子育ては、一番のヒーリング【過去の自分との和解のエピソード】
先日、子どもに性教育をしてみたよ!という子育てエッセイを書きました。(まだ読んでいない方は、こちらを先に読んでいただいた方がわかりやすいかと思います!)
実は、このお話には、つづきがありました。
子どもではなく、わたし自身の幼少期の気づきに対する話。
そう、わたしと親との関係性についての、深い気づきと、手放しと、癒しです。
今日は、そのエピソードについて、書いていきたいなと思います。
子どもに「プライベートゾーンは、とても大切なところだから、家族であっても見せないんだよ。だから、ママとも、お口にキスしたりするのは、遊びであっても、もうしないでおこうね」という話をしました。
とはいえ、トイレやお風呂は、まだわたしのヘルプが必要なお年頃。
「本当はママも含めて見せたり触ったりしないんだけれど、でも今はOK」という矛盾を、どういう風に言ったらちゃんと子どもに伝わるのか、考えていました。
「今はまだ、あなたも小さいから、お風呂やトイレを全部ひとりでやるのは難しいかもしれない。だから、お手伝いが必要なうちは、ママはお手伝いをするよ。でも、ひとりでできるようになってきたら、トイレやお風呂、お着替えはひとりでやっていけるようにしようね」
そう伝えたあと、すこし考えてから、わたしは言葉をつづけました。
「プライベートゾーンのお話だけに限らずね。
これから先、○ちゃんが『イヤだ』と思うことがあったら、それがママであっても、『イヤだ』『それはやめて』って、言っていいからね」
「たとえば、ママは今、おトイレに入って最後のお手伝いをしたり、お風呂に一緒に入って、○ちゃんのお手伝いをしているよね?でも、あなたが大きくなって、『イヤだ』『入ってこないで』ってすこしでも思ったら、ちゃんと『イヤだ』って、言ってほしいんだ」
「『ママだから、家族だから、なんでもOK』って、ないからさ。
あなたがイヤだと思うのなら、それはやっちゃいけないことだから。
あなたがイヤだと思うことは、ちゃんと伝えていいんだよ。それが家族であっても。
家族だから、親だからって、ないからね。あなたの気持ちが、大切だからね」
この言葉を、娘の目を見ながら伝えているとき、わたしは無性にノドがぎゅううううとなって、胸が苦しくなって、泣きそうになりました。
わたしの幼少期のことを、思いだしていたのです。
「そこに在る」ということに気づいていなかった傷に、気づいた瞬間でした。
そして、その気づきは、わたしの今までの人生の、たくさんの出来事についての今までのわたしの認識を、根底からくつがえしてくれるパワフルなものだったのです。
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