sousouki1028

おしゃべりも好きだけど言葉の組み立てが苦手な私は書くことで本音を晒せます。次男の入院生…

sousouki1028

おしゃべりも好きだけど言葉の組み立てが苦手な私は書くことで本音を晒せます。次男の入院生活記録起しです。私目線のお話なのでさらっと見て頂けたら。谷川俊太郎、山田かまち、バンプ、coccoの詩が好き。入院付き添い中BTSに癒され今も活力の源。テテ寄りオルペンナム文才惚れです🌏

マガジン

  • 草創期(小児がんと向き合う家族の記録)

    コロナが蔓延した2020年秋、我が家の次男坊の脳に腫瘍が見つかりました。数度の手術、抗がん剤治療、大量化学療法を経て9ヶ月後に退院。病院で過ごした日々を忘れないように、少しずつ書き溜めた記録起こしです。100%書き手の想い重視なので自己満足度の高いお話になりました。(デリケートな内容なのでできる限りの配慮はしております、、) 私の思考は一般的な考え方と少しズレがあるかもしれません。こどもに腫瘍が見つかった時、初めは治療を拒否しました。その経緯や変化する心模様を書いてあります。 病棟には多様なこども達とその御家族がいました。そして今も懸命に頑張っている子どもたちとその家族がいます。小児がんのことを少しでも知って頂けたら、そして家族の心情や状況はそれぞれなので、サラッと読んでくださると嬉しいです。いつも真摯に向き合ってくださった病棟関係者の皆様へ改めて感謝申し上げます。

最近の記事

とんだ新年

年末年始はまさかの寝正月。 31日は朝からなにも食べず一人寝て過ごし、1日に家族が出掛けていって私と猫一人山に残った。 家族が出掛けてから夫が作って置いてくれたごはんを食べる。一日半ぶりなのであまり食べられずいつもの2割ほどでごちそうさま。 この波は定期的に、最近は月に一度のペースでやってくる。今までは自己コントロールが効かないと自己嫌悪していたけれど、最近はこれが私なのだと思う。 特に生理前は崩れやすく、今回もそうだった。寝込んでいる私を子ども達は心配もしてくれるけれ

    • わたしごと HSPのこと

      息子の治療後遺伝子検査を受けた。 一度目は全体的な一般的な?遺伝子検査。特に異常は見られなかった。 二度目の検査は息子の病気に多いとされる疾患?が見つかるかもしれないのでそこを追求して調べていくらしい。とても丁寧な事前説明を受け、検査を承諾。結果が出るまで長くかかるらしい。 遺伝子。前にも触れたが母は躁鬱病を患い、私もその気質がある。 20代で経験した鬱は鬱病というより鬱症というニュアンスの軽度のものだったと思う。 鬱病を患う母を見ているから鬱病という病がどれほど深刻で重

      • ゆっくりと

        ようやく自邸の古民家に戻って数日。 未だ改装しながら少しずつ生活が整い始めてきた。 こどもたちがこども園で過ごす平日は夫と二人改装と片付けをしながら過ごしている。どこもかしこもカビだらけで洗濯や洗い物の量は毎日たくさんやってもまだ終わらない。 引越てきた荷物もなかなか片付けられないまま、必要なところからマイペースに手を付ける。 今まで時間に追われる毎日だった。 家事も仕事も育児も主婦は毎日忙しい。 今はそこから抜け出す練習をしている。 忙しくてもゆっくり動く。 今日で

        • わたしごと 会話のこと

          私をよく知る人達はご存知だと思うが、 私はおしゃべりが苦手だ。 人と喋るのは好きなのに、いざ会話しようとすると流暢に言葉が出てこない。 テンポの良いグループ会話は本当に苦手、聴き取るのに必死で会話にすらついていけない。 みんなと波長が合わないな、そう感じていたのは物心ついた幼児の頃からすでにあった。 言葉の組み立てが苦手で夫にはよく主語がないと言われる。 伝えたいことを少しでも伝えられるように頭を使って話すので会議の後などはとても疲れるしとても緊張する。 おまけに緊張すると

