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伝説のサウナニュージャパンを知っていますか

 サウナとの出会い

我が国は今、空前のサウナブームでサウナの愛好家が増えています。

 その影響で、多くの新しいサウナ施設の建設やリニューアルが活発に行われています。

  コロナで苦しんだこの数年も、個室サウナや、テントサウナなど今までとは違ったコンセプトや楽しみ方が広がり、ぞの層は厚みを増しています。

 2019年春、そのような変革の要因ともなるコロナが本格化する直前に、日本のサウナの文化を創ったともいえるサウナの名店、大阪難波のサウナニュージャパンが長い歴史の幕を閉じました。

  創業は1952年、先日御逝去されたエリザベス女王が即位された年です。その後地下1階・地上9回建てのビルにリニューアルされてから60年にわたって営業をつづけられていました。

 僕は現在50代後半なのですが、初めて訪問したのは20代後半、もう30年も前のことです。

 当時勤めていた会社は朝から晩まで働き詰め、休みも月に2回くらいしかとれない猛烈な社風でした。

 仕事に燃えていたかと言えば、決してそうではなく日々すり減るような時代でした。

  ミナミで飲んだあと、帰る気力もなく飛び込んだのが最初だと思います。

期せずして天国に来てしまった

 20代の当時、やや大人の雰囲気で場違いな空気を感じながらも、暗めですがオレンジ色の灯りの落ち着いたサウナで汗を流し、水風呂に飛び込み、外気浴で微睡を覚える、「整う」という表見がなかった時代ですが、確かに整っていました。

 最初のサウナ浴室エリアには洗い場はなく、サウナを堪能した後に順路に従うと、女性スタッフが現れズラリと並んだ洗い場と大型浴槽の空間へ案内してくれます。

 洗い場の椅子に座らされると、シャンプーで頭を洗ってくれます。

”へちまは硬めがいいですか?柔らかめがいいですか?”の問いに『?』となっていると、”初めてでしたら柔らかめにしておきましょう”と言って、背中から全身を石鹸とヘチマで洗ってくれます。

足の先までピッカ!ピッカ!

おおっ!そんなことろまで!

”前はご自分で”と最期は突き放されますが・・・

 まるで王様になったような気分です、そのあとお風呂をすすめられ、お風呂から上がると別のスタフに整髪カウンターに案内され、髪を乾かし、顔にローションを塗ってもらい、王様気分は最高潮です。

 その後は、リラクゼーションタイム、野戦病院さながら、ずらりと並んだベッドが並んでおり、その中の一つに収まると予め予約をしていたコースが始まり、数秒で正気を失いました。

 施術が終わると、別室に案内され、施術に対するアンケートを渡され、その間に飲み物を聞かれます。もちろんビールという流れになります。

 別室から移った後は休憩所で微睡んだり、追加のビールを楽しんだり、もうここを離れたくない、一生ここに居たい、そんな気持ちになってしまうのです。

そこに愛はあるんか

 それから数年、ひょんなことから僕は温浴事業に身を置くことになります。転職した会社でスーパー銭湯の立ち上げ、運営を任されたのです。

 都市型サウナと呼ばれるニュージャパンとは業態は違いますが、あの時感じた癒しを提供する仕事に巡り会えたことに喜びを感じ、以前とは違った充実した日々をすごしました。

 仕事柄、多くの温浴施設を見てきました、良いと声ろは盗み、悪いところは反面教師として生かすことが目的です。

 そんな中で、今でも難波のニュージャパンは最も癒される施設として僕の中で、その地位は揺るぎません。

 株式会社アクトパスは温浴事業のコンサルタント会社です、今の僕は同業ということになりますが、アクトパスの望月社長には間接的ではありますが施設の運営をしていた頃から、今でも多くの学びや気づきを貰っています。

  望月さんは、古くからニュージャパンのコンサルタントとして、経営指導をされてきた関係で、ニュージャパンの凄さを事あるごとに事例として発信されています。

 その中で最も腑に落ちるエピソードの一つが、ニュージャパン設立の動機の話です 

元々、ニュージャパンはキャバレーなどの飲食店を経営していた会社だそうです。多くの女給さん(ホステスさん)が在籍していたそうですが、この人たちが生涯安心して働きつづける場所をつくる、そう考えた当時の社長が、建てられたそうです。

 次々にやってくるお客様の体を洗い、すらりと並んだベッドでリラクゼーションをする施術士さん、彼女たちは全て施設の社員で、一貫した教育をうけている。

 彼女たちが安心して働き続けるには、お客様に満足を感じてもらえるサービスを提供してファンになって貰うこと。

 どの施設でも、同じことを言いますが、愚直に実践した、だから統制が取れた、高レベルの癒しを提供することができたのだそうです。

スーパー銭湯の最盛期には投資額が大きいにも拘らす、多くの企業が参入しました。

その多くは、儲かるから!癒し産業の筈が、設備にしか興味のない事業者が多かった。

 創設20年を超えて、廃業する施設が多いのは、施設の老化だけが原因ではないと思います。

 サウナブームの今、同じような理由で進出を考える事業者も大勢いるように思います。

そこに愛はあるんか!

 老築で惜しまれて廃業したニュージャパンは、60数年の歴史を刻みました。それは気高く人生を全うし、国民から愛された女王のように。



 








温浴事業の世界に足を踏み入れたのは30代半ば、もう20年以上になる。

 温浴事業にサウナはつきものなのでサウナとの付き合いも長いのですが、というよりこの業界に入る遥か前からサウナは僕にとって特別な存在でした。

20代後半当時つと



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