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「KIGEN」第五十三回



 思いがけない爆弾だった。会見場は相撲一色に染められていたのに、いきなり毛色の違う、だがとんでもなく有名組織の名前が投げ込まれた。JAXA?と復唱する声が会場内へ広がっていく。いちごうが奏と共にJAXAのチームと手を組み研究開発を続けていることは、未発表のはずだった。俄かに騒々しくなった会場内を、進行役が鎮めようとマイクを使う。黒山はぴょこぴょこ浮き上がりつつ理事長たちの席を伺っている。理事長はハンカチのみ握り締めて縋る様に十勝を見た。副理事もそれに従って十勝を見て頷いた。なんでもいい、とにかくこの場は一任しようという判断だ。十勝は二人の意向を確認し終えると、平然とテーブル上のマイクを掴み立ち上がり、顔を前に向けたまま手元のスイッチを入れた。その途端、野球部がグラウンドをトンボで均したように会場が静まった。十勝がマイクを持つだけで、既に注目が集まる。

「只今ご質問のJAXAの関与につきましては、我々は正式な報告を受けておりません。しかしもしもそれが事実であるならば、然るべきタイミングでそちらの広報から正式な発表があるのではないでしょうか。我々はあくまで、相撲協会に所属する力士一人一人と同じ様に、この度いち力士となったいちごう君の成長を見守り、相撲道へ邁進する日々を正しく指導してゆく事が役目であると考えております」

 十勝は隙の無い所作でマイクを下ろすと早くも席に戻って澄ましている。ローカル東京の記者は手元のノートパソコンへ黙々発言を打ち込んで、うんうん頷いたきり何も言わなかった。進行役は念の為質問の有無を尋ねたが、もう誰も手を挙げなかった。

「会見は以上です」

 場内のマスメディアは一斉に散って行った。



 電線の走る向こう側を、冷たい風に煽られた白雲が連なって運ばれてゆく。天気は数日おきに寒くなったり暖かくなったりした。師匠はこれを三寒四温と言って、少し嬉しそうに空を見た。どうして嬉しいのかと聞くと、さあ、と首を傾げたけれど、春が来るからな。とぶっきら棒に付け足してくれた。いちごうは洗い終えた雑巾を干してバケツをすすぎ、蛇口へ被せてから立ち上がった。ぐっと両手を上げて伸びをする。

「いい天気だー」

「なんだ、もう終わってんじゃん」

 声に振り返ると、兄弟子が二人出入り口の前へ立っていた。

「兄さん、今日は三寒四温で言うとどちらでしょうか?暖かいですか?寒いですか?私には適温に思えますが」

「知らねえよ。いいから早く戻って来いよ。朝飯が遅れんだろ」

「すみません、急ぎますっ」

 新弟子検査を無事合格したいちごうの入門が正式に決まって、垣内部屋で兄弟子等と寝食はもちろん酸いも甘いも共にする生活が始まった。一躍有名人になったいちごうには常にマスコミが付きまとって、部屋への突撃訪問も少なくなかった。初めの内は世間から注目されてマイクを向けられる事にどことなく浮足立った兄弟子たちも、あまりのしつこさに段々嫌気が差していた。そもそも注目されているのは自分ではない、カメラやマイクが向けられるのはいちごうの話を聞きたいからだ。度重なる不満や鬱憤は、徐々にいちごう本人へ向けられていった。愚痴や苦情をストレートにぶつけられるのならまだよい方で、皮肉や蔭口、中には物質的嫌がらせもあった。

 ところがいちごうは全く意に介さなかった。愚痴や苦情には素直に謝った。皮肉や蔭口は、それがそうとは気付かないで平気だった。褒められた気がした時は思い切り礼を述べた。そして、しつこいマスコミは自分で追い払う。どちらかと言えば兄弟子たちを巻き込まないで済むように前線に立った。ただどんなに不躾な輩が接触して来ても、決して手を出さなかった。


 いちごうは人知れず理性を働かせていたのだ。ここがAIの使いどころと人間の心理行動を分析し数字化させて統計をとり、自身の胸の内にどうやら生まれた心が振り回されないように、外部からの事象はまず人工知能の処理場へ持って行くようにしていた。御蔭で不用意に感情に振り回されることなく日々稽古に励む事が可能だった。持ち前の突き抜ける様な明るさも揉め事を起こさず済ますのに一役買っていた。

 反対に子どもから興味を示された時は、自分から手招きして呼んで笑顔で交流した。写真も幾らでも応じたし、握手と小さな手の平差し出された時は、とろける程嬉しくて目尻が下がった。ちょっと粋がった小学生が自転車飛ばしてやって来た時も、見せろーと言われれば力こぶを見せてやった。ロボットだろーと言われれば、人間とロボットの比率に頓着しないでそうだよーと気軽に答えた。

 彼に近付いて来る人間は様々だった。だがいちごうは決まって最後には、

「でも私はまだまだ未熟者だからね、もっともっと稽古積んで頑張るから応援して下さい。よろしくお願いします」

 と言って一礼した。

 毎日の稽古に愚直に取り組み、雑用でも何でも積極的に行った。めんどくさいと思うことはまずなかった。オンライン授業では体験出来なかった事が、志を同じくする人の集まる場所で幾らでも経験出来る。それはいちごうにとりかけがえのない人生体験だった。師匠と女将さん、兄弟子もうんといて、皆が等しく関取を目指している訳では無い事を知った。床山、行司、呼出し等の裏方役を担うべく勉強中の兄弟子の姿は、いちごうにとり新鮮な輝きを放つ。

 いちごうは今、両国国技館内にある相撲教習所へ通っている。そこで半年をかけて相撲の講義、実習を受け、相撲全般にわたる基礎を学ぶのだ。更にいちごうはメンテナンスの為に定期的に研究所へも通う必要があった。稽古の他にも向き合わなければならない物事がいくらでもあって、中々多忙な日々を送っていると言えた。


第五十四回に続くー


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