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掌編「冬、時々」


 できるだけ避けて通りたかった。ひたすら眩しいイルミネーションとか、寄り添ってきらきらした笑顔とか、ケンタッキーの予約とか、うきうきした街の音とか、どっち向いても白いボンボン付けた赤い帽子とか、ほんとに全部、勘弁してほしかった。鐘の音なんか、冗談じゃない。
「つら」
 思わず呟いて顔を顰めた。一年も引き摺ったままの自分が悔しかった。

「イブの夜なのにごめん、急な仕事が入ったんだ」「明日には会えると思うから」――「仕事なら仕方ないよ、頑張ってね。明日楽しみにしてる」


 こんな安い台詞を信じた自分が間抜けだったのだ。一日ずれたと思えば何でもないからと言い聞かせて予定通りクリスマスケーキを受け取りに、私は街へ出た。暖冬の癖に寒波が来て、冷たい風は身を切るようだった。

 冷蔵庫の生鮮食品の期限確かめておこう、無理なら今晩自分で食べて、後は一度冷凍してもいいや。等と頭の中で算段しながら自宅へ向かう帰り道、通りの向こう側から腕を絡ませて歩く男女がやって来た。普通はさり気なく見ない振りして通り過ぎる処。でも私はそれが出来なかった。男の顔を穴が開くほど見詰めてしまった―

 限定販売の、この日ようやく手に入れたスワロフスキーのサンタクロースは、そのままコンビニのごみ箱に捨てた。悔しくてワンホール一人で食べたクリスマスケーキ。燥いで取ったクリスマスの有給休暇はトイレで便器を抱えて過ごした。

 もう何も思い出したくない。何もかも忘れてしまいたい。何ならあの日抱えていた便座の温もりで上書きしてしまえばいい。

 きらきらした冬なんかどっか行っちまえ。

 

 それなのに気が付いたらまた街がきらきらし始めた。人がうきうきし始めた。ああここから消えてしまいたい。


「クリスマスはお一人ですか?」

「え?」
 会社の給湯室でケトルの湯が沸くのを待っていると突然声を掛けられた。何なのよ、嫌がらせかしら。私は無視してケトルを見ていた。

「あの、イヴに予定は入っていませんか?」
 こんな処でカップ麺作ってるような女に、イヴに予定がある訳ないでしょうと剣呑に思う。気持ちがそのまま目つきに表されて出てゆく。
「てゆうかあなた誰、突然何それ」
「あ、ごめんなさい。フロアが隣だから顔バレしてると思ってつい、名乗り忘れました。佐伯です」
「え?あ、いや知らないけど。名乗られても困るわ。あなたが仮に佐伯さんであったとして、どうして私があなたにイヴの予定を明かさなくちゃいけないの」

 カチ。
 ケトルの湯が沸いた。私は殊更急いでいると強調する様に湯を注いで蓋を閉めると、握っていたマイ箸を重しに乗せた。
「お弁当、やめちゃったんですか」
 私は驚いて彼女を見た。何なのこの子、もしかしてやばい子かしら。私は思わず距離を取って身構えた。すると彼女ははっとして、慌てた様子で両手を顔の前で振った。
「違います違います、別に怪しい者じゃないんです」
「怪しい奴ほど自分を肯定するんだわ」
「いえほんとに、今週ちょっと見てただけで、毎日お弁当だったから、あれって思って」
「寝坊したのよ。ってか今週毎日?今日木曜でしょ。三日も人の事観察してたなんて十分怪しいし、怖いわよ」
「すみません、声掛ける機会を探してたんです、悪気はないんです」
「観察された上に悪気迄あったらもう犯罪よ。まあいいわ、そう、じゃあもう声掛けたから用済みね、私急ぐから」
 どちらにしても怪しい人間と関わるのはごめんだった。給湯室を出てゆこうとカップ麺持ち上げると、彼女がそれを強引に押し留めた。
「何なのよっもう!」

