森のイカすみ
人によく見られたいと思っていた私が、プライドを捨て、すべてを曝け出すことに決めた。なぜならしんどくなったから。全てを曝け出すとはなんと楽で素晴らしく生きやすいのか。 ウェルカムトゥニューワールド 人に馬鹿にされる?人に変な目で見られる?悪口を言われる? それがどーした。屁とも思わん。 さぁかかってきたまえ。 新しい人生の幕開けじゃ。 笑っておくれよ、皆の衆。
私は頭が悪い。記憶力など壊滅的である。 しかしながら、これでも皆が羨む大学を出ている。出身大学を聞いた相手はそれなりのリアクションを取る。 が、これがタチが悪い。頭の悪い私が、いい大学を出ているなど、相手からすれば気分を害する材料にしかならない。会話開始5秒で嫌われ者である。 最初のうちは、鼻高々に「〇〇大学でー、そのあと△△大学院です」と意気揚々と語っていたが、最近は出身校を聞かれると「小卒です」とケムに巻くことにしている。 これで少しは嫌われないようになったかと
https://youtu.be/S9iLfTQuxLk
洋楽ブルースに限りなく近い。一つのフレーズのみで勝負してるから洋楽っぽいのか?
私は屁こき太郎である。 よくおならがでる。 おならをしたときはとてつもなく、気持ちの良いものである。 体の奥のつっかえたものが取れ、健康になったかのような感覚に包まれる。 できることならば、永遠に屁をこいていたいものだ、とさえ思う。 しかしながら、そんな私の憩いのひとときを邪魔することがある。 大衆である。 大衆の中でおならをしようものならば、あなたのこれまでの人柄は音を立ててくずれていくであろう…おならだけに。 しかし、大衆に囲まれている時に限っ
私は嫌なことの記憶がいい。 みなさんにも聞いてみたいことだが、悪いことの記憶っていつまでも覚えていませんか? 私はとてつもなくどうでもいいことでも記憶の片隅にこびりついてとれないので、困っている。 厄介なことに、なんの拍子かわからないが、ふとこの嫌な記憶を思い出し、鬱になってしまう。 道を歩いている時、料理をしている時、窓の外を眺めている時…なんの気もないときに思い出してしまう。 なんらかの行為がトリガーとなって思い出されるのならば、対策できよう。しかし、
私は尿の切れが悪い。 気をつけてはいるが、どうしてもパンツにシミがついてしまう。 まず、皆様にお伝えしておかなくてはならないことが一点ある。 私は家では座っておしっこをする!! 座っておしっこするのは安心である。おしっこが跳ねてトイレを汚さないし、おしっこした後、トイレットペーパーで拭ける。 非常に便利である。 便座式便器を考えた人は天才だと思う。 しかし、この向かう所敵なしの便座式便器であるが、一つ難点がある。 それは、おしっこを出し切った!と
私は見栄を張るのをやめた。 できないことはできないといい、やってないことはやっていないといい、知らないことは知らない、ということにした。 それまでの私は、周囲の目を気にして少しばかりの背伸びのために、いわゆる知ったかぶりをしてきた。 そこで得られたことは何もない。 言ってしまったあとで、言ってしまった手前なんとかしなくては、というストレスに見舞われてしまっただけである。 後悔しかない。 たまに、社会人の先輩で、知らないこと、出来ないことも出来ると言ってしま
私は気ぃ遣いである。気ぃ遣いとは関西弁で、気を遣う人、ということを意味する。 どれくらい気ぃ遣いか説明しよう。 私はお笑い番組が好きだ。毎日なにかしら録画して、晩御飯の時間に妻と観るのが日課である。 私が録画した番組は私に責任がある。 番組を観ていて面白ければ私は大笑いする。 「あはははは…」と大笑いする。 と共に皆さんとは異なる行動をする。 そう、私は妻が笑っているかどうかを横目でチラリと毎回確認するのである。 先ほども述べたが、復唱しておこう。
