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マージナルマン・ブルーズ #4

 一部の懐古趣味の臆病者たちが、襲撃してくれる者なんて一人もいないのに、物々しい色にペイントした装甲車のような車を連ねて、どでかい日章旗や旭日旗をまるで大漁旗か牛丼屋ののぼりのように賑やかにたなびかせて叫び声を上げたり錆びついた歌を流したりしながら周囲を威嚇しつつパレードしたが、あまりにも島の歴史からかけ離れていたため、むしろ街全体をうつろに飾り立てていた。まるで、少しは勉強しないとこんなふうになるよという説教の良いお手本のようだった。
 また、正義の名の下に武装闘争を掲げて他人の土地の話に首を突っ込む組織もあったが、彼らのしたことと言えば自分たちの組織の拡大と、全国各地の紛争の仕掛けと、動員と、土地の人が大切に育てた土地を踏み荒らすことばかりだった。彼らのやったことは、彼らの大嫌いなベーグンやコーアンのやりかたそっくりだった。ましてやその土地の人と結婚して家庭を築いてまで闘争に執着するやり方は、彼らの憎むべき旧日本テーコク軍の同化政策とみまごうばかりだった。まるで、勉強ばかりしているとこんなふうになるよという忠告の良いお手本のようだった。

 終戦後しばらくたって、本土にあった米軍基地の大半は島に移された。

 つまり島が本当に捨て石にされたのはまちがいなく戦後だ。

 けれどその事実はあまり教えられていない。また、正義の味方を名乗る知識人や文化人や行動人や自称生活者たちはそのことに鈍感なようだ。
 基地のことで島の人たちがかわいそうだとか島の人たちを守ろうとか平和とか叫ぶ本土の人たちは、決して本土にある自分の地元や自宅近所に軍事基地を移転させろなんて言わないし、そのように政治家に働きかけたり運動を起こしたりしない。本当に島を守りたいなら、サンゴやジュゴンやエコが大切だと思うなら、ウソでもいいから宮沢賢治ばりに自己犠牲の精神を形だけでも示して米軍誘致の働きかけでもしてくれればいいのだが、そんなことは夢にも思わないようだ。
 彼らの中のある種の人たちは今では影も形も残っていない「軍部」や「旧日本軍」を責め続け、それらの亡霊をわざわざつくりだしては、事あるごとに亡霊に怯えたり攻撃を加えたりしていた。
 彼らは平和について考えたり論じたりするとき、戦争については「悲惨です」「決して繰り返してはいけません」とまあるく括りそれきり思考停止して目を背け、中をいくら探っても何も出てこないそれこそが平和の本質であるにもかかわらず、平和しか見ようとしなかった。
 戦争の仕組みや功罪を客観的に分析しようとする大人や、戦争に興味を持ち、戦争の歴史や思想を調べたり、国際関係や社会学や経済や医学や科学や心理への影響について考えようとした子どももまれにいたが、「好ましくない」「戦争好き」「戦争肯定者」として特異な目で見られた。つまり戦後70年を超えてなお、きちんと戦争と平和についてその功罪を考え論じる大人もいなければ、考える視点を育む子どももほぼいなかったのだ。
 

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