「すみません!あの、佐伯雄大を知りませんかっ?」

 名前を聞いた瞬間心に僅かな引っ掛かりを覚えたものの、すんなり出て来る気配がない。脳内にその名前が存在しているか、試しに検索かけただけだろうと見当をつけて、知らないわと返した。
「本当に知りませんか。高校時代の同級生の、佐伯雄大です」

 こっちを幾つと思っているのか、そんな昔の記憶を引っ張り出せなんて、この子中々強引だわと思いつつも、私はつい記憶を遡った。制服。教室。校舎の窓。チョークの粉。体育館からバスケの音。渡り廊下。チャイム。自転車置き場の内緒話。

 芋づる式に蘇った高校の空気を吸う内、当時の友だちの顔がばらばら思い出されて来た。今でも付き合いがあるのは二人位だから、随分懐かしい。そうして学校という空間をありありと思い出した時、はっとした。

「変人佐伯」

 彼女はにっこりと笑った。


 
 特別に目立つ存在ではなかった。どちらかというと日陰を好んで歩いていそうな生徒だった。他の男子が廊下で昼休憩に馬鹿な遊びに興じていても、同じ輪の中に姿を見た事がない。何かに秀でているわけでも無く、ただ成績が悪かったかというとそうでもなさそうで、人並み以上に勉強はできたらしい。全部生徒の噂話が耳に入って来ただけで、他の事は何も知らない。殆どの生徒にとってそんなものだろうと思う。それなのに佐伯君は学校中でちょっとした有名人だった―

「佐伯が川に落ちたらしい」

 確かこの騒動で午後の授業は二年生の全教室が自習になった筈だ。四時限目の現国の授業中、雨上がりの空に大きな虹が架かった。気怠い授業に眠気を催していた生徒たちは、窓の外へ虹を見つけて俄かに騒ぎ出した。叱責する先生を余所に、教室内は段々と騒々しくなった。その時、教室の隅で佐伯君が突然立ち上がったと思うと「行かなきゃ」と言うなり教室を飛び出した。あまりに急で、誰一人彼を止められなかったという。我に返った先生が職員室へ応援を頼み佐伯君を探し始めたところ、彼は既に校門を抜けて学校近くの川の土手を走っていた。その視線の先には虹があった。消える前に、急げ。彼はひたすら虹を追い掛けた。虹しか視界には入っていなかった。そして、自習となった教室に佐伯君の続報が飛び込んで来たのは五時限目の半ば終わった頃だった。

「おい大変だ。佐伯が川に落ちたらしい」
 クラス中が騒然としていた。彼の身を案じる反面で、彼の気が振れたのじゃないかと疑っていた。だが彼は無事で、後の検査でも何の異常も認められなかった。数日で佐伯君は教室へ帰還した。

「なあ、なんで川に落ちたん?」
「虹の端を探してたんだ。そしたら土手を転がってしまった」
 虹に夢中になるあまり、足を踏み外したらしかった。以来彼は本人の存ぜぬ処で「変人佐伯」とか「虹をつかみ損ねた男」等と呼ばれるようになった―

「その佐伯君です。思い出してくれましたか」
「噂だけ知ってたの。話した事ないもの」
「ですよね。私、妹なんです」
「へえー」

 まさか妹と同じ職場に勤めているとは思いも寄らない事だけど、それだけといえば言え、それでどうして自分を引き留めたかと、疑問が残る。
「兄はあなたの事を知ってます。高校時代から、ずっと知ってました」
 何故。私は首を傾げた。全く身に憶えがない。
「あなたは佐伯ユウさんですよね?」
「・・・そうね」
「私も、私も佐伯ユウなんです」
 佐伯君の妹は然も嬉しそうに笑いながら自分を指差していた。同じクラスになった事は無いけれど、妹と同姓同名だった。その些細な共通点が、私を記憶させたのか。虹の件の他にも妙な逸話ばかり残して卒業した佐伯君であるけれど、まさかこんなに時を経て、又奇妙な再会を果たしたものだと思った。
「でも、だから何?」
「イヴの夜、家へ遊びに来ませんか?」