私はビビりである。仕事に影響が出るくらいのビビンちょである。 私の仕事は社内で複数のグループの人と一つのテーマをこなしていく。 一つのテーマをみんなで頑張っていく、というよりは、各グループが責任の所在が自グループにならないよう、自分の仕事だけに力を入れる、というストレスフルな仕事の仕方である。 そのため、グループ同士の仲がよくない。常に気を張り詰めて仕事をしている。少しでも気が緩むものなら、鋭い指摘が入り、心が血まみれになってしまう戦場である。 そんなところに
私は無能である。 ここで私が使っている「無能」と言う言葉は、金になる才能がないということを指している。 こんな私ではあるが、得意なことはいくつかある。 このようなバカな文章を思いついたり、絵が少し描けたり、音楽に少しばかり知識があったり… みんなには負けないぞ、というものがあるのだ。皆さんもそうでしょう? しかしながら、ここで立ち止まって考えていただきたい。 大人になって、金にならないことが、なんだと言うのだ… 子供の時は好きにしたらよい。どう転ぶかわ
私は不真面目である。真面目に考えることがとてつもなく苦手である。 どれくらい苦手かというと、真面目に作った書類よりもふざけながら作った書類の方が説得力があり、自信満々で話せる。 なぜこんなことが起こるのか、不真面目な私が真面目に考えてみた。 まず私はしょーもない笑いが好きだ。ちん○、うん○といった、小学校低学年しか笑わないようなことがいまだに好きで、いまだにそれで笑いを取りに行こうとする。 今まで国家権力に通報されなかったことが不思議である。 しかし、皆の衆、
私はせっかちである。人からのんびり屋といわれるが、そんなことはない。 その証拠として、人の話が聞けない。 人が説明し出すと、最後まで聞かず、結論を予測し、「なるほど、これってこういうことだよね?」と話しに割って入り、「いえ、違います」といわれることが常である。 最近は会社の後輩が一生懸命に説明しようとしているのに、途中で「あー、こーゆーことかー」と遮ってしまう。 そのあと後輩は侮蔑の目で「は?違います」と言われる。 それくらい重度のせっかちだ。 さて、ここ
私は調べ物が苦手である。なぜなら、どーせ理解できないと思っているからである。 こういうと、調べ物をする人からすると「何を最初から諦めてるんだ。努力しろよ」と、言われるかもしれない。 でも私は努力しない。だって理解できないとわかっているから。 私に取って文章は文字の羅列でしかない。一つ一つの単語の意味が頭に入ってこないのだ。 最初の5行を読んで、次の五行に行くと、前の五行の内容を全て忘れている。 若い時はこんなことはなかった。海外生活のせいだと思っている。 海外は
私は詰めが甘い。なぜなら後先考えずに突っ走ってしまい、自ら丸見えの大きな穴にはまってしまうからだ。 私は俗にいう、右脳人間である。直感的に物事を考え、「よし!やっちゃおう!」と純粋な心で出発してしまう人間である。 聞こえはいいが、なんの準備、調べもせず、ふりちんのまま高速道路を走ってしまう人間となんら変わりはない。そもそもこのエッセイ的文章もそうである。 本文は三作目である。ふざけた文章書いたら面白いんじゃね?と勢いでスタートしたものの、有名人でもない私の文章など、誰
私は仕事ができない。そもそもやる気がない。 なまじっか給料の良い会社に勤めているため辞める気はない。会社にとってはいい迷惑な癌社員である。 どれくらい仕事ができないかというと、まず書類のミスが多い。自分で言うのもアレだが、誤字脱字が多い。これは対策がある。ある程度確かめたら、「ま、いっか」と思い切って提出する。そしたらほぼ100%の確率で怒られるが、みんなミスを見つけてくれるので、そこを修正すればよい。 我ながら天才である。 また私は失読症かと言うくらい、文章を読む