【奇跡の人ヘレンケラー自伝】あなたに会えてよかった
私が小説を読むようになったのは約4年前。
それまで本を読んでも「寝落ちしてしまう」「読む進めると1行前の話を忘れてしまう」といった具合です。
そう、本を読むことに憧れは抱いていたものの、なかなか読めない自分に少々イライラ。
父が読書家で知識量も多く、仕事バリバリできる営業マンだったので、本がもたらす効果のようなものを幼い私ながらに感じていたのでしょう。
松本清張との出会いで本を読めるように
新卒で入った会社を辞め長期休み(ただのプー太郎)に入ったころ、何か新しいことに挑戦したい!新しい趣味を身につけたい!と思っていたのです。
そこで父がくれたのが、松本清張の「点と線」です。
ぜひいつか松本清張への愛を綴るコラムを書いて、誰かと共有したいくらい…と、ちょっと話がそれそうなのでこの辺でカット。
松本清張との出会いによって、本好きな私が徐々に確立していきました。本を読み始めて知識量は増えましたし、何より自分の感情を客観視できるようになりました。
4年前に読み始めてこの成長(自分で言うな)ですから、幼いころから本を読んでいたらどんな人間になっていたのやら…
小学生のときに出会いたかった本
今回紹介する本はヘレンケラー著「奇跡の人 ヘレンケラー 自伝」
感想。
「小学生のときに出会いたかったーーーーーー」
ヘレンケラーが大学生のときに書いた自伝なのですが、
勉強を通して身に付く力
自主的に動くことで得られるものの大きさ
が描かれています。私はこの2点を本書から読み取り、「もっと早く読みたかった」という気持ちと「死ぬまでに出会えてよかった」という気持ちの大渋滞が発生してしまいました。
特にヘレンケラーのものを知ることで心が豊かになり、勉強の幅が広がっていった点は、勉強をする意味を全く理解できていなかった小学生の私に読ませてやりたかったです。
(小声)学校の先生の「勉強しなさい」「いい点とりなさい」より、よっぽど説得力があるような…
ヘレンケラーは超有名人ですので、知っている方も多いでしょう。彼女のストーリーは割愛しますね。
本書は耳が聞こえない目が見えない症状が出る前から物語が始まり、サリバン先生との出会いからどのような学生生活を送っていったのかが書かれています。
サリバン先生とのやり取りは特に印象深く、「これは何?」とものを知ろうとする貪欲な姿は、知ろう!理解しよう!といった好奇心の大切さを教えてくれます。
小学生のころに本書を読んでいれば、
興味を持つ→知る→理解する→行動する→失敗する→挑戦する…
といったサイクルを幼いうちに体で覚えることができたかもしれませんね。
情報社会である近年は、「情報集めはAIでもできる」「情報ではなくそこから何を生み出しどう成功させるかが大切」といった風潮があります。
たしかに、情報だけでは何も生まれません。
しかし、情報失くして行動に移すことは困難でしょう。
例えば、
”紅茶”が冷めたから新しく作り直した
”虫の音”が聞こえたから窓を開けた
”友人”が泣いていたからそばにいって話を聞いてあげた
紅茶・虫の音・友人、これら全て私たちは当たり前のように理解し日常生活で発していますよね。
紅茶というものは飲み物であって、温かい紅茶は時間が経つと冷める。
虫とは人間ではない別の生き物のことで、体から音を出す。
友人とは親族ではないけれど、楽しい時間も悲しい時間も共有できる人。
そもそもこれらの言葉を知っているからこそ、人と会話し、新たな課題が見つかり、何かしらの行動に結びつくわけです。
赤ん坊のような知識量の状態で目が見えず耳が聞こえなくなってしまったヘレンケラーのように、身の回りにある1つ1つの言葉に向き合い知ろうとする自主的な行動こそ、全ての行動、成功の源になるではないでしょうか。
私たちは、単語1つにしろ見えたり聞こえたりしているからこそ、「知っている、理解している」とか違いしていることも。
真偽の不確かな情報が溢れている昨今だからこそ、全ての基盤である情報というものにもっと向き合っていく必要があるかもしれませんね。
”無知の知”という言葉がありますが、まさしくこの言葉を小説化(伝記)したものが本書だと思いました。
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