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2011.3.11→2021.3.11 #5(最終回) 〜 SDGs・探究への招待 #133 ~

《3 3.11の本質について》

 東日本大震災がもたらした数多くのものやことの中で、私たちが一番見つめなければならないことは、やはり被災者の方々の悲しみについてだと思います。
 まず何よりも「東日本大震災の悲しみ」について知り、考えることから始めなければ、本校がなぜ修学旅行で東北に行くのかも、日本に住む者として10年の節目をどう迎えるかもわからないままになってしまいます。
 冒頭に書いたとおり、東日本大震災で被災した方々の悲しみは、結局のところ被災した方々にしかわからないですし、当事者でない者があれこれ勝手に言うことが、あの日を乗り越えようとしている方々を、あの日につなぎとめてしまうことになるのかもしれません。そのことを承知した上で、みなさんが「東日本大震災の悲しみ」を自分なりに共有することがやはり必要だと思うので、このまま書きます。
 
 なぜこうも、東日本大震災の悲しみは終わることがないのでしょうか?

 それは人命、財産と、被害があまりにも大きかったからだとも思います。また津波がすべてを奪っていく様があまりにも生々しかったからかもしれません。たくさん記録されたメディアが映像だからというのもあると思います。悲しみの理由はさまざまであり、そのひとつひとつがはかりしれない重みを持っていると思います。
 ですから、先に書いたように、みなさんも、みなさんなりの答えを探し続けてください。ここでは私が現時点までに思い至った、3.11について書きます。

 みなさんは、「サバイバーズ・ギルト」という言葉を知っていますか?

 「サバイバーズギルト」というのは、事故や災害、戦争などで生き延びた人が、生き延びたことに強い罪悪感を抱き、自分を責めるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のひとつです。
 私は、東日本大震災の悲しみの本質は、サバイバーズギルトだと思っています。なぜこうも悲しみが癒されることがないのか。それは、被災した方々のほとんどが、自意識が芽生えたばかりの7歳の子どもからお年寄りまで、サバイバーズギルトを抱えているからだと思っています。
 大切な人や財産を軒並み失った悲しみだけでも抱えきれないはずなのに、生き延びてしまったことに罪の意識を持つというのは想像の遙か向こう側にあります。
 サバイバーズギルトを抱えた人たちは、生きていく限り、生きる自分を責め続けます。そんな中で、一体どこに救いが見出せるのでしょうか。
 だからせめて、みなさんが、ただ生きているというのではなく、みなさんの中で、たったひとりでも、ふたりでも、10年も前のことであっても、自分と無関係の場所であっても、あの日の悲しみを知り続け、あの日の悲しみに想いを馳せ、あの日の悲しみに黙祷し、あの日の悲しみに共感し続けながら「それでも私は生きる」と思ってくれるみなさんが出てくることを、心から願っています。

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