私は無能である

 私は無能である。

 ここで私が使っている「無能」と言う言葉は、金になる才能がないということを指している。


 こんな私ではあるが、得意なことはいくつかある。
 このようなバカな文章を思いついたり、絵が少し描けたり、音楽に少しばかり知識があったり…
 みんなには負けないぞ、というものがあるのだ。皆さんもそうでしょう?


 しかしながら、ここで立ち止まって考えていただきたい。
 大人になって、金にならないことが、なんだと言うのだ…

 子供の時は好きにしたらよい。どう転ぶかわからないし、親であれば好きなことをやらしてあげるべきだと思う。
 頑張って続けられることより、好きで続けられることのほうが楽しいし、成長するだろう。

 しかし、大人になってからは違う。
 それがなんの意味があるというのか。
 私は休みの日に、ギターを弾いたり、バンドをしたり、このようなバカな文章を作ったりしている。

 はい、そこの方、バカじゃないの?無駄なことばかりして…奥さん、苦労なさってるわぁ、と思われたのではないか?
 とはいえ、前半の文章を読んで、いいやん、好きなことすればいいやん。あなたの人生やん。楽しみなはれ。と思われたはずだ。

 なぜ、180度あなたの考えが変わったのであろうか…
 それは私が意味のないことに時間を使っているからではないだろうか?


 意味のないことに時間を使うと言うのは正直無駄である。
 大人になってからお金を稼ぐ能力がないものは無能と罵られる。

 私はお金を稼ぐ才能はない。仕事が出来ないのだから。
 でもお金を稼ぐこと以外の才能は少しばかりあるようだ。
 と、いうことで私は自分のことを無能であると思っている。

 仕事はできないのに、無駄なことには時間をかけているのである。
 週末にパチンコに並ぶ親父となんら変わらない。

 でも、いいじゃない。死ぬ時にやりきったー、楽しかったーて言って死にたいんだもの。

 才能を生かして仕事をし、金を稼げているそこのあなた。
 あなたは素晴らしい方である。
 少しの額のお金でもいい。稼げるのならあなたは勝ち組である。
 

 あー、この駄文が金になったらなー…間違えて集英社が僕と契約しないかなー…
 と芸人のネタのようなことを言って、また更に駄文に手を動かす無能っぷりである。
 

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