 踏むべき手続きを一息に飛ばされたような気がした。私は思わず笑った。
「ちょっと飛躍させ過ぎじゃないの?どうして私が行かなくちゃならないのよ」
「三人でクリスマスパーティがしたいんです」
「だから何故」


「兄が、学生時代に出会った人が忘れられないと、最近になって打ち明けてくれたんです」
「それがまさか、私?」
「そうです。ユウと同じ名前なんだよ。会話なんて出来なかったけど、入学式の朝、下駄箱を間違えた僕に親切にしてくれたんだよって」
「ええ、覚えてない。そんな昔の事後生大事に抱えているの?さっさと忘れて先に進めばいいのに」

 言って自分に跳ね返って来た。過去を忘れられないのは自分も同じだった。佐伯君にとってそれは引き摺る程の出来事だったのかも知れない。
「あの人は屹度きっと優しい人だと思う。それを確かめたいと思っていたけれど、話す機会がなかったんだって、言ってました。三年もあったのにって思うじゃないですか。でも兄には関係ないんです。元々凄く人見知りなんです」
「ふうん」
「話を聞いて、私はすぐにあなたの事を思い出しました。春に入社した時、隣のフロアに同姓同名の先輩がいる!って思ってましたから」
「それで?」
「兄の言う佐伯ユウさんとあなたが同一人物なのか、確かめようと思ったんです。もしも同じなら、これはもう奇跡じゃないですか」
「そうかしら」
「三日の間観察し続けて、実はよく分からなかったんですけど、こうなったら兄に直接確かめて貰おうと思って。それで今日声を掛けました。滅茶苦茶だけど、でも御蔭で同じ人だと分かって、今は安心してます。イヴの夜、是非家へ遊びに来て下さい!兄はとっても優しくていい人です!」
「だから何でそこ飛躍するのよ。あなたまだ私に予定が無いか確認してないでしょう」
「何だっていいんです、一緒にクリスマス会がしたいんです!他の予定はキャンセルしてでもわが家へ来て欲しいです。準備は全部私がします。手ぶらで来て貰って構いません。何の心配もありません。どうですか!?」
「どうですかって」


 鼻息荒い妹に気圧されつつ、私は考えた。佐伯君のそれはつまり、何なんだろう。いつまでも私に恋を―?いやいや、それこそ飛躍だわ。彼の側の心は分からない。自分の側の事だけ考えよう。イヴの予定なんてある筈がない。今年のクリスマスは週末にあたってるから予定を組むにはもってこいの並びだけど、そんなもの立てる気分じゃなかった。どちらを向いても辛いだけだった。そんな私に舞い込んだ、奇妙な出会いとお誘い。


 同い歳かあ。十歳上の男と二年付き合って、酷いフラれ方をした。悔しくて、情けなくて、傷付いたままの心。そんな心に、妹の言う「優しい」の台詞が、沁みた。

 会ってみようかな。このまま仕事して誰も来ない家に一人帰って過ごすより、へんてこな三人でパーティというのも、悪くない気がした。

「分かったわ。その御誘い、お受けします」
「わあ、ありがとうございます。それでは明日、お待ちしてます」
「え、明日?」
「明日はもうクリスマスイヴですよ」

 妹は楽しそうに笑って、給湯室を去って行った。残った私はここでやっと手の重みを思い出した。
「うわ」
 人生で初めて、のびたカップラーメンを食べた。ちょっぴり特別な味の気がした。


 そして迎えた聖夜。一足先に佐伯君の家へ揃った妹と私は、じき帰宅するという佐伯君をリビングで待つ事にした。彼は今夜私が此処へ来ることを、夕べの内に妹から聞いたらしい。驚いていたけれど、はにかんでいましたと聞かされた。その内、玄関扉がガチャリと音を立てた。

「た、ただいま」

 ヘンに上擦った調子の挨拶が廊下へ響いた。妹と私は二人して顔見合わせて笑っていた。


 久しぶりに、心がわくわくしている。新しい冬を、感じている。

                        

                         おわり


あなたに届け 「メリークリスマス」

続編ができました。2023年。


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