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空間を楽しむには人がスパイス。

僕がカフェを探すのはいつもSNSだ。
使い慣れているというだけで、こだわりはない。

その日必ず行きたいカフェをSNSで探し、そのお店の周辺と最寄駅からの道中に他にいいお店がないか、地図アプリで探している。
地図アプリで見つからなかった美味しいカフェが道中にあったりするから、わざわざ最寄駅の一駅手前で降りて歩く事もある。
その変なこだわりが功を奏してというのか、とても美味しいシュークリームを見つけた話はまた今度にしよう。
SNSで前々から気にはなっていたが、駅から遠くどう調べてもその周辺に他のお店がないから「また今度」と先延ばしにしていたカフェというのか喫茶店というのか、カカオにこだわったチョコレートのお店なのか確かめたくなるお店に向かった。

地図が案内した場所には今にも崩れそうな建物があった。
おそらく今の建築業法では立てられないのではと要らぬ考察をしたのは前職で得た知識からくる、悪い癖だ。知識マウントが悪いとは言わないが、謙虚に生きていたい。

住宅街にある建物は外からは人気があるようには思えなかった正午。
ランチの時間にコーヒーだけを飲みにくるような奴は珍しい。
それゆえに人が少なく待ち時間なしで入店できるいいタイミングで来れたのだ。

「ついてる。」
そう思った僕はいきなり勝負を挑まれた。
この扉は”押”して開けるのか、”引”いて開けるのか。
ドアノブに漢字一文字を書くだけでその悩みは解決できるのに、表記していないお店は景観を損ねないためなのか、そう思いながら二分の一の勝負に挑む。
(ちなみに僕が将来カフェを開いた時には、ドアノブの近くに「PULL」と表記する予定だ)

優しい自分に抱き寄せた扉は、僕の気持ちに応えるように、飛び込んできてくれた。

「PULL」そんな幸せも長くは続かない。

次の勝負は注文方法だ。
注文してから座席に着くのか、座席に着いたら店員さんが注文を聞きにくるのか。
この勝負も今まで何度も挑まれきたから解決方法は習得済みだ。
”低姿勢で店員さんに会釈する”
これに尽きる。
そうすれば店員さんが全てを察して、全てを教えてくれる。

このお店は2階でコーヒーを飲むそうだ。
初めてのパターンで圧倒された。妄想で注文を脳内で攻略していたつもりが、全くもって通用しなかった。
2階でコーヒーを注文し好きな時間を過ごす、帰りに1階のカウンターで清算をする。
一聞いて、十を理解する僕はイートインを選択した。
変わった店はワクワクできる。少しでもワクワクに浸るためにはテイクアウトではなくイートインが正解だ。

2階へ行くにはカウンター横の螺旋階段を上がっていく。

人の気配を感じ取れはしないが、一段一段に体重を掛けるたび”きしきし”と階段から聞こえる「いらっしゃいませ」をなるべく最小にすることだけを意識しながら忍足で2階へ向かった。
2階には廊下があった。

「また、だ」
勝負を挑まれた。

扉が二つある、
この時点ではどちらがコーヒーにたどり着くかは分からない。
次々と勝負を挑んでくるこのお店は小学生時代に夢中になったポケットモンの四天王のようだ。四天王と戦う前にはレポートをする余裕があったからこのお店の方が難易度は高い。

こんな時は間違えて開けた時のために「ごめんなさい」だけを準備して手当たり次第に扉を開けるのがいい。
タイムイズマネーだから、悩んでいる暇はない。
この程度の悩みで数量限定のモンブランが売り切れたことのある僕の言葉は重みが違う。

「いらっしゃいませ」
今回はしっかりと聞き取れた。扉を開閉する音が幻聴として響いたのではない。

「お好きなお席へどうぞ」
続けて聞こえた言葉に安堵し、入口から一番近いカウンター席に座った。

奥には複数人で来店した人向けのスペースがあり、カウンターはお一人様だけが3人座っている。
僕を入れてカウンターに4人、店員さんが2人。6人もいれば会話が盛り上がりそうだが、ここではあくまで一人のグループだ。

僕は他のお客さんの飲み物を横目で確認して、アイスコーヒーと誰も頼んでいない”コーヒーに合うチョコレート”を頼んだ。
「”コーヒーに合うチョコレート”はホットコーヒーと相性がいいため、ホットコーヒーのみご一緒に注文いただけます」

僕が話の通じる人間でよかった。
相手を間違えれば即席のクレーマーが誕生するところだった。
「郷にいれば郷に従え」という知識と謙虚さを持ち合わせていて良かった。

ペーパードリップではなくネルドリップで抽出するこのお店はどこを切り取ってもワクワクする。今度サイフォン式のお店に行ってみよう。

我を通して注文したアイスコーヒーが目の前に届いた頃、右隣にサングラスをかけた中年男性が腰を掛けた。

観光客だろうか。
少し大きめのリュックは膨れ上がっている。
自前のウエットティッシュとアルコール消毒をカバンから取り出し、入念に手を清潔にすると。
店員さんと会話を交わしながらコーヒーを注文している。
豆の特性などをしっかりと把握した上で注文しているサングラスおじさんの姿はコーヒーの魅力を知ったばかりの頃の僕にそっくりだった。

サングラスおじさんはネルドリップから目を離さない。
「最後はドリップするスピード上げるんですか」
サングラスおじさんが店員さんに話しかける。
BGMだけの空間に新たな音が加わる。
カウンターに座る他のお客さんの息が止まる。

お一人様のグループが本当に一つになった瞬間だ。

僕が切り取れなかったワクワクをサングラス越しにおじさんは切り取っていた。

同じ空間の違う場所
同じ秒針で、それぞれの時を刻む

これだから人は面白い。
中学生時代から人間観察が趣味だった僕はそうやって僕以外の人生を楽しんでいる。

いつの間にかサングラスおじさんが頼んでいた二杯目のコーヒーを飲み終わる前に僕はこのお店を後にした。