「KIGEN」第十一回
「いいじゃん奏!その調子じゃん?」
フレンドリーを参考にしたつもりだった。いちごうは上出来のつもりだった。奏は戸惑った顔をした。学校で同級生に対しても、語尾を持ち上げる疑問形の会話はやった事が無い。奏は大抵、僕はこう思うよ。という口調に終始している。そもそも会話はあまり得意ではなく、言葉の始めは詰まりやすい。お、おはよう。あ、あのさ、ぼ、ぼ、僕はこう考えます―小学生の内に治らなかったものは、中学に上がってもそのままだった。次から次と湧いて来る疑問は心の内に留め置いて、後から自分で調べてきた。
「うーん、まあいいけど。自分らしく話すのって難しいね」
「そう?私は結構楽しんでやってます」
「それならいいんだ」
「あ、充電終わった」
「よし、今日の授業教えてあげる」
奏は帰宅後、その日授業でやった部分を抜粋していちごうにも教えることで、中学レベルの教育を受けさせている。人工知能だから最先端科学も最新の論文も、社会情勢等膨大な知識量を誇るが、学ぶ、教わる、という体験をさせたかったのだ。いちごうは奏にとってあくまで同い年である。更に言えば、TPOに応じていちごうが知能指数を相手へ合わせられるような、臨機応変な対応を可能にしておきたいと考えていた。子どもに話し掛けられた時は同じ目線に立って受け答えしてあげて欲しい。学者が意見を求めた時は持つ知識を余す事無く活用して的確な返答を提示して欲しい。それ等はつまり、相手の気持ちを慮るという行為でもある。ここへも奏の共存への思いが込められていた。
いつかの将来で、人とAIが同じ教室で学び、同じ家で等しく権利を持って暮らすことができたら素敵だ。この世に生まれた限り、本来人と動物とに命の優劣がないように、生まれたAIにだって自由に生きる権利がある。有形でも無形でもどちらでもいい。誰もが助け合って暮らせる。そんな日常を、奏は夢見ている。
晩御飯の時間ぎりぎりまで籠って明かりの消えない研究所を、雨の隙に乗じて雲掻き分けた月が輝き、静かに見守っていた。
早い地域では梅雨明けが宣言されて、世間では夏休みの話題が頻りと飛び交う季節になった。じめじめと憂鬱だった湿度が徐々に取り払われて、人々に活気が戻るこの頃であるが、奏は人知れず、ある不安と闘っていた。
近頃いちごうは、突然シャットダウンするようになった。会話の途中で言語が遅れる場合もある。まるで繋がらないネット環境と同じで、闇雲に不安を搔き立てられる。何度か呼び掛けると「どうしたの奏」と、本人は何事も無かったかの様に平気に振る舞うので、自覚症状は無いらしい。それが余計に心配だった。不具合かな。そう予想するも、いちごうの表面はシリコンで覆われており、本体の機材の具合は目視出来ない。先ずはパソコンといちごうを直接繋いで電子回路とプログラム系統の異常が無いかの確認から始めた。
久しぶりに作業台へ横たわる事になったいちごうは、緊張するねと言いながら服を脱いだ。何だかプール開きの日の小学生のようだ。実際の見た目は大柄で逞しく、シリコンの下に武骨なチタンを予想させて無邪気とは程遠い。
「それじゃ一度電源落とすからね。しばらくお休みしててね」
「うん」
いちごうが誕生して以来、完全に電源を落としたのは初めてだった。本体の熱を逃がす為の空気循環ファンのモーター音が静まってから、奏はパソコン上にいちごうの人工知能とプログラムを呼び出し、早速調査を開始した。
いちごうに関わる全てのプログラムをウイルススキャンすると同時に、電子回路に異常が無いかを細部に亘って確認し、本体も可能な限り目視と触診で観察するも、異常は一切検知出来なかった。彼自身のAIも、健康状態は良好と判断を下した。全ての調査を終えた奏は、不安を拭いきれないまま、再びいちごうの電源を入れた。目を覚ましたいちごうは、服を着ながら奏に何かわかりましたかと尋ねた。
「どこにも異常なし、いちごうはとても健康だと云う事がわかったよ」
「それは良かった。私は健康そのものです。夏バテもしない、暑さにも寒さにも― あっ!」
「どうしたの!?」
「梅雨が明けたって。この地域でも梅雨明けが発表されたって今、新着ニュースが入って来た」
いちごうは常時ネット環境に繋がっている為、時々こうして時事ニュースを奏へ教えてくれる。
「そっか、道理で天気がいいわけだ」
二人は研究所の窓の外へ顔を向けた。いつの間にか雨上がりで、空は青く澄んでいた。
「奏、夏が来たね」
「うん、そうだね」
ロボット本体の精密な検査は行えていないままである事を説明して、夏休みに入ったら渉の手も借りて本格的に調べるからと、奏はいちごうに約束した。
第十二回に続くー
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長編小説「KIGEN」
「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…
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