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普段は文章を書かない身近な人の文章を読んでみて

いろんな角度から見ることを多面的に見ると言いますが、人間にとってもそれはしばしば適用されます。ひとりひとり良い面があり、悪い面もあり――もちろんそんな物差しでは割り切れないような面もたくさんあります。同じ人を見ていても、見る人によっては違うように見えてくることもあるのが不思議です。

そこにはそれぞれの価値観や物の見方、また経験などが反映されていることでしょう。今回は思いも掛けない場面で、私が身近な人の知らなかった面に気付いたきっかけになった出来事からの話です。



最近とある事情で母は叔母と分担してふたりで書類を書くことになりました。お互いに遠方に住んでいるので大体の打ち合わせをして、書いた後に叔母宅へと宅配便を送ることに決まりました。母は文章を書くのが苦手で、年末の年賀状を書くときなどはものすごく時間が掛かるタイプです。

送るはずだった前の日に少々手間取る用事があり、予定が狂ったので間に合わないかもしれないと不安になったのでしょう。私がその文書の作成場面に立ち会うことになりました。私はまず、ざっと見て何が書きたいのかということを理解する必要がありました。薄く書いてある鉛筆の下書きに目を通すと、既にほとんど文章としては出来上がっていることに気付きます。

「なんだ、もう清書するだけじゃない」
「そう。けど最終的にどうかも見て欲しいのよ」

なるほどと頷き、とりあえず下書きの文章を忘れることのないように「先にペンで上から書いて、その後に下にある鉛筆書きを消したほうがいいよ」とだけアドバイスしました。


綺麗に清書されていくペン字を見ていて思ったのは、母はこういう文章を書く人だったんだなあという新鮮な驚きでした。文章とは言っても、ほとんど個性など出しているものではありませんが、所々に見えてきます。書いてある内容やそこから読み取れる気配りなど、普段会話しているときの母とはまた違った人物像がありました。なんとなく硬い印象が外側にあるような気がしますが、それでもにじみ出る温かさのようなものを連なっていく母の文字から感じたのです。

私はその人の性格は文章にけっこう現れてくるものだと思っています。ただ、自分らしさを消して書いている人にはないかもしれません。個性の出せる文章にこそ、その人らしさは宿ると考えています。うまいとか下手とか、そういうこと以前にも書いている人の心は現れます。例えばそれは読みやすくする気遣いであったり、親しみを与えやすくする言い方であったり、物事を言い切る強さであったりするのかもしれません。

そのような傾向はもちろん私にもありますし、逆にあるとわかっているからこそ気を付けて書いている部分もあります。そんなことを考えつつも、母が書き進めていくのを眺めていました。



そして数日後のことです。

「あれから、ちゃんと届いたって」
「よかったね」

けっこうあの日は疲れて大変だったよね、などと話しながらテーブルにつき、私たちは午後のティータイムへとしゃれこみます。今日のおやつはチーズスフレケーキと紅茶です。

「けどね、妹がこう言ってたの」
「え、なんて?」
「『文系の文章だね』って。ほら、あのひと理系でしょう?」
「うーん?」

そして、私は思わず首をひねりました。確かに母は文系の出身ではありますし、叔母の印象は当たっています。ただそれは実妹であるために、実際にその情報を知っているからそう言っているだけだという可能性もあります。


私はお互いを知っている身近な人でも、同じものを見て感じるものが違うんだということが面白いと感じました。おそらく、叔母自身も母の文章を読んだことがないので「文系の文章だね」という新鮮な感想を抱き、伝えてきたのでしょう。

そして先程も書いたとおり、私が母の文章から感じたことも存在しました。私も思ったこと(硬い印象が外側にあるような気がするけど、にじみ出る温かさもある)を言ってみたところ、母は「確かに、仲のいい人以外にはそういう風に振舞っているのかもしれないわね」と言っていました。

同じ文章を読みながら、私とは違った感想を抱いた叔母――どんな理由で思ったのでしょうか。例えば自分自身が書くような文章と比べたのでしょうか。けれども、きっと母と同じように普段はほとんど文章を書かずに暮らしているんだろうと思います。




学生時代を過ぎてしまったら仕事などで扱わない限り、文章を書くこととは全く関係のない人生を送る人もいるのではと考えています。あったとしてもメモ書きで少しだけとか、LINEやメールで短い文面を打つくらいになるほうが今は普通なのかもしれません。けれども、私は単純に話すためのものとは違うと考えると、書くためのことばって実は特別なんだろうかとも思うのです。考えようによっては、違う科目なんじゃないかというくらいに差があったりするのではないでしょうか。

現在は英語という教科がどういう授業内容になっているかわかりませんが、私のころはリーディングとライティングとに分かれていました。そのため、国語にもそういった違いがあったら、もっと楽しめたのではないかと考えたりしました。

よく「手書きの手紙をもらって感動した」との話を聞きます。その一方で「直接言って欲しかった」と感じる場合もあります。もしかしたら、話すほうがいいことばと書くほうがいいことばにはそれぞれ適性もあるのかもしれません。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




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