見出し画像

「KIGEN」第十三回


「私の動力源だとは重々承知の上で訴えているんだけど、充電の度に辛いんだよ」
「ど、どう云う事?」

 冗談とも嘘とも見分けのつかないいちごうの言葉に、奏は動揺した。見た目は取り繕って人間らしく仕立てたものの、中は否応なしに金属主体のロボットだ。色々と人体を模した仕組みを採用しているが、それはあくまで機能性の方面であって、AIの成長度合いを鑑みても、人間と同じだけの感受性を追求するにはまだまだ足りない事だらけであった。

 人には視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚(皮膚感覚)からなる五感というものがある。いちごうは視覚、聴覚、嗅覚、触覚までは科学的に機能として備える事が可能だった。だが味覚だけは必要性が感じられなかった事もあって備わっていない。口から食事を摂る事が無いいちごうにとり、おいしい、まずい、甘い、苦い、辛い等は無用の長物だ。

 ただ知識としては、人類が味覚を通じて心震わせたり嘆いたり、執着して争ったりする事を知っていた。無論のこと食事は生命維持の為にも必須である事も心得ている。だがその様な魅惑的な機能が自らに備わっていない事へ不満を述べた事は無かった。

 そんないちごうの口から「美味しくない」が吐き出されたのだ。やっとのことで打ち明けたと云っても良い。彼の誕生以降、初めて発した「辛い」の二字はただ事ではなかった。奏は目まぐるしく思考を回転させてはあれでもないこれでもないと混乱する脳をどうにか落ち着かせて、いちごうに詳しく訳を聞いた。


 いちごうの説明に依ると、プラグと直接繋いで充電を行う際に、しばらく前から体の一部分が違和感を抱く様になったのだという。直ぐに自らのAIで不具合の調査分析を行ったが異常は検知出来なかった。だが不快はその後も続き、まるで胸やけを起こした様に体内の一部分が襲われたまま、充電が完了するまでは治まらない。

「私は病気にでもなったんでしょうか。未知のウイルスの侵入でも許してしまったんでしょうか」

 いちごうは切実な思いを浮かべた瞳で、製作者の、まだ若く、その頭脳の明晰さとは裏腹に、相手の波長に流されやすく、あどけなさの窺える顔を見た。奏は尋常でないいちごうに同情した。胸へ浸透する心細さを懸命に堪えながら声を絞り出した。

「病気になる訳がないよ。毎日チェックしてるんだから。大丈夫、直ぐに調べてあげるからね。不快な気持ちがする部分っていうのを、必ず見つけ出して直すから」

 いちごうは弱々しく頷いた。そして、視線を暫し宙へ放って何事か思案すると、再び奏へ瞳を戻して、今度は思い切った口を開いた。


「あのね奏、水を飲んでみたいんだ」
「水!?」
「そう、お水」


 ロボットが水分補給とは聞いた事が無い。その体の、というより、その機材、その電子回路に水分など致命傷に他ならない。はっきり言って自殺行為だ。精密機械の犇めく内部へなぜ水を取り込みたいと思うのか。まさか本当にウイルスの仕業だったらどうしようか。一度抑え込んだはずの不安が奏の胸で渦巻いた。


 予想外の要求に奏は迷っていた。取り込んだ水分はどこを通るのか。まさか機材に触れて無事なわけがない。だが相手は本来自分よりも遥かに頭脳の優れた人工知能である。誕生に立ち会うまでの背景と、普段はまるで同級生の様に接する態度や言葉遣いから、うっかりその事実を見過ごしてしまいがちだが、最先端を知るAIが導き出した要求であるなら、そこへ至るまでのプロセスを詳らかにする事へ時間を割くより、素直に従ってみる方が道理であって、良い結果を招くかもしれない。

 体内の電子回路は他の機関と区別する為元々防水コーティング済みでもある。万が一水分がよからぬ方向へ流れたとしても、一瞬にして消滅することは避けられるはずだ。はずだが、これは大きな賭けだ。それでも奏は思い切った決断をした。

「わかった」

 奏は早速コップ一杯のミネラルウォーターをキッチンから運び込んだ。

「はい」

 神妙な顔をして待っていたいちごうは、差し出されたコップ一杯の水へ両手をそっと近付けた。慈しむような仕草でそれを受け取ると、上から揺れる水面を眺め、目元を細めて、それからそっと口元へ持って行き、ゆっくりと含んでいった。

 それは十分冷たかった。少しずつ、体の中を細やかに巡る様に、個体を構成する仕組み一つ一つへ染み渡る様に、混じりけの無い透明な水が浸透していく。いちごうは心ゆくまで味わうと、ようやくコップから口を離して、

「なんて美味しいんだろう」

 と言った。にこにことして、純真な喜びに溢れていた。その笑顔は、固唾を呑んで取り込まれた水分の行方を見守っていた奏の杞憂を清らかに拭った。感心の面持ちでいちごうの水分補給を見届けると、今度は自然と謎が持ち上がる。

 いちごうの味覚は敏感なんだろうか。そもそもプログラムしなかった味覚がいつの間にか芽吹いて発展する事などあり得るだろうか。いちごうに本物の舌は無い。探究心の旺盛な研究者は堪らず背伸びしていちごうの顔に顔を近付ける。


第十四回に続くー



ここから先は

0字
ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,726件

#多様性を考える

27,917件

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。