見出し画像

「KIGEN」第四回



 ガレージの研究所には、奏専用の真新しいパソコンがある。実はこの歳にして既に二代目だ。初代は父のお下がりだった。好きにして良いと譲られた時は鼻から蒸気を噴く程興奮して、研究所で長い事構っていた。その内コンピューター内部のシステムを知りたい欲求を抑えきれなくなって、遂には好き放題解析し尽くし、最終的にばらばらに分解してしまった。バラしながら製造に使われている部品を記録し、要所と思われる部分はスケッチもしておいた。ところが、これを再び起動させる事は不可能だった。手順通り組み立て直したつもりなのに、動かない。調べてみると、部品の消耗と人為的ミスが重なったことが原因らしかった。

 奏はガラクタと化したパソコンを前に肩を落とした。だがそれもほんの僅かの感情に過ぎず、吐き出した息を回収する頃にはもう持ち前の好奇心を起こしていた。要するに元に戻し損ねた事実が、奏の研究者魂に火をつけたのだ。

 気を取り直した奏は早速新しい自分のパソコンが欲しいと両親に訴えた。だが勝手に解体してしまった事を理由に買い与えては貰えなかった。そこで戦法を少し変更して、父に的を絞った。渉の部屋へ通い詰め、渉がパソコン作業の度に傍へ立って見ている。そうして渉が扱いに手間取っていると、横からそっと教える。効率の悪い事をやっていると、ソフトの活用を勧める。渉の作業に最適なデバイスの提案と紹介もした。さりげなく、的確なアドバイスをしては、また静かに控えておく事を続けた。その内渉の方から息子に「わかる?」と聞くようになった。奏は無論頷く。渉の問いかけの内で彼に答えられないものは無かった。

 渉は自分の息子がパソコン知識にも非常に明るいのを目の当たりして、公平な目で見ても天才の片鱗を覗かせていると思った。

(やっぱり息子は博士になる人間なんだ!)


 とこの際親バカでもいいから断然息子を信じる事にした。
 父を完全に味方につけた奏は、こうして望み通り二代目のパソコンを手に入れた。それからいよいよAIロボ作成の研究と資金集めに取り掛かった。ネット上へ自分の多岐にわたるこれまでの研究成果を披露する場を開設し、小学生研究者として活動した。クラウドファンディングで資金を募った。数字の桁が一つ増えるごとに、ロボット研究に勤しむ自分の姿が現実味を帯びて、奏の胸は高鳴った。

 渉はその行動力と研究熱意に感心しながら、新聞で人工知能の最新情報が報道されればその記事を紹介したり、ロボット工学系の面白い本を見つけては手土産にした。

 奏はロボット製作に没頭した。それはいち個人が取り組むには長く、相当高度な技術を要する地道な道のりだった。しかし奏にとっては何ものにも代え難い幸福の時間で、ロボット製作にかける時間以外は一切後回しにした。研究所へ好きなだけ籠っては作業を続け、自室へは眠る為に帰る。学校へは辛うじて通ったが、寝不足を理由に好き勝手休んだ。智恵美は欠席の連絡を入れる前に毎回必ず反対した。だが奏が疲労で起き上がれないのだから仕方がない。研究所へ籠るのも強引にはやめさせられない。諦めの溜息は年々深くなった。

 バーチャルリアリティ=仮想現実。メタバースと呼ばれる仮想空間。AIの生息域は日常生活に限らず、娯楽の面においても有形無形問わずいくらでもあった。だがバーチャル空間は奏にとり扉の向こう側と言う感覚が抜けず、結局は非日常だった。実生活を隔てて向き合うAIとの関わりにも面白味はある。だがゴーグルを外したり、スイッチを切った途端暗い画面に自分の顔だけがぽつんと現れると、まるで自分だけ現実に置き去りにされたみたいでいかにも心細くなる。奏の理想はあくまでも同じ空間にAIロボが居る事だ。人と遜色ない姿形を持つロボットが、人と同じ様に日常生活を送る事が出来る世の中になったら、世界はどんなに面白いだろう。これまで人の力だけでは成し得なかった事がロボットとなら出来るようになるかも知れない。もしもそんな社会が実現したら、未来でどれ程人の助けになるだろう。
奏は小学生ながら、自身のロボット研究の将来を見据えて、既にそこ迄の夢を思い描いていた。


(何も特別でなくていいから、ただ僕の隣に座っててくれないかな)

 そんな擽ったいロボットへの憧れが、人知れず彼の胸の内で、もうずっと前から抱かれていた。


「けれど、本当に火花で出来た傷なのかなあ」
「どういう事?」
「奏の患部を見るとさ、まるで何か当たったように見えなくもないじゃない」
 奏は思わず腕を持ち上げて、先日出来た掠り傷を見詰めた。火傷と言われても本当に表面を掠った様な長さ一・八センチ、幅は一ミリに満たない傷で、摩擦火傷にも見えるが、もうすっかりかさぶたになって、それさえ一部は剥がれかけている。どう見ても大した傷じゃないと思えて、それよりも昨日トイレの扉へぶつけた膝小僧の打ち身の方がよっぽど痛いと主張したい位だった。渉の言葉を受けて智恵美もすかさず首を伸ばし、息子の患部を一目見ようとするが、奏はさっと腕を下ろしてしまう。母の追及を躱すため、急いで父へ質問を投げた。


第五回に続くー



ここから先は

0字
ようこそいち書房へ。長編小説はお手元へとって御自分のペースでお読み頂きたく思います。

「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…

この記事が参加している募集

私の作品紹介

多様性を考える

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。