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「KIGEN」第三回


 奏がレモネードの入ったグラスをそろそろ傾け過ぎるという頃合いで、渉が声を掛けた。数度名前を呼ばれて思考が帰還、ようやく父と目を合わせる。レモネードは間一髪、衣服を汚すという汚名を着せられずに済んだ。

「この間の火傷、もう良さそう?」
「・・・うん、大丈夫」
「気を付けなくちゃいけないよ。火事になったら大変だからね」
「うん、大丈夫」
「今思い付いたんだけど、まさかそれも隕石の仕業じゃないだろうね」
「いやだわ、そんな訳ないじゃない。へんなチラシの記事なんて鵜呑みにしないでよ。でも奏、本当に気を付けなさいよ。あんまり危ない事しないで頂戴」
「――うん。大丈夫」

 渉の戯言ざれごとをすかさず否定にかかった智恵美だが、息子の方が心配と見えて、結局奏への注意に心が向く。口数は少なくても奏の相槌は正直だった。話半分に聞いているが故の間の開いたうん。自信があるから胸に手を当てかえりみる必要がない時のうん。素直に従えそうにないけれど無用な争いを避けるための無言に始まった末のうん・・・。そして「大丈夫」を添える事で、自分にも相手にも安心を与えているつもりなのだ


 あやふやな息子の返事に不満抱く智恵美は、ふうと溜息を零した。妻がレタスに突き立てたフォークがそのまま卓上を貫きそうな気配を見て取り、渉が場の空気を和らげようと再び口を開く。

「けれどまあ、大した火傷じゃなくてよかったよ」
「あれは掠り傷だよ」
「いいえ、火傷です」
「けど大した―」

 渉の中和は遮られる。

「お腹を痛めて産んだ我が子から血が出てたら心配するに決まってるでしょう。それに傷の程度は問題じゃないの。あんな危ない機材だとか液体の多い場所で火花なんか散らして、一歩間違えば大怪我に繋がっていたかも知れないのよ」
「そうだね、怪我で済めばいいけど、命の危険を伴う事態に、火事になったらそれこそ大惨事だからね」

 と、いつの間にか渉は智恵美の後方支援へ回っている。こうして両者のバランスを取っているつもりだったが、その甲斐虚しく智恵美は不満の矛先を今度は夫へ定めていた。

「全く、あなたがガレージを改装したりするから、奏が益々引きこもって変な実験繰り返すようになるんです」
 渉は困ったと謂わんばかりに可愛げのない自らの後頭部を撫で回した。


 古都吹家の一人息子である奏は、物心付く前から好き嫌いのはっきりした子どもだった。興味を覚えた事には、いとけないむちむちの腕を伸ばして自分にも触らせてくれろと主張続けるが、これは嫌だ、やりたくないと思えば、周囲か根気強く勧めようとしてもいつまでも知らんぷりだ。

 小学校へ上がった後も、国語のひらがなの練習帳の宿題などは面倒がって中々やらない。もっともこれは、既に幼稚園時代学習済みであったからでもあるが、音読などは必要ないと言って拒否する。何故そう思うかと聞けば、自分の人生にいて文章を音読するような場面は訪れないからと、もっとものような、出まかせの様な主張をした。だが本は好きで、特に図鑑や事典の類は幾らでも読んだ。市内の図書館へ連れて行けばいつも両手へ貸出上限いっぱいの十冊を積み抱え、貸出カウンターへ自ら持って行き、にこにこ嬉し気に家まで持ち帰った。サイエンス、理工学、自然科学、航空力学等の本は大人向けのものを借りて、家にある道具でいきなり見様見真似の実験を始めるなどして両親を度々驚かした。父の渉はそんな息子の姿を見て、

(うちの息子は将来博士になるんだ!)

 と瞬く間に大きな夢を抱いた。そして智恵美に事前の相談なしに、ローンで購入した一軒家の、自分の愛用バイクを置くために設計にまでこだわって造って貰ったガレージを改装し、奏の研究所へと生まれ変わらせてしまったのだ。しかもその改装工事費用に充てられたのは、自分のバイクを売ったお金だった。無論それだけでは足りずに、貯金も幾らか削られたし、月々の渉の小遣いは減らされたし、奏のお年玉貯金も一部は崩される事となった。奏は構わなかったが、智恵美だけは未だに納得して居らず、事あるごとに当時の恨み節を零す。

 好奇心旺盛なまま迎えた小学四年の春休み、奏はインターネット配信で古いロボット映画を見た。その直後から数日間、彼の頭の中はジョニーファイブに染め付けられていた。そこから当然のように自分もロボットを作ろうとの思いに至り、早速製作に取り掛かった。
 
 彼の云うロボットとは、スイッチを入れればウイーンガシャンと手足が動くような玩具の事では無い。人工知能、つまりAIを搭載した本式のロボットの事だ。奏は自分には出来ない等と微塵も考えていなかった。時間と資金は掛かるだろうが、材料さえ揃えば本物のAIロボを完成させられると信じて疑わなかった。

 なにしろ現代社会において、人工知能は既に暮らしに浸透したシステムの一つであり、一般家庭の家電製品や自動車から工場の大型ロボ、更には人工衛星打ち上げの際もAIで自己管理する時代だ。文化面においても、AIを使って文章や絵を書く、将棋の棋譜を予測する等は随分前から研究が進んでおり、近年活躍目覚ましい。要するに人工知能の活用は既に人々の暮らしと密接に関わり、今後益々発展、活用が見込まれる最先端科学であるといえた。一人一人の日常生活を見比べた時、AIの浸透率に個人差はあるとしても、奏にはこれ以上無い好材料だ。少年奏は臆面も無しに壮大な目標を己の頭上へ掲げたのだった。


第四回に続くー



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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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