見出し画像

「KIGEN」第十九回



 いちごうの不調の原因ははっきりしないままで、現状のいちごうにどの程度の検査が可能か、ロボット工学の見識のみで向き合う事は最早不可能だった。奏は連日解決方法を模索中だが、今のところ有効な手段は見つかっておらず、少し手詰まりだ。横たわるいちごうの腕に触れる。表面は温かく、少ししっとりとして汗ばんだかのようだ。三人掛かりで廊下へ横にさせた時、圧迫を受けた箇所だろうか、ほんのりと赤い部分がある。奏はいちごうの赤くなっている腕をやさしく擦ってやった。

「人間じゃないなんて、嘘だ」

 奏の労わりに呼応するように、いちごうの胸部が静かに上下していた。異常なしの判断を下したAIが自ら再起動を促し、いちごうの内部は再び活動を始める。数分と経たない間にいちごうは目を開けて、気付けば笑っているだろう。いちごうの無事を確認した奏は、先ほどの訪問客へ思考を移した。そういえば名前はおろか、何処の誰だかも聞かなかった。記憶を辿りながら、その容姿からヒントはないかと懸命に頭を働かせていった。
 
 僅かの間の出来事が、彼の胸に小さな不安を残した。


「やっぱり気になりますよね」

「あの家の事か」

 古都吹家の訪問から数日経った朝、足で探すのもいい加減止そうかと二人は思い始めていた。頭の片隅から過日のロボットの事が離れないで捜索にも身が入らないのだ。矢留世は仮にもリーダーの立場なのだから、自分から言い出さなければチームの方針は定まらないのだと気が付いて、やっと口を開いた。三河は待っていたとばかり直ぐに反応した。二人の足は迷わず古都吹家へと向けられた。

 玄関を開けた奏は、いつか来るだろうと予期していた顔が二つこちらを向いて並んでいるのを見るなり、事前のシミュレーションも虚しく顔を強張らせた。

「また突然訪問してすみません」

「い、いえ。先日は、どうも・・」

「どうしても心配で、また来てしまったんです。でも安心して下さい。我々は誰にも何も話していませんから」

 矢留世に合わせて三河も頷いて見せる。少年の警戒をどうにか和らげたいと思っているが、自分が目立つよりも物腰の柔らかい矢留世の方が、この場合適任者だ。

「その後どうですか、大丈夫でしたか」

「はい、何も問題ありませんでした」

 矢留世はよかった、とにこり笑って、首をきょろきょろ動かした。

「今は、いないんですか」

「いえ、リビングに居ますよ。カートゲームで遊んでるからテレビの前を離れないんです。すっかり夢中になっちゃって」

「へえーそうなんだ」

 引き際に困っているところへ、奥から大きな声が届けられる。

「奏ーまだー?早く戻って来ないと勝手に続き始めちゃうよ~」

「あはは、ほんとに元気そうだね。安心したよ。引き留めてごめん。どうもお邪魔しました」

「あ、はい。それでは、これで」

 奏がぺこんと頭を下げると同時、大人の二人も辞儀をして、又扉は閉じられた。踵を返した矢留世へ、三河が小声で話しかける。

「どうするんだ。この後」

 曖昧な返事をしながら、矢留世はふらり敷地内で横道に逸れる。

「おいっ」

 塀に囲まれた敷地の中、人一人通れる位の壁際を進むと、ガレージが見える。矢留世は大胆にもガレージの入り口を目指していた。

「馬鹿戻れっ、民家の敷地内だぞ。勝手な真似は止すんだ」

「大声出さないで下さい。彼等はリビングでゲームだそうですから、道に迷った事にして、ちょっとだけ見せて貰うんです。ちょっと見るだけですから」

 と言い終わるのと同時、ガレージの入り口前で仁王立ちする人物と目が合って、矢留世の顔は不自然な笑顔のまま硬直した。

「本当に来た!奏の言った通りだったね」

 大柄な少年、いちごうだ。奏も姿を現す。

「あ、ええと、道に・・迷った、かなあー」

 矢留世の用意していた言い訳は虚しく散った。三河は一歩進み出て頭を下げた。リーダーを立てる事よりも、この場合部下の不始末のけじめをつける方が自分の使命だととっさの判断だった。

「申し訳ありません。あなた方の家の敷地内を勝手に歩き回ったこと、お詫び致します」

 深くお辞儀した三河は、矢留世を促して立ち去る気配を見せた。だが矢留世は食い下がる。

「勝手に入った事はお詫びします。けど、どうか話を聞いて下さい。僕等は決して怪しいものじゃないんです。それだけは信用して―」

「知ってます」

 相手の言葉を遮って、奏は落ち着いて答えた。頬も口元も無表情決め込んで、親切であった瞳は、哀しそうに、また痛みを伴うように沈んでいる。

「僕はもっと賢い人たちの集まりだと思っていました――胸のロゴマークが泣きますよ」

 奏は真っ直ぐに腕を伸ばし、右手の人差し指で矢留世の胸元を射た。はっとして思わず手でワッペンを掴んだ。二人はいつもJAXAe-syの作業着で訪れていたのだ。三河はそれが己の理性のストッパーであるつもりだった。矢留世も同じくあるべき処、自分の欲望に固執するあまり所属を忘れた。社会の概念を忘れた。

「信用しろって言われても、不法侵入しでかすような人たち、簡単に信用できません」

 十三歳の容赦ない攻撃を真面に食らった二人は危うく撃沈する所だった。あまりにも相手の言い分が正しくて、組織に申し訳ないと思った。酷く情けなかった。前後左右どの道を選ぶにしても地獄、いや出来れば地面の底が抜けて本当に地獄に落ちた方がまだましかも知れないとさえ思った。だがここで、いちごうが口を開いた。

「奏、落ち着いて。あなたが研究者を脱ぎ捨てて只の子どもになったら駄目ですよ。ちゃんと冷静に相手の言い分を聞いて、どう行動するのが最適か考えましょう。この方たちにもきっと任務missionがあるはずです。話を聞いて、判断するのはその後でも遅くないでしょう。それに、わたしの為にも、お願いします」

 自分の状態が不安定で、奏一人に負担をかけていることをいちごうは十分理解している。渉を加えても前例のない事態ばかり立て続いて突破口が見当たらない。その所為せいで奏は最近苛立っている。だが視野を広く持ち大胆に判断する能力を、経験の乏しい奏に求めるのは酷だ。ロボット工学に関しては天才的だが、嫌いな野菜を父親の皿へ移す様な子どもなのだ。

 一方で全体を俯瞰する能力はAIの得意で、いちごうの頭脳が混乱来たす現場へ冷静さを求めた結果、不審感を募らせて視野狭窄に陥っていた少年と、八方塞がりの大人たちを話し合いのテーブルへと導いた。


第二十回に続くー


ここから先は

0字
ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,726件

#多様性を考える

27,917件

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。