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「罪の声」 紹介 & レビュー 【ネタバレあり】

みなさんは昭和の最大の未解決事件「グリコ・森永事件」をご存知ですか。
私はこの事件の出来事についてはほぼ何も知りません。唯一知っているのは「キツネ目の男」が事件に関わっていたことだけです。

私は先週この未解決事件を題材とした塩田武士さんの小説「罪の声」を読み終えました。とても興味深く、色々考えさせられる作品でした。今回はネタバレありでこの小説の紹介とレビューをしていきたいと思います。

「罪の声」 との出会い

この作品と初めて出会ったのは小栗旬さんと星野源さんの映画化版の予告を見た2020年です。予告でこの物語の世界観に一瞬で引き込まれ、見てみたいと強く思いました。ですが、アメリカに住んでいるので、日本の映画を見るのは難しいことだとわかっていました。その時、原作の小説があることを知り、小説を読むことに決めました。コロナが落ち着いたタイミングで友人が日本に一時帰国すると聞き、小説を買ってきてもらいました。

このような長編小説を何年も読んでいなかったので、初めて読んだ時は50ページで挫折しました。それからしばらく経って、再度「罪の声」を読むことを決心しました。今回は無事最後まで読むことができました。

あらすじ

京都でテーラーを営む曽根俊也。自宅で見つけた古いカセットテープを再生すると、幼いころの自分の声が。それは日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声と、まったく同じものだった。一方、大日新聞の記者、阿久津英士も、この未解決事件を追い始めーー。圧倒的リアリティで衝撃の「真実」を捉えた傑作。

「罪の声」塩田武士

この小説は実際にあったグリコ・森永事件を題材としており、小説では「ギン萬事件」に名前が変わっています。この物語自体はフィクションですが、物語の中の事件にまつわる出来事、場所、日時などはグリコ・森永事件をできるだけ忠実に再現されたものとなっています。読んでいるときに小説がフィクションであることを忘れるほどリアリティのある作品でした。

この小説のギン萬事件と実際あったグリコ・森永事件の最大の相違点はギン萬事件は未解決のままで終わらないところです。小説では2人の主人公が別々の理由で事件の真相を突き止めようと動き出します。俊也は自分と家族の事件への関係をあきらかにするため、阿久津は年末企画の取材のために。当時の事件関係者や俊也の伯父の知り合いなど点と点をつなぐように事件の真相が明らかになっていきます。

レビュー

エピローグまで入れると535ページもある長編作品で、話が複雑であることと登場人物の多さで話が進むにつれ、

「この人は誰だっけ」
「この人は誰と繋がってたんだっけ」

など登場人物の名前や関係性がごちゃごちゃになってわからなくなることが多々ありました。

この小説では事件の真相は株価操作と警察などの権力者への反抗とされています。そして、事件に加担していた人物が全員特定されます。ですが、話を最後まで読んで思ったのは、著者の塩田さんは事件の犯人を特定するのが目的ではなく、事件に巻き込まれた子どもたちにスポットライトを当てようとしたのではないかと思いました。

事件に巻き込まれた子ども達

小説のギン萬事件もグリコ・森永事件も脅迫に子どもの声が使われています。このように幼少期に自分の声が犯罪に使われたうえ、自分の親や家族が事件の加害者だと知った子どもたちはどのように生きていくのか、犯罪や事件を語る上であまり注目されない点にスポットライトを当てることで読者に考える機会を与えているのではないかと感じました。

小説では事件に声を使われた子どもたち、曽根俊也、生島望、生嶋総一郎の3人が登場します。俊也は母親と伯父、生島兄弟は父親が事件に加担していたことを知ります。俊也は事件後も比較的幸せに暮らしていましたが、生島兄弟は父親が事件に加担していたこととヤクザとの関わりがあったことで人生が翻弄されてしまいます。

将来への夢と希望に満ち溢れていた姉の望は命を落としてしまいます。弟の聡一郎は姉の死を目撃し、母親と生き別れ状態になり社会から隠れるように静かに暮らす人生を送っていました。

事件が、自分の子ども同様、他の子どもたち、延いては社会全体を巻き込んだことに、二十八歳の母はどれだけの想像力を持って対峙していたのだろうか。「警察」という言葉を聞くだけで思考停止に陥り、罪のない人々へ向けて個人的な恨みを晴らした行為が、正義であるはずがない。

「罪の声」513 ページ

自分の意思ではなく、親の身勝手な行動で事件に巻き込まれ、知らない間に事件の加害者側の人間にされていた3人は加害者ではなく被害者であると小説を読んで思いました。そして、現実世界でも加害者の家族は加害者の〇〇などとレッテルを貼られて、犯罪者を見るかのような目で世間に見られ、生きづらさを感じていることに気付かされました。私たちはそのような立場の人たちに救いの手を差し出すべきではないのでしょうか。想像力を働かせ、望のように希望や夢を奪われた、聡一郎のように暗闇の中で暮らし続ける人生を強いられた加害者家族に生きる希望を与えられるのでしょうか。

メディアとマスコミのあり方

そして、もう一つの小説のメッセージはメディアやマスコミのあり方だと感じました。

伝言ゲームになった時点で真実ではなくなる。

「罪の声」478 ページ

俺らの仕事は素因数分解みたいなもんや。何ぼしんどうても、正面にある不幸や悲しみから目を逸らさんと「なぜ」という想いで割り続けなあかん。素数になるまで割り続けるのは並大抵のことやないけど、諦めたらあかん。その素数こそ事件の本質であり、人間が求める真実や。

「罪の声」523 ページ

ネットの普及もありフェイクニュースが広まりやすくなった世の中。我々はSNSで見た書き込みなどを鵜呑みにし、まるで伝言ゲームのように拡散し偽りの真実を広めてしまいます。そして記者はSNSで拡散された信憑性の低い情報をまとめ各々の憶測をいかにも真実のようにコタツ記事としてさらに世間に広めてしまいます。

さらにメディアやマスコミは偏った報道をします。ビジネスとしては偏った意見だけを報道しても、読者さえいれば利益につながるから問題はありません。ですが、そのような考えが、世の中の出来事や事件の本質を捉えようとしている者を妨げているのではないのでしょうか。さまざまな角度から事件を見て、事件と真剣に向き合い、真相を突き止める、記者としての意義を突きつけているように思いました。

おわり

この小説をきっかけにグリコ・森永事件について知ることができただけでなく、私たちの生きる世の中にある問題について考えるきっかけになりました。まだ読んでない人には是非読んでほしい小説の一つです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました 😊

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