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”コーヒー”をテーマにアウトプット&マネタイズしたいなら、現場(お店)でお客様と向き合ったら?むしろそれしかなくない?   と思う頭の堅い人、私。

<この記事を書いた時の頭の中>
・身の回りにある”虚”と”実”について
・あいまいな虚実の境目を、自分の子供へ説明する際のシミュレーション
・あまり表に出ないコーヒーの魅力と理不尽さ(実感として)
・コーヒーやカフェ関連のYouTube動画の多さにたまげる
・「玉石混交」や「コモディティ化」について
・コーヒーやカフェラテを用意・作成するときの自分について
・土台になる想いや使命感のこと
・お金と自分、仕事とお金・・・
・自分は世の中についていけないのか、それともついていかないのか

自分が”そこ”に立つ時の想い

私がお客様とカウンターを挟んで立つとき、
「お客様の期待を1ミリでも超えるものをお出しする」
「それだけでなく、出し”続け”る」
「品切れは『機会ロス』ではなく『失望』を生む」
「30秒以内に美味しく仕上げる、絶対に」
と毎回心に誓っています。

例えば注文されたコーヒーを出す、というアクション。
ここで『注文通りにテキパキと用意しなきゃ』とは考えてません。

「この一杯のコーヒーでほんの少しでも良い気持ちになり、前向きにその日の仕事を始めてもらうことが出来るとしたら、カフェ店員のしている仕事は『そのお客様の勤める会社の風土の改善や事業の成長・利益の増加、ひいては納税額にまで影響を与える仕事』といえるものだ」
と思いながら、カップをお渡ししています。伝えた100人中100人が「オーバーですね」、と思ったとしても、全然構わないと思える、私の真実・矜持です。

コーヒーを仕事にすることと、コーヒーをテーマにすることは違う

やっぱりコーヒーやそれに関わるものが好きなので、YouTubeをはじめとしたSNS・webメディアでのアイテム情報、淹れ方ノウハウ、コーヒーのあるライフスタイル、そういったものをよく見てしまいます。楽しいし。

カメラ目線でアイテムの魅力やノウハウを力説している動画は説得力があるし、おしゃれな空気感漂う動画はかっこよくて「こんな生活素敵だなぁ・・・優雅でいいなぁ」と思うし、『コーヒーミルおすすめ20選!』『美味しいコーヒーを誰でも淹れられるポイント5つ!』なんてじっくり読んじゃいます。


どれも素敵だし、「かっこいいなあ」とも思うものも多いのですが、やっぱり現場で淹れてる人・作る人として思うのは

「情報の継続的な発信」よりも「空気や想いの刹那的な共有」がいいな

「どこかの誰かからのチャリンチャリン」よりも「目の前のお客様から頂く、”体温”のあるお金(※キャッシュレス決済も可)」がいいな

ということ。

紛れもなく『私自身の融通の利かなさ』『頭の堅さ』からくる考えです。
仕事はテーマになりうるかもしれないけど、テーマを仕事と見なすのは違和感がある、という感情かもしれません。

画面越しに見る・伝える・拡散することの影響力や価値(これはマネタイズの意味も含む)について思いを巡らせたとき、それは素晴らしいモノばかりだし目を見張るようなものも多い。

ただ、こと「コーヒー」をテーマにしているなら、それはちょっと違う感が強いのです。だって画面越しには香りも、味わいも、コーヒーの良さの何も伝えられないから。
YouTubeやメディアの”中の人”が繰り出す素敵さや力強さや情報はその人自身のことであって、コーヒーの魅力を伝えるのとはちょっとズレない?と思ってしまう。

画面越しに伝わらない部分こそ宝物

それだったら私はこれからも、
カップをお客様に手渡す時の一瞬の視線の交差や、
スチーマーを操る時の熱や振動、エスプレッソを落とす緊張感。
グラインダーを調整するときの集中力。
お客様との短い会話、表情から読み取るその日の機嫌、雰囲気の変化。
お出しする瞬間にドリンクから立ち上る、香りや熱さ・冷たさを分かち合う時間   ...etc

そういったものを楽しみたいし、大切にしたい。




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