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マージナルマン・ブルーズ #8

 沖縄の夏は、湿気が高い。気温はたいしたことはないが空気の密度が濃い。
 温帯とはいえ亜熱帯に近いので、天気もころころ変わる。土地の人は「沖縄の天気はフラー(ばか)天気さあ」と言う。「カタブイ」と言って、片側二車線の国道で、上り車線は雨が降っているのに下り車線は降っていないことだってあるんだよと大げさに言う人もいる。

 その日も僕らはフラー天気のせいで探検を一時中断しなければならなくなった。いきなり降り出した雨の中を、ヨナハーとナオキーとナカムラーの4人でおばあの食堂を目指して走った。大体この4人で遊ぶことが多かった。これにチナーやトゥーバルーやヒデオやナカシマーが加わると、人数に任せて気が大きくなり、ついついよくない遊びをしがちになった。

 ヨナハーは宮古島の巫女の家に生まれた。母親はその家の巫女としての正統な後継者だったが、古い因習を嫌い本島に出てきて、主に日本人相手の小さなスナックを辻でやっていた。ヨナハーの、肝の据わったどこか大人びた雰囲気は母親の店の手伝いで培われたものだった。
 ナオキーは、口が達者で皮肉屋だった。でもそれは繊細で傷つきやすい自身を守るためだと、当時はうまく言葉にはできなかったが、僕は感覚的に理解していた。中学生とは思えないぐらい身体も大きく、どう見てもハーフの顔をしていた。肌は真っ白で目が水色がかったグレイ、髪の毛はちょっと巻き気味で、日に当たると金色がかって見えた。でも両親とも日本人だった。
 あんまり不思議でならなかったので、一度ナオキーに尋ねたことがある。今から思えば、あまりにもひどいことを言ったと思うが、当時はお互いに中学生だったし、今の時代のように友だち同士で優しくしあったり、あえて触れずにそっとしておくことが優しさという価値観とは正反対の、過剰とも言えるぐらいの干渉が優しさのような時代だった。尋ねた僕も、聞かれたナオキーも、世間話のようにして話した。
「ナオキーさあ」
「ヌー(なに?)」
「ヤー(きみ)、ガイジンみたいな顔だなー」
「ヌーガヒャー(なに言ってんだ、おまえ)」
「だからさあ、顔さー。ヤー、あめりかーの子どもみたいだなー」
 するとナオキーは息を呑むようにちょっと黙った後、「ヌーイッチョン、ヤー、フラーアラニ(なに言ってるんだ、おまえ、ばかなんじゃないか)」と言って笑った。
「ダールカー、ダールよな(そうか、そうだよな)」
と言って僕もつられて笑った。
 ナカムラーはコザのモロミサトという所に住んでいて、コザからわざわざ那覇市内の中学校に通っていた。コザの町もまた、いまでは沖縄市という名前で呼ばれ、観光地としてずいぶんきれいな町になっているようだが、かつて暴動もあったというし、僕が中学生だった当時もまだアメリカ兵相手の店が建ち並ぶ、治安のよくない町だった。
 日曜日ともなると、非番の兵士であふれかえり、そこが日本だということを忘れてしまう。ヨミタンと共に最もベースに依存している町だった。ナカムラーは、なぜかクリスチャンで、毎週日曜日には教会に通い、ダニエルだったかサミュエルだったかのクリスチャンネームを持っていた。

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