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「KIGEN」第三十六回


「普通の人間と違うんだってな。そんなよくわからん者はうちには要らないよ」

 何処から漏れたか分からない。だがどうでもよかった。ただ残酷だった。


 今日はショックが大きいと思うから、奏くん気遣ってあげて。そんな労りと共に帰宅したいちごうは、力なくリビングのソファへ腰を落とした。付き添いを断られた奏は、彼の帰りを今か今かと待ち設けていた。朗報を手土産に帰宅するだろういちごうを待っていたのだ。無慈悲に追い返されて来た彼に、掛ける言葉が見つからない。

「いちごう」

「駄目だった。断られた――」

「いちごう・・・」

―奏は涙出るの?―

 出るに決まってるだろ、君の言った通り、僕は泣き虫なんだ。一寸躓いただけでも、虫が飛んできただけでも、ふざけて背中を押されても、直ぐに涙が出るんだ。けど、けどねいちごう―

「悲しんでる場合じゃないよいちごう、泣くのは早い」

「泣いてないよ・・涙なんか出ないんだから」

「探そう、君を受け容れてくれる相撲部屋を。あの、何っていう名前だったっけ、今回頼みに行ったのは」

「――垣内部屋・元横綱源海の、垣内親方」

「よりも、もっと良い部屋を探そうよ」

 いちごうが物憂げに首を回した。奏は目を合わせて、そんな場合じゃないのに、ガラスにしては表情豊かな瞳だと思う。

「本当にそう思うの?それ本心?」

「当然だよ。僕の目を見て。誤魔化す気なんてないでしょ。いちごうへの仕打ちは許せないよ、悔しくて腹立たしいよ。でも僕はこんな事で諦めないし泣かない。これが僕の本心だよ」

 心の中に不安があった。社会に対する不信があった。頭の中に打算があった。震える自分を鼓舞する虚勢があった。根拠なんか一つも無かった。けれども全部取り払ってしまえばいちごうを勇気づけたい一心が残る。だから真正直に本心であると言い切った。いちごうは奏を観察して、えいと立ち上がった。

「分かった。私は奏を信じる。それに、悲しかったけど、諦めない。諦めたくない」

 いちごうは力強くにっと唇を横へ広げた。奏も真似をした。

 しかしながらいちごうがAIロボット基盤の人である事が、どこからどういう経路を辿って漏れ、相撲部屋の親方の耳に入ったのか突き止める必要があった。一人の親方が知っていると云う事は、相撲協会に所属する親方の殆どか、既に全員が知っていると思った方が良さそうである。臨時のチーム会議の席で、ずっと黙り込んでいたいちごうが口を開いた。

「私はこれまでに何度も色々な場所で力士になりたいと宣言して来た自覚があります。本部で話した事もありますし、オンライン授業でも英語で夢を語るスピーチがありました。散歩中だって無意識に喋ったと思います。いつ誰がそれを耳にしてもおかしくなかった。相撲とはっきり口にした以上、関係者の耳に届くのは時間の問題だったと思います。皆さんが厳重に管理しようとして下さった事を、当事者の私の不注意で台無しにしてしまった。申し訳ありません」

 いちごうは立ち上がって頭を下げた。気丈に振る舞う姿が痛ましかった。奏は隣からいちごうの袖口を引っ張って椅子へ座らせた。

「いちごう君、君の言い分も理解はするが、そう自分ばかり責める必要は無い。実際どういう経路で漏れたか真実は謎だ。それにもしも体験入門を認められていたとして、どの道その後に明かさなければならない事実なんだ。どのタイミングで知ろうと拒否する人間はするもんさ。寧ろこの先受け容れ先を探すのに一つ説明が省けて良かったじゃないか」

「そうですよ。物は捉えようでどちらにでも転がるんです。こうなったら今回の一件を大いに活かして、片っ端から相撲部屋を回りましょう。受け容れ先が見つかるまで」

 矢留世の鼓舞に応じるようにチームの連中が頷き合った。彼等の意識は大きな夢の為に突き動かされていた。熱を持って当たれば岩をも動かす力になると信じた。信じるから叶えられるのだと言い聞かせた。実際は脳の片隅にいつでも不安が付き纏っていた。要するに不安を直視しないで済むように猛進した。

 片っ端から相撲部屋を訪問したが、どこへ行っても門前払いで、結果全敗した。揺るがない現実の壁が立ちはだかり、彼らは途方に暮れた。

 再び招集した会議で呆然と現実を受け止める奏の姿を見た矢留世は、まるで社会の無情が全て自分の責任であるかのように申し訳なさを募らせた。無暗に焚き付けた、リーダーとして相応しくなかった自己を謝罪しなければと思った。だがここで自分まで意気消沈していてはそれこそ大人の役目を果たさない無責任な人間で終わってしまう。大勢の観衆の前で雄々しくスイングする大リーガーにはなれなくても、一握りの船員となって宇宙に飛び出す運はなくても、根気強さはあるんだ。いやねちっこさかな。そう自分をからかうと、気持ちに少しゆとりが出来た。

 そうしてふっと脳内である言葉を思い出した。どこの部屋の親方だったか、入門を断った後、ふんと鼻で笑って口走った。

―そんな酔狂な真似できるのは源さん位だよ―

 言ってもう一度鼻で笑った。二度も鼻を鳴らすなんてとんでもなく失敬な人だなと憤慨して今まで忘れていたが、ひょっとするとこれは一縷の望みになるかも知れない。矢留世はだがこの場では口に出さずにおいた。散々追い払われて、この上糠喜びさせたとなれば、若い彼等には堪えると思った。一先ず、諦めずに道を探そうと励ましの声を掛けて解散した。いちごうは背筋をすっくと伸ばしたまま、最後まで静かに席に控えていた。


第三十七回に続くー



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