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自分を語るということについて

物事を語るにおいて主観的、客観的という2つの側面があります。おそらくnoteには主観的な文章の方が多い傾向があり、私自身も普段から主観に重点を置いているタイプだと思います。

主観的な文章というとやはり基本的には「自分はこういう考え方をしていて、こういう人間だ」というアプローチから展開していきます。

その人本人の人となりが浮かび上がりますし、意見やそれをもつに至った展開などがなんとなく見えてきます。


よく考えてみれば、これは怖いことでもあります。

匿名とはいえ、自分自身の思想が世の中に流れ出してしまうわけです。誰に拾われるかわかったものではありません。それでも表現活動を続けたいと思ってしまうのは、単なる自己顕示欲だけではないと感じます。

情熱、使命感、不安……突き動かされる感情は人によりますが、共通しているのは「誰かにわかってほしい」そんな気持ちではないかと思いました。

誰かに届けたい、伝えたいということも含まれているかもしれません。


どうしてそう思ったのかというと、誰にも見られたくないのなら公開される場所には縁がないはずだからです。そんな戯言はチラシの裏に書いて捨てろといった表現を、かなり昔に聞いたことがあるような気がします。

一般的に自分語りをする人というのは、あまり好まれないものでした。けれども誰が表現しているのかを選べるのなら話は別です。

この人の話を見たい!という思わされるような出会いが、noteにはたくさんあります。その結果「その気持ちわかる」「そんな考え方あるんだ」「自分もやってみたい」など自分語りだった記事に理由ができてきます。


人には当たり前のようですが見えない側面というものがあります。一緒に暮らしている家族ですら一生知らずにいたかもしれないことを、知らない人には話せるということもあるでしょう。

一対一のことでしかできなかったことを、個人が発信していろんな人から反応を受け取ることができます。その結果作家ともなりえます。

私が特に心を動かされるのは、人生がドラマチックで美しく見える方です。正しくは、そう表現することのできる方です。

まるでひとつの小説であるかのように、自分の経験したことや考えたことを語ることのできる方がいます。

主観的な文章が、まるで映画などのモノローグのように見えます。



私が1つ前に書いた自分の体験についての記事があったのですが、あまりうまく表現することができず悔しい思いをしました。それはこの「小説のように自分のことを語る能力」がなかったせいだと思っています。

単に表現できる得意分野の違いということでもあるかもしれません。けれども、これは私が本当に言いたかったことに対しての適度な文章力が欲しかったと思った瞬間でした。

もしかしたら、それは私とは対極にある書き方なのではないかと感じている今日この頃です。

自分の好きな文章の方は、自分と似ているような書き方という方と違った書き方という方がいると思いますが、私はおそらく後者なのだと感じます。なんかそれって好きなタイプみたいな話ですね。


そして、自分ってこのアカウントを通じてどんな人間に見えているんだろうとも思います。

なんとなくですが、文章の癖みたいなものってけっこう自分自身をごまかせないような気がしています。既に完成された書き方であるライターさんの文章であれば別ですが。

文章に出る個性ってありますよね。少し前にこんな記事を書いたことがあります。

主観で語る方、客観で語る方がいます。実際の体験談、考えたこと、フィクションなど内容の違いもあります。それは伝えたいと思うことであり、自分自身が書きたいと思う方法でもあります。

これからもどんどんnoteに自分の世界を作っていきましょう。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




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