        とんだ新年

        マガジン

        • 草創期(小児がんと向き合う家族の記録)
          27本

        記事

          わたしごと 夫婦のこと

          夫との付き合いはかれこれ15年ほど。 5年ほどお付き合いしたのち結婚した。 付き合い始めた頃からずっと一緒に暮らしていたので、結婚する頃には長年連れ添った老夫婦感があるねと笑い合うほど、お互いに相手のことは容易く理解していた。と思っていた。 念願だった子供達が生まれ、いつしか溝ができ始めたのは二人育児に追われる日々が始まってからだろうか。 少しずつケンカが多くなり、山暮らしが始まったら更に多くなり、次男の入院をきっかけに口を開けば口論になるのでとうとう顔を合わせることすらし

          わたしごと 夫婦のこと

          母と美術館へ

          母と以前から行きたかった美術館へ行ってきた。本当は子ども達も一緒に連れて行きたかったのだが、まだ静かに見れる年齢ではないのでその間は夫が近くの公園で遊んでくれることになった。(本当に感謝。。) 美術館でゆっくり絵を見るのは何年ぶりだろうか、日常を忘れられる時間を過ごすのも、どのくらいぶりだろう。 こんな素晴らしい休日があっていいものかと思ってしまうくらい幸せな時間だった。 "母と二人"というのも特別だった。 躁鬱病を患う母は比較的安定している時でないと外出は難しいので、計

          母と美術館へ

          わたしごと 良い思い出の後に

          前回、苦い思い出ばかり書いてしまったので 良い思い出も書いておく。 私が育った家は、家族5人が暮らすには少しコンパクトな二階建てだった。 二段ベッドを3人で使っていて、下のベッドに私と二番目の姉が寝ていた。 20時になる前に布団へ行くと絵本を読んでもらえるので、ごはんも競うように食べて大急ぎで二階へ行った。 好き嫌いもなく食育は上手くいったと母は自負していた。少々スパルタだったけれどおかげでなんでも食べれるようになったので感謝している。 絵本の時間が大好きで、そのまま

          わたしごと 良い思い出の後に

          わたしごと 幼少期〜思春期

          幼少期の記憶はあるほうだ 些細なこともたくさん覚えている 一番古い記憶がどれかはわからないが、 たぶん2歳頃からの記憶は充分あると思う 私には姉が二人いて、長女と5歳差 次女とは2歳差の三姉妹 母は30歳で私を産んだ その頃から鬱を患ったようだ 初めは更年期障害と診断されていたようで 更年期の薬を飲んでいた 次第に悪化し、鬱と診断されたのは私が 社会人になった頃だったと思う きっかけや原因は本人にしかわからない 母の話を聞いていくと 生い立ちが関係しているらしい

          わたしごと 幼少期〜思春期

          わたしごと

          草創期を書き終えてから書くことが息抜きに なっていた。 自分の想いを自由にnoteに投稿する作業は誰かに見られる少しの緊張と書き上げた時の達成感と肯定的な自己満足がある。 作家ではないけれど作家気分を味わえること、記事内容の修整や消去もできる気軽さが良い。 息子のことを書き連ね、頭の中を整理するように書き出す作業は、辛かった当時を忘れない記録になりとても有意義なものになった。そして息子のことを事細かく書いたのだから私のことも必然的に書きたい衝動に駆られた。 もう少し息子のお

          わたしごと

          終わりの始まり

          草創期を書き始めたのが5月頃 最後の治療に入る前だった 自分の書けるタイミングで、過去と現在を同時に書きたいように書いていったので、時系列通りになっていなかったものを並べ替えながら投稿した 少しずつ書きながら、いつ載せようか迷って迷って最後まで書き溜めてしまった このまま自分用に保存しておくこともできる けれど載せたい気持ちがある 病院で付き添い過ごした9ヶ月間は あまりに独特で非現実的だった 病棟のワンフロアだけで過ごす毎日 治療中ベッドから出られない息子と過ご

