私は調べ物が苦手である
私は調べ物が苦手である。なぜなら、どーせ理解できないと思っているからである。
こういうと、調べ物をする人からすると「何を最初から諦めてるんだ。努力しろよ」と、言われるかもしれない。
でも私は努力しない。だって理解できないとわかっているから。
私に取って文章は文字の羅列でしかない。一つ一つの単語の意味が頭に入ってこないのだ。
最初の5行を読んで、次の五行に行くと、前の五行の内容を全て忘れている。
若い時はこんなことはなかった。海外生活のせいだと思っている。
海外は当たり前だが、日本語ではなく、どっぷり英語ばかりの生活である。英語の論文など、英文を読む機会が多々ある。生活しているから当たり前だ。
この生活で一つ困ったことが起きた。英文を読んでいると遅々として話が進まない。
そう、私には単語力がないのである。一単語調べては、また他の単語を調べると言う自転車産業を紙面でやるのである。
よく英国大学を卒業したものだ。若い衆よ、大学なんてどこも一緒だよ、こんな私でも卒業した、と勇気づけてあげたい。
さて話を戻そう。
英国で一単語に毎度のこと集中していた私は徐々に単語力がついたかというとそんなに世の中は甘くない。
一文の中で時間をかけて数多の単語を調べると、あほのように時間がかかってしまい、最初に調べた単語の意味を忘れてしまうのである。
こうなると単語力はついてこない。人間一度に覚えられる事柄は3つまでという。数多の英単語を一度に覚えられるわけがない。私だけに起こる現象ではないはずだ。
またこんなに単語に集中してるもんだから、文章なんて読んでいるわけがない。
文末まで行って私はふと、こう思うのである。
「これ、なんの話だっけ?」
客観的に可哀想になってくる。
このように単語一つ一つに集中してしまう私が帰国して日本語に触れたらどうなるか。
「日本語の意味、なんだっけ…文の真意が読み取れない」
ここに21世紀に文盲の日本人が誕生したのである。
こんな人間が調べ物をして、物事を理解できるわけがない。
しかし、こんな私であるが、海外生活を通して築き上げた得意能力がある。
それは単語を見つけ出す能力である。
たとえば、A4の紙に文章が書かれており、その中からappleという単語を見つけなければいけないとしよう。私はこれをみつけることが得意である。
なぜなら英国大学にいるとき、限られた時間の中で文章を理解しなくてはならない。普通に時間をかけて読んでいては、非ネイティブの私が英国大学で必要な勉学を電話帳ほどの厚みの教科書や論文から吸収しきれるわけがない。
そこで私は流し読みし、必要な単語のみを見つけ出し、その周辺の文章のみを理解すると言うことを続けていた。
これがテストでは役に立つ。
なぜなら筆記テストというものは、解答に必要な文というものがあるのだ。それさえ書いていれば、その他の文面が多少ちんぷんかんぷんでも、○をもらえるのである。
ずる賢さとは、たくましさであることを皆さんにお伝えできたであろうか。
文字は難しい。捉え方によって。全然違う意味になる。
頭の良い人でも捉え方が違うくらいだから、私に理解できるわけがない。
私は基本的に視覚的にしか理解できない。要するに絵だ。絵であれば理解できる。
しかし残念ながら会社の説明で絵で作られた資料はない。困ったものである。
次に困ったことは資料作りだ。
資料というのは、自分が理解できる形で作る。なぜなら私自身が理解できないものを作れるわけがない。
というわけで私の資料は稚拙な絵が多いものになる。
一見してアホが作った資料になる。出世できるわけがない。
では、文を多くし、賢い人が作ったような資料に直すかと言われると、私はそんなことはしない。
なぜならそんなものを作ってしまうと私が説明できなくなるからである。
説明できない資料の前に立って「えーっと…」なんて説明をしたものなら速攻で怒られるとこは確実である。
いくらバカな私とはいえ怒られるとわかっていることをするわけがない。
なので、私は稚拙な資料を今後も作り続けるのである。
大事なのは伝えることだから、稚拙と馬鹿にされても気にしない。伝わりさえすればなんでもいいのだ。
このままでいいのである。無理なことなどできないのだから。
無理せず生きるのがちょうどいいのである。
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