「自立」と「依存」に影響を及ぼす指導者の態度

サッカーは、数学みたいに1+1の答えが2になるように確実な答えが常に存在するスポーツではない。

あるのは、その状況における最善の答え。

この事を指導者は理解しているんだろけど、ついつい子ども達のプレーについて

答えを与えてしまう

事がある。

それは、外から見えてる状況はプレーしている子ども達より見えやすく、

経験も子ども達より上で、

最善の答えが分かってしまうからついついという事なんだろう。

特に、勝負がかかった試合なんかは、

最善の答えを与え続ける事で、チームを勝利に導く確率は高くなる。

そこで得た自信は、子ども達にとってどうなるのか??

そもそも、それは子ども達にとって自信に繋がっているのか??


それは、試合中の子ども達のプレーを見れば分かる。


答えを与え続ける事によって生まれる害

サッカーにおいて、似たような状況は存在しても、
全く同じ状況が現れる事は、絶対にない。

これは、言い切っていいくらい正しいと思う。

相手の位置、味方の位置、受けるボールの場所、試合の点差状況

あらゆるものが、プレーの選択には関わっていて、

その状況を全て再現する事は難しい。

なのに、この状況でのプレーはコレだ!

と指導者が答えを与え続けると、

本当は、あらゆる事を考えながら(判断しながら)最善の答えを導き出さないといけないのに、

答えを頼ってしまうようになる。

見えてる景色が違うのに、コレが答えと言われ続けると、

そのズレから、何が正しい選択なのかも分からなくなってしまう恐れさえある。

確実な答えはなく、あるのは最善の答えのはずなのに、

言われるがままの答えが、全て完璧な正解になってしまう恐れさえある。

努力の成果が自信になったり、小さな成功が自信になったりするのは、

そこに自分の意志があるから

自分の力でやった事に、結果がついてくるからこそ、自信に繋がるんだと思う。

だから、プレーの中で頼り出す事が常になってしまえば、

いくらいいプレーに繋がったとしても、それが子ども達の自信になる事はない。

最も恐れるべき害

それでも、子ども達は答えを与えてもらう事で成功体験を得る事になる。

それは、少なくとも自信に繋がってるからいいんじゃないか?

という意見も聞けそうだが、

そこで得た自信は、残念ながら自信ではない。

それはある意味洗脳されてる状態で、

安心がもたらす、自信に似た感覚なだけだ。

それは、本当の自信とは言えない。

この感覚に陥ってしまうのが一番怖い。

洗脳と言ったら、少し言い過ぎの表現かもしれないが、

この状態は、洗脳されてはないにしても、

「依存」の状態になっている事は確か。

「依存」の反対語は「自立」であり、

子どもから大人に成長していく中で、「自立」していかなくてはいけないのに、

逆方向に走っているというのは、

冷静に考えるととんでもなく怖い状態だ。

また、サッカーのプレーで大切な独創性は生まれる事なく、

いつまでたってもピッチ上で「自立」する事はない。

まとめ

サッカーの面白さは、

状況が目まぐるしく動く中で、その瞬間にプレーヤーが、

どんなプレーを選択するのかにある。

見てる人は、それを自分というフィルターを通す事で、

プレーを予想し、その予想が自分の考えてる範囲を越えた時に、凄さを感じる。

それが指導者と子ども達という関係性であれば、

凄いと思うのと同時に、感動を得る事ができるだろう。

だが、答えを与え続ける事では、この感動は得られない。

それは、指導者の想像範囲でしか子ども達は動く事ができないから。

指導者にとっての最善の答えは、

プレーの中の選択肢を拾ってあげて、「コレだよ」と与える事ではなく。

どうやればいい??

と考えさせる機会を与えてあげる事だと思う。

確実な答えが存在しないからこそ、

指導者の価値観だけで、答えを与え続ける事は危険だ。

子ども達は、自信を持ったら指導者の予想を越える成長を見せてくれる。

その自信とは、与えられたものではなく、自分自身で得たものでなくてはいけない。

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