          終わりの始まり

          退院その後

          退院後一ヶ月がとうに過ぎた 痩せてしまった足はいくらか肉がついてきたまだおしり移動が多いが頑張ってトイレにも行ってくれるようになった 髪の毛や眉毛、まつ毛も生え揃ってきたのでだいぶ顔色もよく見える 体毛は大事だなと感じる 課題になっていた味覚障害と偏食は ゆるやかに戻り 食べず嫌いを克服する毎日だ 防カビ剤や防菌剤などの飲み薬が終わったので、自己免疫力を高めなくてはいけないそうちゃん 苦手な野菜も毎日頑張って少しずつ 食べられるようになってきた まだまだ続きそうなコロ

          退院その後

          草創期 退院

          退院の日は突然やってきた 二日間のお試し外泊後、まもなくだった そろそろかなとは思っていたけど こんなに突然お声が掛かるのかと驚いた 大部屋や病棟でずっと一緒だった お友達ともお別れだ 慣れ親しんだ看護師さんも 保育士さんやワーカーさんとも会えなくなる 喜び反面、寂しさを感じた複雑な心境 9ヶ月病院で過ごしたのだから無理もない 最後の夜間付き添いの日、病棟は珍しく 静かでソワソワして眠れなかった 紙粘土で作った大量のパンたちを 画用紙に貼り付けた 明日仲良くしてくれた

          草創期 退院

          草創期 ラスボスは倒せたのか?

          最後の治療、大量化学療法の結果が出たのは大部屋に移動してしばらく経ってからのこと 体力が少し戻って様態が安定してきたところでMRI検査をする 結果はすぐに出ないので待ち遠しい その間そうちゃんは体力を戻すために リハビリに励んだ アンパンマン号に乗って 院内を走ったりもした 本退院がもうすぐ目の前に来ているのを 感じていた あとはそうちゃんの体力や血球の回復次第 待ちに待った結果が出た 大量化学療法前と変わらない 残存する可能性も有りとのこと 、、、 あんなに頑張

          草創期 ラスボスは倒せたのか?

          ラスボス退治後半戦

          最後の治療、大量化学療法 その名の通り大量の投薬をしたのだと思う けど比べる対象がないので実際のところ なにがどのくらい多いのかよくわからない (聞いたところで私ではよくわからない) 抗がん剤投与の後も抗生剤や輸血など 複数の点滴が毎日続く それを初回から4クール終えて今回が最後 今までで1番頻回な気がする トータルで身体に入った薬や輸血の数は いちいちカウントしていないけれど さっと思い返しただけでも 結構な量だと容易に想像できる 加えて医療麻薬も定期的に身体に入っ

          ラスボス退治後半戦

          そうちゃんはまだまだ元気!

          毎日がんばることの多いそうちゃん 状態は予想より良くて万々歳だった 最悪ケロイドのようになることもあると 予想した皮膚は看護師さんたちが口を揃えてきれいだと言った でも薬の影響で身体の全部が浮腫んでいる そんな矢先カテーテル刺入部周辺の痛みを 訴えるようになり、少しずつ腫れと赤みが 目立つようになった 日増しに腫れと赤みが増すので 感染症の疑いがあるとのこと 発熱もしている 刺入部周辺を触るだけでひどく痛む様子 痛み止めの医療麻薬も効いているのか よくわからない ま

          そうちゃんはまだまだ元気!

          そうちゃんはまだ元気

          ラスボス退治がついに始まった 個室に移動し、投薬に向けて準備が始まる この日から親の夜間付き添いはしばらくお休みだ そうちゃんに前々から言い聞かせてきたけど やっぱり寂しいのはお互いさま 最後の治療で使う抗がん剤は 点滴で体内へ入った後、排泄物だけでなく 汗からも排出されるようで 被爆しないようにガウンやゴーグルをつけて接触する 加えて治療中は気をつけることが増えるので必然的に親も助手として手伝うことが多い 慌ただしく忙しい室内で そうちゃんの遊び相手をしながら 内服

          そうちゃんはまだ元気