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「KIGEN」第四十五回



 年が明けて、日は流れ、世間には今年も桜が舞い人々を楽しませた。二人は順調に学年を上がり、中学三年生である。

 いつものようにおじいの家の庭で四股を踏んでいると、カエデさんがいちごうを呼びに来た。一度家へ上がっておいでと言う。

「どうしたんですか」

「おじいが用があるんだって」

 いちごうは言い付け通り縁側で足を拭いて上がると、洗面を済ませて浴衣を羽織り居間へ入った。すると今度はそっちじゃなくてあっちだよとカエデさんが手を招く。あっちと言うのは客間の事で、いちごうは首を傾げながらもやっぱり言われた通り移動する。客間へ入る前に、廊下でアイリーが待っていた。目が合うと「がんばって」と励まされた。日本語を少しずつ覚えて、近頃は翻訳機をわざと持ち歩かない事もある。いちごうは頑張る対象が不明なまま彼女の応援に応えてこくんと頷いた。

 客間の障子は立切られていたので、部屋の前で声を掛けた。中からおじいの声で応答があり、いちごうはすうと片方の障子を開けた。客間にはおじいともう一人、向かい合わせで中年男性が座っていた。いちごうの顔を見るなり、おじいは淡々としゃべり出した。いちごうは素早く膝を折って畳に座した。向き合う二人の座布団の中間地点だった。

「――それでな、入門が決まったから」

「あ、はい――え、ええ!?おじい今なんて!?」

「うるさいな。だから相撲部屋への入門が決まったと言ってるんだ。こいつの世話んなれ。ああ、こいつじゃいかんな。垣内親方だったか」

「だったかって、あなたもかつては垣内親方だったじゃないですか」

「俺はなってない」

「え、ええー!」

 目を見開いてやっと客の、垣内親方の顔を真面まともに見たいちごうは、思わずああー!と声を上げた。

――普通の人間と違うんだってな。そんなよくわからん者はうちには要らないよ――

「あなたはAI仕立ての私を拒否した親方じゃないですか!え?おじいのお弟子さんなの!?嘘だ」

「元弟弟子だ。口を慎め。今日からおまえの師匠になる男だ。お前が真っ当な相撲道を突き進めるように、全身全霊で鍛えてくれるぞ」

 いちごうはやや胡散臭さそうな視線を垣内親方に送った。内心かなり複雑だった。このままおじいの弟子では駄目なのかと、よっぽど口から飛び出しそうだった。だが相撲協会に所属している部屋へ入門しなければ力士として歩んで行けない事を道理では理解している為、堪えて言葉を呑み込んだ。両手を着いて畳の上で体の向きを器用に変える。真正面に親方を据えて、しかと目を合わせると、頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 見事なお辞儀だった。背中を伸ばし、肩を張り、堂々と、潔く。垣内親方は少々面食らった様子で、視線をあらぬ方向へ泳がして、だがおじいの眼差しが鋭く、けほっと咳払いして腕を組むと、「頑張りなさい」とようやく言った。いちごうは清々しい顔を持ち上げると、

「はい!横綱になります!」

 と威勢よく言い放った。

 後から台所でカエデさんが内緒話としていちごうに語ってくれたところによると、いちごうの熱意を受け止めたおじいは自ら、かつての弟弟子であり今は部屋を持つ垣内親方に連絡をとって、入門を認める様説いてくれたそうである。その際、いちごうに素質があること、中身がAIだろうが人間だろうが本気で相撲道を突き進もうとする者は排除しちゃならんのだと語ったらしい。

「大事に育てろって、圧までかけたんだよ。わざとね」

 カエデさんは茶目っ気の在る瞳で笑った。

「出会いは最悪だったかも知れないけど、垣内親方も横綱まで上り詰めたおじいの兄弟弟子だよ。おじいの話を聞いて、ロボット工学だの人工知能だの難しいことは私にはわかりませんけど、彼自身を見る事を忘れていましたって反省したんだって。正直どう接したらいいかよくわからないけど、何とかやってみますって言ってたよ。だから大丈夫、あなたはあなたらしく、何処へ行っても自分の心に正直に生きたらいい、ね」

 おじいと垣内親方、二人の間にはいまだに大きな信頼関係があるのだ。いちごうはおじい自身について、以前にも増して強く興味を抱いた。引退してどうやら相撲協会とは全く接点のないおじいであるのに、身のこなしは現役の力士に引けをとらず、稽古もみっちりつけてくれた。その上まだこれ程の影響力を持っている。何故親方ではないのか。何故相撲協会から離れた人生を送っているのか。疑問を幾つも抱えていた。答えはネット社会にもあるだろうか。だがいちごうは調べなかった。気が進まなかったからだ。いつか直接話して貰えるか、一生謎のままか分からないが、自分の目で見たおじいを信じたいと思っていた。


 再び訪れた夏の長い休み、いちごうは垣内部屋へ通い、入門体験という形で稽古や部屋のしきたりなどを教わる事になった。部屋の見習が日々行っている事も見学できる。一方で人工知能を持つ人体としての進化も目まぐるしく、定期検査は欠かせなかった。稀少な隕石をその胸の核に抱いたまま生きるいちごうからJAXAも目が離せないので、矢留世を中心に必ずチームの誰かが付き添って部屋を訪れた。

 いちごうがやっとの思いで相撲人生を歩んでいる最中、奏はと言えば受験勉強が忙しかった。自らの研究を続ける為、いちごうとの約束を果たす為、彼は彼で自分の道を歩む決意だ。それでも開発責任者として、彼の友人として、時間を作っては垣内部屋へ様子を見に行った。まわし姿のいちごうにも見慣れて、そのまま対峙していても抵抗がない。短い時間でお互いの近況報告を済まして、いつも最後は励まし合って別れた。見送りに力強く腕を振るいちごうの手の平が、奏をいつも勇気づけるのだった。

                        (五章・門戸・終)

第四十六回に続くー


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「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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