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「KIGEN」第十回


「奏、この不定期にぱたぱたと鳴る音はなんでしょうか、ほらまた鳴った」

 奏は周囲に耳を澄ました。

「ああ、これは葉っぱに雨が当たる音だよ。そうだね、こうして耳を澄ましてみると、全部違う様子に聞こえて面白いね」
「これだけの臨場感、思いもよりませんでした。凄いですね、外って」
「うん、凄いね」

 人が見慣れた景色を新鮮なものとして受け止めるいちごう。そんないちごうの瞳はきらきらと無邪気な輝きを放ち、奏に「命」という、単純でありながらも重たい、大事な根本を強く感じさせた。


 やがていちごうが折り返しますと告げて、二人はくるりと向きを変え、また歩き出す。そこへ前方から傘を差した女性が歩いてやって来た。お互いにどうやら赤の他人だ。三者の距離が少しずつ縮まっていくが、相手は見向きもしないで歩を進めている。だが擦れ違う手前で女性が傘を傾けた。奏の心臓がどきんと音を立てた。傘の縁から目を覗かせてこちらを確かめようとするのなら、どんな目的があるだろう。いちごうに、何処か不審な点でも感じたんだろうか。顔が熱を持って、相手の動きから目が離せない。後数歩、後数センチ。肩はいよいよ擦れ違う。

 女性は再び傘を立てて歩いて行く。靴音が遠ざかってから、奏の緊張が一息に零れ出た。二人は傘の柄を持ち上げて互いの顔を見るなり、瞳で笑い合った。

 いちごうはじめてのおでかけは、つつがなく終了した。

「ミッションクリアだね」
「素晴らしいお散歩だった。楽しかったです」

 傘を閉じて家へ入った二人は、誇らしげな様子でただいまと口々に言った。上りかまちに座り込んでいちごうの大きな長靴を二人掛かりで脱がせていると、石ころが靴底に挟まっていた。いちごうはそれを摘まみ出して貰うと、自分の掌へ載せてしみじみと眺めた。

「玄関から投げ捨てておけばいいよ」

 言って奏が扉を開けようとするが、いちごうは首を振った。

「捨てないでおく。今日の記念に持っていたい。いい?」
「いい、けど・・」
「それとも渉さんにあげようか」

「いや要らないって言うよ。それに「父さん」ね」
「折角の記念なのに?要らないの?もっと奇麗な、紫陽花とかが良かったかな」
「紫陽花は奇麗だけど靴の裏には挟まらないでしょ」

「絶対?」
「絶対!」

 もう行くよ。と奏は立ち上がり、声を上げて笑い出しそうになるのを堪えながら洗面台へ向かった。

 研究所へ戻ると、いちごうは自ら充電プラグへ伸ばしたケーブルを差し込んだ。壁へ寄り掛かってまるで仮眠状態となる。安静にしている方が急速充電機能が働いて時短になる。現段階のいちごうは一日一回、こうしてバッテリーを充電する必要があった。パフォーマンスの向上は、いちごう自身の人工知能の成長とロボット工学の研究が進むにつれ日ごと達成されてゆく。もっと効率が上がれば週に一回の充電で暮らす事が可能になるだろう。そうなれば家電よりも一層高性能になること間違いなしだ。

 ―味気ないな―

 奏はしかしそれでは満足出来なかった。どうせなら充電という概念を払拭してみたい。別の方法、例えば――

「一緒にごはんが食べられるようになりたいね」
「・・・ご飯、ですか?」
「あ、ごめん、起こしちゃった」

 壁際で大人しくするいちごうは、まるで瞳のようなレンズを動かして、作業台の傍のパイプ椅子に座る奏を見上げた。ゆっくり首を左右に振って奏の謝罪を否定する様子は、心優しい友人の仕草と何の違いもない。それは奏の心に安らぎを与える。

「充電方法を思案していたんだ。もっと別の方法があればいいのになって」
「それがご飯ですか」
「うーん、難しいけど、同じテーブルについてさ、一緒にご飯食べる様な、真似事でもいいからそんな事が出来たら、もっと楽しいかなって思ったの」
「なるほど、いい考えですね、また連絡します」
「もう、それは社交辞令って父さんが言ってたよ。僕は本気で考えているんだからね」

「はい、実は私も一緒にご飯を食べてみたいと思っていました。真面目にです」
「でしょう。家での四人暮らしに父さんも母さんも慣れて来たし、もっと本気で考えてみようかな。勿論、持続エネルギーも増やせるように、そっちの研究も同時進行でやるからね。プログラムと本体の設計弄ったら、チタン部分を削って更なる軽量化が図れそうなんだ。強度はそのままでね」

「賢いなあ奏は。心から尊敬します。どうぞよろしくお願いします。私のAIが役立ちそうなら幾らでも活用して下さい」
「ありがとう。いちごうは素直でいいね」

「恐れ入ります」

「でも僕にはもっと気楽でいいんだよ。真面目な話の時も敬語はいらない。友達だろう」

 周囲とコミュニケーションを取れば取る程、いちごうの知能は人間らしく成長する。単純に言語を増やすだけでなく、人の機微や感情の揺れを目の当たりする事で、返答にも豊かさが出てくる。リスクを背負ってでも一緒に暮らして、外界へも触れさせていこうと考えているのは全くその為だった。奏は本気で人とロボットの共存を考えているのだ。いちごうは一瞬だけ明後日の方向を見て、くっと視線を戻すと上半身を起こした。


第十一回に続くー



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ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

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