マージナルマン・ブルーズ #5

 冷静に戦争を見つめることができない、所謂戦争アレルギーを引き起こしているのは、日本が敗戦国であるという一番大切な事実を日本人が引き受けてこなかったからだが、それは例えば負け戦や失敗を想定せずに、ただひたすら勝ち続ける姿だけを妄想して戦争に踏み切り、且つやめられなかった、彼らの大嫌いな「軍部」と全く同じ発想だった。
 正義の味方を名乗る知識人や文化人や行動人や自称生活者たちの多くは、所詮はプロレタリアートに憧れる、平均年収1000万超えのリッチで立派なブルジョアジーだった。そもそも知識階級である彼らは、どんなに無産階級を気取っても、形のないものを売り歩いている時点でそれを名乗る資格はなかったのに、だ。ちなみにアメリカに一方的にテロリスト呼ばわりされている中東の聖戦士たちがなかなか日本で本格的な破壊活動を行わないのは多くの要因があるからだが、決して地理的に遠いからではない。精神世界に生きる彼らに物理的な距離などは関係ない。まるでアメリカの愛人のように追従政策をとりつづけているにもかかわらず、トウキョウやオキナワで今までのところ破壊活動が行われないのは、かつて赤軍派がイスラエルやアメリカに対して大規模な攻撃を行ったことや、日本がカミカゼという狂気を国家ぐるみで実行した国であることと無縁ではない。ある時点までは、アラブ諸国の聖戦士たちはまちがいなくカミカゼをやった日本人をリスペクトしていた。

 いまの素直な若者たちには、呑気で脳天気な理想主義者や抽象概念崇拝者や真心至上主義者といった、自称進歩派や自称フェミニストたちが、デモや集会や職場で偉そうにかた騙る「身体より心」「見た目より中身」「事実より真実」「未来」「正義」「行動」「私らしさ」「世界」「連帯」という言葉が、実は無知で、無恥で、悪徳なもので、厄介な情緒論だと見透かすことは難しい。
 彼らの騙る「国際情勢」は、根拠の無い楽観論を前提とした、恣意的な悲観主義と危機論でいっぱいだった。それはまるでナチズムのやり方と同じなのだが、政権すら取る気がない無責任さという意味では、それ以下なのかもしれない。ただの文句を言いっ放しの無責任さを、「庶民の味方」だとか「民衆の力」といったキャッチーなワンフレーズポリティクスにすり替えて、彼らは「運動」を続けていた。とどのつまり、いったいだれを救いたいのか、そのためにだれと闘うのか、さっぱりわからない「運動」だった。

サポートあってもなくてもがんばりますが、サポート頂けたらめちゃくちゃ嬉しいです。