被害者として生きてきた毒親。
きっと、あの人は悲劇のヒロインでいたかった。
そして、私にはそれを助けるヒーローでいてほしかった。
しかし、実際はそんな綺麗な関係ではなく
どんな愚痴も
どんな醜い感情も
まるで私をトイレのように使う日々。
手入れもせず使い込めば
トイレだって、いつか壊れる。
可哀相な親を演じ、
その被害者ぶりが通用しなくなると
途端に豹変したのだ。
あの人を不器用という表現でまとめる家族もいた。
「不器用だから仕方ない」
「あの人は不器用だから守ってあげて」
「あの人は不器用だから分かってあげて」
…いや、待て待て。
不器用だったら、そもそも私を噛まないだろう。
あの人は器用だったよ。
私が幼かった頃も、大人になったときも。
器用だから
私を噛み続けた日々を、隠すことができた。
(その行為をされる場所は、必ず密室)
器用だから
私がその虐待で心が壊れても、責任を問われなかった。
(自分も、被害者として生きていた)
器用だから
私がどこまで孤独に生きたか、知ろうともしなかった。
(私が他の家族に助けを求めても、誰も信じなかった)
被害者として生きてきた加害者(毒親)は、
自分の罪が問われるとき、
どんな顔をして、何を演じるのか。
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