与えること、与えられること
「お金」とは何者か。
この記事を書くか、正直とても迷ったけど、私の頭の中はこの話題で持ち切りなので、向き合おうと思う。
数日前に発表したカンボジア屋台報告で色んな方に声を掛けてもらった。
沢山の言葉に埋もれる状態が続いた。
まず、そのことにとても驚いた。
私の決めたことは、私一人のこと。たった一人の熱狂だったから。
まさか私を応援してくれる・見つけてくれる人が、こんなに沢山居るなんて知らなかった。
でも、それだけじゃ無かった。
え、そんなことある??
って気持ちが今でも止まらないのが、polca。
3日前の記事と同時に取材記事を書いてくれたキッタサキが、記事に載せる!って作ってくれた応援ポルカ。
私が、こんなに沢山応援してもらえるなんて知らなかった。
嬉しい気持ちが、たっっくさんある。
色んな人が、色んな気持ちで応援してくれて、
ちょっと心配だった食材代に充てていけるくらいの応援をいただいて
感謝の気持ちがありすぎて、なんてお礼したらいいか、わからないくらい。
だから、受け取った応援の気持ちやお金で、屋台で沢山の経験してこようと思います!
みなさま、本当にありがとうございます。
ゆかさん、今井寿亮さん、せらなつこさん、池田実加さん、小野寺美穂さん、新井大貴さん、小島悠仁さん、守隨佑果さん、氷上太郎さん、余語晋之介さん、Ryoki Onoさん、enjoy_goodjobさん、Norihisa Nomotoさん、きゃなでさん、あまこすさん、さよカルパさん、トムさん、ケント・ナガヤさん、ゆきえさん、飯室達也さん、高木祥伍さん、ヤナギーダさん、Takayuki_hdmさん、nattu723さん、nodaponさん、tigermasktoshiyaさん、ココア男爵・源田光広さん、鈴木健太さん、渋谷衣織さん、マツギさん、kaitou1412さん
(随時追加します。リンク無い方、名乗り出ていただければ嬉しい!!)
大前提として、前向きな気持ちでいることは1番最初にお伝えしたいことです!!
処理しきれていない、新しい価値観
一方で、今まで生きていた世界から2歩も3歩も違う世界に来てしまったような感覚で、未だ処理しきれていない部分。
書いているうちに消化してきたから、触れたいと思う。
それは、「等価交換ではないお金を貰っている」ということ。
「応援の気持ち」なんだから、野暮なこと言うなよ~と思われるかもしれないけど、くそ真面目な私の性格上、どーしても気になってしまうから考えさせてほしい。
私はあまり裕福な家で育っていない。
そんな私が今まで生きていた人生で、私が何をするわけでもなく過ごしていて貰えたお金は「お年玉」くらいのものだと思う。
同じように、誰かにお金をあげた経験も「お年玉」くらい。
また、お金を得るためには「働くこと」が必要だったし、おまけに「タダほど怖いものはない」みたいな価値観もある。
つまり、私は「お金=何かと交換するもの」という認識でいた。
その価値観が間違っているとは思えない。
だけど、それなら今回のpolcaは、どう捉えればいいんだろう。
私はお金を払ってくれた人に、対価としてあげられるものを持っているわけではない。
じゃあ、応援してくれる人たちは、私に何を求めているんだろう?
「応援するお金」って何だろう?
