかずが並び、

その中央には市尾が持参した鯖が盛り付けられている。

「やっぱり炊きたての米はうめぇー!」

「お前、俺の家を定食屋だと思ってねえか?」

「そんなことないすよ。鯖缶だって俺が持ってきたんじゃないすか」

「ニートの分際で」

「洗濯物取り込んだじゃないすか」

箸で庭を指す。

「別に頼んだつもりはない」

「うわぁ、ひどぉ〜」

雨は上がり、太陽の光が庭に差し込む。


桜の蕾が綻びる気配はまだない。


それからというもの、

市尾は吾郎の家に頻繁にやってくるようになった。

その度に吾郎は庭の手入れや家事を市尾に手伝わせた。

そして働いた後は、必ず2人で飯を食べた。

何故か決まって市尾は玄関ではなく庭からやってくる。


4月上旬のある日。


いつものように吾郎の居間でくつろぐ市尾。

そこにインターホンが鳴る。

「俺出まーす」

市尾が玄関を開けると見知らぬ男性が立っている。

「どちら様でしょうか?」

という市尾の問いに男は同じ質問を返す。

「あんたこそ誰?ちょ、親父—!!」

と叫び、ずかずかと中に入ってくる。

「親父?」

それからはよくある光景だ。

男は吾郎の息子で和也というらしい。

吾郎と和也は暫く口論を続け、

市尾には何が原因かよく分からなかったが、

二人の仲は間に入りたくないくらい悪かった。

口論も終わり、居間の炬燵の中にいる市尾の前に和也が座る。

空き缶を灰皿代わりにタバコを吸い始める和也。

「親父が世話になってるんだってな」

「こっちこそタダ飯食わせてもらってるんで」

「それで、何が目的なわけ?金?残念だけど親父持ってないよ」

「そんな、別に。ただ居心地良くて……」

笑い出す和也。

「何言ってんの、最悪だよ。この家はずっと」

とタバコの煙を大きく吐き出す。

「ガキの頃なんてさ、親父とお袋喧嘩ばっかして。なんで離婚しないんだろこの2人って思ったよ。もう嫌で嫌で、早くこの家から出たくて仕方なかったよ」

「そうなんですね。でも、吾郎さん奥さんめっちゃ大事にされてたんだと思いますよ」

「は?なんで?」

「だってそれ」

灰皿代わりにしている空き缶を指差す市尾。

「そのみかんの缶詰が好きだからって、いつも仏壇に置いてるんですよ」

「これ?お袋が?聞いたことねーよ」

和也が空き缶にタバコの灰を落とす。

吾郎がやってきて、

「余計なこと話してるんじゃねえよ」

「はいはい。じゃあ、俺帰るわ」

和也は去って行った。


「よく息子さん実家に帰って来られるんですか?」

「たまにだ。こんな家とっとと捨てて一緒に住めってうるせえんだ」

「なんだかんだ言って親が心配なんすよ。まあ俺が偉そうに言えることじゃないすけど……」

「嫌いでも勝手に死なれる罪悪感にヤツは耐えられないだけだろう」

吾郎は急に真剣な表情になる。

「あいつが言ってたことは全部本当だ」

「え?」

「昔、妻と箱根に桜を観に行ったことがある。芦ノ湖の湖畔に咲く一本の桜だ」

縁側に腰掛ける吾郎。

「その桜は元々一本じゃなくてな、五本を寄せ植えして、長い時が経って一本の大樹になった。たしか、今年で樹齢100年になる」

庭の桜の木を見上げる吾郎。

「この桜が咲かなかったのは俺たち夫婦のせいなのかもしれん。酷いこと聞かされてりゃ、人間だって、花だってひねくれる。開くもんも閉じちまう」

吾郎の背中から吾郎の切なさを感じ取った市尾。

同時に市尾は苦しくなった。

苦しくて仕方なかった。

このいつまでも開こうとしない蕾と自分が重なって、

どうしようもない気持ちでいっぱいだった。

「……市尾」

市尾は黙って吾郎を見た。

「俺はこの家を出ようと思う」

「え?なんで?和也さんとこ行くんですか?え、じゃあこの家は?」

「うるせえなぁ。兎に角、こんなとこじゃなくて、違うところに行けってんだ」

吾郎はそう言い捨て自分の部屋へ去って行く。


突然の話で途方に暮れる市尾。

市尾は桜を見上げた。




翌日の夜。



縁側でみかんの缶詰を食べながら桜の木を眺めている吾郎。

居間の電話が鳴る。

吾郎がゆっくり立ち上がり電話に出る。

「もしもし……ん?」

電話を置いて居間の方を見ると、

奥の庭に桜がひらひらと落ちていくのが見える。

何事かと近づいてみれば、

桜の木から幾つもの花びらが舞い降りて、

吾郎の目の前を桃色に染める。

「夜桜も悪くないでしょー!?」

アパートの二階に目をやると、

窓の外に身を乗り出す市尾の姿。

市尾は桜の花びらがびっしり詰まったビニール袋を持って、

そこから手で掴んで桜の木に向かって撒いている。

「花咲か爺だな」

月夜に照らされ舞い散る花びらに吾郎は笑った。

ふと、吾郎は妻との記憶を思い起こす。



台所に立っている吾郎の妻。

「あなた、なにこれ?」

妻がスーパーの買い物袋からみかんの缶詰を取って吾郎に見せる。

「つい買ってしまったよ」

「そうじゃなくて!鯖の缶詰を頼みましたよね?」

「それ買ったらなぁ、買った気になってな」

「なってな、じゃないわよ!あれなかったら料理できないじゃない。あなたって買い物の一つもできないのね」

「だったら人に頼まねえで自分で買ってこい!」

居間でふたりみかんの缶詰を食べている。

「久しぶりに食べたら……意外と美味しいわね」

妻が嬉しそうに食べる。

妻が笑って食べるもんだから、吾郎は得意気に

「そんなに美味いか?いつでも買ってやる」



吾郎はなんでもないただの日常を思い出し、

思わず泣き出す。


花びらがひらひらと吾郎のいる縁側まで届き、

食べていたみかんの缶詰の中に入る。

「それー!」

市尾は無邪気にどんどん花びらを撒き散らす。



満開の桜の木の下で、

この庭にちょっとだけ遅い、

春がやってきた。




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