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「KIGEN」第七十五回





「今日は理事としてではなく、一個人のつもりで伺いました」
 但し、後で問題などと叱責されては面倒ですから、理事長には訪問の旨告げて参りましたけれど。と付け加える事を忘れない。十勝の訪問を受けて客間へ顔寄せたのは、かえでさんに促されて渋々作業を中断したおじいと、そのフォローをするべく傍へ控えるかえでさん、そして基源だ。

「基源の事は理事長も随分気に掛けておられます。大事な力士の一人に違いありませんから。けれどあの方が動くとマスコミが嗅ぎつけて騒ぎます。その点私は都合がいいんです。ただの理事の一人に過ぎませんから」

 と十勝は微笑するが、どう見てもただの理事に見えないのが十勝の纏う空気だ。自ら訪ねたい理由があって、理事長を説き伏せてここへやって来たとしか思えなかった。

「それで、御用件は何でしょうか」

 おじいは到底言い出しそうも無いのでかえでさんが口を開く。十勝は真っ直ぐに基源を見た。基源は俯いたまま視線を合わせようともしていない。顔にはまだ泥の線を引いたままでいる。

「単刀直入に聞くわ。基源、相撲が嫌いになったの?土俵を見るのが怖い?」

 怖いか?そう聞かれて思わず負けん気を起こした。顔が上向く。

「そんなつもりはありません。今でも上がりたいと思っています」
「そう?」
「テレビで相撲を見るとわくわくします。自分でも相撲を取りたい。本当に思います。でも、それなのに土俵へ上がろうと思うと体が云う事を聞かないんです」
「そう――でも今回の事で、人間社会に嫌気がさしたかしら」
「ううん、正直に言えば、わかりません。みんなを楽しませたい、子どもたちを喜ばせたいと思うんです、心から。でも人の目が怖いと思う時もあります。どうして自分は人間の体に近付くべく進化したんだろうとか、そんな根本から考えたり、不躾な人に会って、この野郎、こん畜生と腹が立つ事もあります」
「それ私の事?」
「違います」

 基源は額の際へ滲み出る汗を首にかけたタオルで拭った。何だかわからないけれどこの人は自分の手に余ると、さっきから妙な緊張を強いられている。だが対峙して嫌な感じはしない。内面を探りたい好奇心さえ擡げる。基源が考える間に十勝が話を続ける。

「正直に言うわね。私はあなたを、あなたという稀有な存在を相撲協会のマスコット的に仕立て上げて、世界へ大相撲をアピールする為に大いに活用する気でいたわ。どんな指示を出しても、どんなハードな務めでも、基盤がAIロボットだからメンタルもブラックホール級でやり遂げてくれるものと一方的に決めつけていたの。けれどこれまでのあなたの生き様を目の当たりして、それから今日、こうして直接会ってみて、やっと自分の間違いに気付いたわ。
 あなたは心を持っているのね。ちゃんと、って言うとこちらが居丈高で語弊があるようだけれど、なんて言うか、人と同じ、人と何も変わらない心を持っているように思うの・・・心って尊いものよね」

「そうですね」

 基源はしみじみ頷いた。実感の籠る態度を見て、十勝は思わず口元を緩めた。

「あなたは温かい心を持つことが許された唯一の存在。立派なAIを備えた、立派な人間。私たちにとって、最早かけがえのない存在だわ。
 私は、自分の考えが大きく間違っていた事を認めます。それと同時に、あなたの個性を勝手に創り上げた事を謝ります」

 言って十勝は基源に向かって頭を下げた。顔上げた時には、澄んだ黒目をしっかりと基源に合わせていた。

「待ってるわ。名古屋場所で」

 基源は言葉に詰まった。正直を口にしたい。その場しのぎだけは避けたい。そう思うとはっきりはいと返事が出来ない。迷って視線が泳ぎ出す。十勝はそんな基源に構わず言いたい事は全部出していく。

「因みに一つ伝えておくわね。私人を待って裏切られた事が無いの。待ちぼうけなんて経験した事が無いわ」

 だからあなたは絶対来ると確信しているかのような、自信ありげな一言だった。基源もおじいもかえでさんも、呆気に取られて十勝をただ見詰めていた。十勝は言いたい事を全て言い終えて満足したとばかり、肩の力をふっと抜いて区切りをつけると、すっくと立ち上がった。

「それでは元横綱大航海さん、お会いできて光栄でした。突然の訪問にも関わらず、受け容れて頂きありがとうございました。私はこれで失礼致します。どうか末永くお元気にお過ごし下さい」

 来た時と同じように運転席へ颯爽と乗り込んだ十勝は、あっという間に山間に消えた。見送りに立ったかえでさんは、基源に向かってぽつり、
「勇ましい人だね」と言った。
 まるで台風一過な突撃訪問ではあったけれど、どことなく突き抜けた十勝の存在が、鬱々と苦しむ基源に真新しい風を運び込んだ。それは飾りなど施されていない真正直で、気持ちの良いもの。まさに薫風だった。



 ぱちんと目を覚ますと、カーテンの向こうが薄明るい。時計を見れば早朝だ。
 四股を踏もうかな。朝稽古がしたい。不意にそう思って、思い立つと同時にかけ布団を跳ね上げていた。

 庭へ降り立つと、まだ熱を持つ前のひやりとした空気が揺蕩っていた。基源は大きく胸を広げて深呼吸した。と、畑に近い一角へ人がいるのが目に入った。アイリーだった。

 両手を大きく左右に開き、ゆっくりと腰を落とす。背筋が伸びて、体に芯が通り、しっかりと大地に根差す。広げた両手はまるで地球を抱えるかのように壮大な趣がある。そこから腕をゆったり膝へ移動させると、片足を振り上げて落とす。振り上げて、落とす。アイリーはおじいから教わった四股を踏んでいる。おじいの踏む四股を見て、自分にも教えて欲しいと頼み、以後朝畑へ出る前の日課とした。彼女の四股は、太陽と自然からエネルギーを受け取って、今日の平穏と無事を願うものだった。そうして一日を元気に生きようとする、祈りの儀式だ。

 山の稜線が赤く染まり始め、世界にみるみる日が昇る。朝靄と混じり合い、白と赤、複雑に絡み合った光の粒が目に眩しい。世界を慈しむような優しい光が自然の中へ溶け込むアイリーに触れ、彼女を包み込む。

 気高く、勇敢で、美しかった。あんな風に場を清める事ができたら――もしも自分に、そんな御役を与えられて、それを全うする事が出来たら――
 
 相撲の神様は、このどっちつかずな私でも、認めてくれるでしょうか――


第七十六回に続くー


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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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