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見られる私と見る私

いつから私は他人の評価に執着して生きるようになったのだろう。

例えばSNS。
思いの丈を気軽に吐き出す場としてSNSを使いたいのに、いつだって「これをあげたらどう思われるだろう」という考えが邪魔をしてせっかく生まれた言葉たちは永久下書き保存だ。

「あの子失恋してポエマーになったよね」
「病み期じゃん」
「一回ならいいけどたくさんだとちょっとね…」
「何となくうざい」
そんな風に思われるのが怖くて、思いをグッと堪える。
本当にそう思われるかなんてわからないのに。ならばどうしてそう思われると思うのか?
それはきっと私が逆の立場に立った時、誰かに対してそう思った経験があるからなのだ。
人は悲しみを経験しなければ、誰かの悲しみを本当の意味で知ることはできない。
私もそうだったのだ。振られて初めて感じた感情ばかりだった。
でもだからこそありのままの自分を受け入れてもらえる自信がないのだ。
本当は誰かにわかってもらうために発信するものではないはずなのに。

誰にどう思われようと私は私を生きたい。
強くなりたい。変わりたい。見られる私に執着している自分を葬りたい。

そして何より、見る私が誰かを傷つけないように、誰かの痛みにそっと寄り添える人で在りたい。

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