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わたしごと

草創期を書き終えてから書くことが息抜きに
なっていた。
自分の想いを自由にnoteに投稿する作業は誰かに見られる少しの緊張と書き上げた時の達成感と肯定的な自己満足がある。
作家ではないけれど作家気分を味わえること、記事内容の修整や消去もできる気軽さが良い。
息子のことを書き連ね、頭の中を整理するように書き出す作業は、辛かった当時を忘れない記録になりとても有意義なものになった。そして息子のことを事細かく書いたのだから私のことも必然的に書きたい衝動に駆られた。

もう少し息子のお話。抗がん剤治療を終え、自宅療養しながら経過観察の日々が2ヶ月を過ぎた。
外来診療では血液検査と主治医の問診以外にMRI、脳外科、眼科、歯科、耳鼻科、理学療法、作業療法、言語リハ、心理テストなどそれぞれ頻度は少ないが定期的に通う。
治療後の再発、播種の有無や晩期合併症、高次脳機能障害など、そうちゃんの身体にこれから起こる変化を観察しながら適切にフォローアップしていくためだ。
その中のひとつの検査に遺伝子検査がある。入院中主治医から何度か話があり、治療を終えて一段落してから考えてみてはどうかと勧められていた。
遺伝子でなにがわかるのか?調べてみると自分でもできるキットがあるとか。簡単に言ってしまえば気軽に自分の性格や才能がわかるらしい。
うーん、、病院でやる意味はなんだろう。わからないので遺伝科の先生に伺ったところ、性格や才能は調べないけれど、主に治療に役立つ情報があるかを探るのだそう。
うん、それならばやってみよう。実際はこんなに軽くオッケーは出なかったけど。知らなければ済むことを知ってしまうかも。検査結果でショックを受けるかも。知ることでメンタルに影響するリスクは充分ある。
けど、有効な情報に辿り着くチャンスもある。何度か話し合い、心して受けることにした。(本人のみ検査する、希望すれば家族も可能らしいがまだ必要性を感じていない)

遺伝子。常日頃から遺伝について興味深く思考することがあった。私の育ち方や性格は少し変わっていて、ルーツを辿ると母、母方の祖父母の影響を大きく受けていることがわかる。
お空にいる祖父母のことはさておき母親のことをどこまで書くか迷うところだが、もうお互いに歳を重ねてきたので今更世間体を気にすることも体裁良く見せる必要もないだろう。
一昔前は個人のマイナス面は隠される傾向にあった。今は世の中の理解が進み、様々な意志を尊重する時代になっている。
すべてではないが障害も心の悩みも開示することで前向きに生きる人達が増えているように思う。
コロナで世界が一度立ち止まり、弱者への受け皿を必要とする声が増え、社会はポジティブに生まれ変わりつつあると感じている。
日本だけで言えば戦後から70年をとうに過ぎて、世の中は目まぐるしく変化した。
生活をするだけで必死な時代、教育に力を注ぐ余裕のある家がどれだけあったのだろう。戦後の子どもたちは野山や瓦礫を駆け回り、弟妹をおんぶして遊んだと聞く。
皆いつもおなかを空かせていて食べられる物ならなんでも食べた。逞しく、荒々しかったと思う。
そんな彼ら彼女らが大人になった高度経済成長期、SNSなどなかった時代、世界と繋がるなんて想像もしない、人との繋がりは親族と近所に住む人々。
コミュニケーションをとるのは対話、手紙などのアナログな通信手段だけだ。その繋がりは相当色濃いものだったに違いない。
昭和の終わり頃、私の幼い記憶にあるのは大人たちの威勢の良さと声の大きさ。
男性達はまくしたてるように饒舌に会話し、会話上手なのは幼子でもわかるほど。テンポよく話し、合いの手もうまい。
話の合間に大笑いするのはお約束のようだった。目は力強く動きも大きい。
女性達は明るく朗らかで活き活きとしていた。荒れっぽい男衆の手綱を取りつつ多少の事は目をつぶっている、頼りになる男達とそれについていく女達、私の目にはそう見えていた。
ちなみに私の両親はどちらかというと真逆なタイプだった。控えめで純朴な者同士が惹かれ合い結婚した。威勢が良い方ではないがユーモアのある父と、九州の島育ちの母は本人曰く大恋愛結婚だったので歳を重ねても絆が深い。
そんな私の両親の世代は幼い時の貧しさと少しずつ豊かになった青年期とを経て、時代や政策の流れに翻弄され生きていたように解釈している。
幕末の名残りがあったであろう時代に育った私の母方の祖父。歴史でしか知らない激動の明治維新に大きく関わった鹿児島生まれなので血の気が多いらしい。
10人兄弟の長男である祖父は大層な威厳の持ち主で、鶴の一声で皆を動かす人物だったようだ。厳格な父親の意見が絶対だった家庭で育った母。
五人兄弟の真ん中で唯一の女子。苦労の多い母親(私の祖母)の唯一の話し相手となり、手足となり、幼い頃から兄達に従い弟達を助けた。
人生一度きりの命、自分の人生を生きたいように生き抜く、そんな風潮はまだ理解されず特に女性は立場的にも弱かった。
苦労の多い若年期を過ごした母からの影響は大きく、私の人格の基盤は激しい性格の持ち主である祖父の遺伝子を引き継ぎ、そんな娘に翻弄された母が必死に子育てをして創られた。
不安定な幼少期と激しい思春期を過ごし、世間の荒波にもまれながら成熟期を過ごした。
幼い頃から悲しみと迷いで創られた私は、少し神経質で会話しているとどもってしまうのは幼少期からだった。
(なんと私の息子二人も同じ、私の親類にあたる親しい人達もやはりおなじようにどもる。これも遺伝子の影響??言語リハの先生曰く、遺伝ではなく性質なのだそう。育った環境が影響するのだと思う。)
言葉の組み立てが苦手なので、スラスラと話ができずつかえてしまうし、頭の中が途中で真っ白になってしまうこともある。
なので書くほうが本音を言える。
自分の想いを正確に伝えられる。
両親やご先祖様への敬意を忘れずに書ける範囲で書かせてもらおうと思う。


私の生い立ち、母の生い立ち、家族が揺れたそれぞれの心の病、多様な過去を経て辿り着いた現在(いま)思うこと、家族が穏やかになり始めた理由、などを書いていこうと思います。

2021.9.25

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