寄付とも違うし、プロジェクト型のように最後にお礼の品物があるとも限らない。
私が考えに考えた末の答えは2つ。
「究極のコト消費」か「対象者の未来への投資」か。
1.究極のコト消費
投げ銭が近い。その人の思いや姿勢に心が動かされたので、その心意気を買うこと。「コト=体験」を提供してくれた人、本人に直に渡すため、渡すまでを含めて「究極のコト消費」であると考える。
私であれば、noteの内容が良い!と言ってくれる方が居たり、前から私を見てくれている方が私の成長を喜んでくれたりしたこと。多分この気持ちでの「応援」が多い気がする。
2.対象者の未来への投資
出資の感覚が近い。いつかこの投資が、何かになるのでは?という気持ちで先行投資すること。ビジネスっぽいお金の使い方。
私であれば、「カンボジア屋台」が超成功するのでは?とか、カンボジアから帰ってきて、日本でビックになるのでは?とか、何かしらの仮説に基づいた「応援」というイメージ。
どっちだから良い・悪いではなく、考えた末の1つの腹落ちポイントだった。
そしてどちらにしても、私は沢山の人に「与えられた」のだ。
「GIVE」は問いかけになる
今回の「応援」は、まさに「GIVE」だと思う。
私は、無条件のGIVEがこんなにも、人にその意味を考えさせる力があるなんて知らなかった。
「私は、みんなに与えてもらった応援をどう扱おう?」
「こんなに応援される私って何だろう」
「応援してもらえて嬉しい!」「でもすごくびっくり」
「わたしのことを、沢山の人が応援してくれている」
否が応でも、私は考えざるを得なかった。
私個人の決断に、沢山の人が価値を見出してくれたことを。
与えられるという経験が私にとって強力だったのは、多分私自身がこんなに誰かに与えたことが無かったからだ。
正直に言えば、私には物事に見返りを求める気持ちがあって、与えても何も返ってこないかもしれないと思うと、踏みとどまってしまうような人だ。
でも、今回「与えられる」経験をして、意識が変わった。
「与えられると、その意味が深まる」とわかった。
私の「カンボジア屋台」は、沢山の人に応援してもらえるようなことなのだ。
そう思えたことがとても嬉しかったし、応援されることで「しっかりしなきゃ」という気持ちが芽生えた。
こんな風に、与えられた人は何かしらのメッセージを受け取るのだ。
それはカタチになって返ってくるものでは無いかもしれないけれど、与えられた人の心の糧になっているのだということが解った。
無条件のGIVEは、人にその意味を考えさせる力がある。
だからこれから先、私も誰かに与えられる人になっていきたいと思った。
答えは自分の中に
そんなことを考え出した矢先に、はる虎さんがこんなツイートをしてくれた。
難しくて、少し考えた。
一見突き放すように見えるけど、多分優しさ。
少し考えて、私が受け取ったメッセージは、こんな感じ。
「応援は応援。それに応えようとするのではなく、あくまで自分の目的を捉えて進むこと。
気にするな、お前の道を行け。」
たぶんこんな感じ。
一瞬、期待に応えなきゃと考えてしまった私のことを近くで見ていたかのような言葉。
無条件のGIVEは、恐らくそれ以上でも以下でもない。
それは与えられたら、もう私のもの。
後は私が私のことを考えて使うべきもの。
そうすることが1番望まれているのだと言ってくれたような気がする。
その言葉はストンと腹落ちして、最終的には私は私のために生きるのだから、目的を見失うなよと気を引き締めた。
どのタイミングで屋台の報告をするか悩んでいたけれど、今でよかったなと思う。
未だ屋台をはじめてもいないうちから、既に生まれて初めての経験が出来たから。
こんなんで身が持つのか少し心配でもあるけれど、変わらず楽しみが大きいから、きっと大丈夫。
これからも、自分のペースでnoteを更新していきますが、まずは2月末の試験に向けてキャリアコンサルタントの勉強をしなきゃ。
どんな私でも、私は私。これからも見守ってていただけると嬉しいです。
ご清聴、ありがとうございました。
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■はる虎オフ会in東京
はる虎さんと対談することになりました。
2/17(日)16:00-18:00 @東京都中央区東日本橋3‐3‐3 2F (馬喰横山駅1分)
まさかこんなことになるとは!と驚いているのですが、初めてはる虎さんにお会いするので、とても楽しみです。
よかったら、私ともお話ししに来ていただけるととても嬉しいです。
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