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できない自分、頑張れない自分との付き合い方

最近、ちょっと悲しかったけど、気付いて良かったなあと思うことがあって、今日はその話をシェアする。

病んではないよ!!!安心して!!

自分自身にかけた期待≒呪い

人から言われた何気ない一言が、自分の中に深く刺さって、頭の中にこびり付いて消えない染みになった経験は、ほとんど誰にでもあるように思う。

だからこそ、大きくなってからの私は「誰かに言われた言葉」を真に受け過ぎないスキルを習得した。

だけどね。

自分が自分自身にかけた期待も真に受けちゃいけないとは、本当に最近まで自覚がなかった。

でも、自分が「これくらいやりたい」「これくらいできる」と、比較的ポジティブに思っていた期待すら、自分を呪う言葉に変わってしまう可能性があることが今回よくわかったのだ。

「もっと頑張らなきゃ」と「まだできる、もっとやりたい」は同じ

私の中での線引きは、「もっと〜しなきゃ」「まだ全然足りない」「これじゃダメだ」と考え始めたら、ちょっと辛くなっている証拠だと思っている。

けど、「まだ頑張れる」「もっと〜できる」「もっと〜したい」「あともうひと踏ん張り」も、ちょっとグレーゾーンに入っている時の言葉なのだと今回のことがあって気付いた。

そろそろ、「今回のこと」について触れていくけれど、今回気付いてしまったことは、未だに私はちょっと悲しいし痛みを伴うなあと思う。
でも、仕方ない。それが私だったのだから。

私はもっと仕事を頑張れると思っていたし、信じていたかった。

タイトルがそのまま結論だけれど、私は自分のことをもう少しがむしゃらに仕事を頑張れる人だと思っていた。

ただ、元々得手不得手がはっきりしているタイプなので、「やりたい仕事であれば」という限定付きで。

そう思うようになった経緯として昔話をすると、2018年頃、ライティングの勉強をしたくてオンラインサロンに入っていたときの出来事が影響している。

そのオンラインサロンには自分より年上の人も沢山居たけれど、同年代の人も沢山居た。

その中で、「好きなことで稼ぐ!」と本気で心を決めて仕事を辞め、真正面からデザインの勉強や実践を重ね、実績を作ってデザインを仕事にした人、同じくカメラマンや映像制作‥好きなことを1から始めて職業にした人を沢山見てきた。

彼ら彼女らに共通するのは、ある一定の時期、本気で泥臭く、その何かを頑張る努力をしていたことだと思う。

寝る間も惜しんで何かを作り上げたり、土日だって時間を忘れるくらいその物事に没頭したり、特定の物に強く深く打ち込んだり、自分の技術をアップデートしていくことを常に怠らない人たちばかりだった。

だからこそ、私の中には何かで大成するには「ガチで頑張る時期」が必要だという価値観がインプットされた。

そして、そんな熱量の高い同年代たちの中で「まあ人並み」に頑張っていた自分自身に対しても、「何かそういう頑張りたいことがあれば、みんなみたいに頑張れるだろう」という期待を寄せた。

でも、多分それは間違いだったのだ。

私は今、これまでの人生で1番やりたい・興味があることを仕事にでき始めている自覚があるけれど、それでも、土日はきちんと自分の時間を取りたい人だった。

できない自分を認める痛み

やりたい仕事だったし、好きな分野だし、自分1人しか旗振り役が居ないから頑張りたいし‥
沢山の理由もあって、土日も企画を考えたり、まとめたりをして過ごした。
それ自体は趣味のようなもので、やっていてもあまり苦にはならなかった。

けど、その代償にそれ以外の仕事に手が付かなくなった。

乗り気になれない仕事は全く頑張れない。
かといって、会社員として生きるには乗り気じゃないことだってやる必要がある。
(たとえ独立したって、諸々の事務手続きはやらなきゃいけないだろうし)

それに、たった1ヶ月そんな生活を続けたくらいで、そんな風に極端な方向に振り切れてしまうくらい、余裕が無くなっていく自分自身を1番近くで見続けていることに何よりも疲弊した。

そして気付いた。

自分が理想としている心のキャパよりも、本来の自分のキャパは、もっと小さいのだということに。

まあ、すごく当たり前の事実なのだけど、本人にとってこれほど受け入れ難い不都合な真実はない。

ああ悲しい。悲しいし、残念だなと思う。
もっと頑張れる人だったら、何か違ったかもしれないと思う。
もっと違う状況なら、もっと違う人なら‥たらればが頭の中をよぎっていく。
私、もっとできるんじゃなかったの?

ただ、心に負荷が掛かって、つらくなりつつあることを自覚した以上、できない私を認めるより他ない。

良い意味で失望を味わい尽くす

先週いよいよ全てから逃亡したくなって、全てを投げ出して、振替休日を使って3日間デジタルデトックスをした。

カンボジアぶりに自然に触れて、焚き火をしながら何もしないでいるときに、私はやっと自分への期待を手放すことを決めた。

いやね。できないことは、できないのよ。

確かに、何か状況が変われば開ける道はあるかもしれない。でも、今の私や取り巻く状況が直ぐに変わることはないのだから仕方ない。

私は私であって、それ以上でも以下でもない。

今の私が「つらい」と思うのであれば、それはやっぱり「つらい」ことなのだと認めるべきだ。

頑張りたかった私、お疲れさま。
できない私、こんにちは。

自分に失望もしたけれど、でもそれも仕方ない。
そう思う私も全部ひっくるめて、ただ1人の私なのだ。

今は、それを認めて受け入れつつある。

今後は、そんな自分のために、もっと無理せずにできる方法や、優先順位をきちんとつけることや、仕組み化する方法を考えていこうと思っている。

ひとつずつ味わって、ちょっとずつ手放す

「もっとやりたい」「もっとできるはず」という理想に向かって頑張ることも大事。
だけど、本当に正直な自分の心の声を聞いてあげる方が、もっと大切。

自分のこと、知っているつもりだったけれど、まだまだ自分の中に眠っている思い込みや期待って沢山あるんだろうなと思う良いキッカケになった。

これから、ひとつずつ味わって、ちょっとずつ手放していこうと思う。


ご清聴、ありがとうございました。

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